奈良京都酒造聖地巡礼の続きです。
8月1日の午前中は、大神神社参拝の後、門前にある『三諸杉』の醸造元今西酒造をのぞいて土産酒をゲット。次いで清酒発祥の地として知られる菩提山正暦寺を訪ねました。個人的には何度も訪れていますが、『菩提もと』と『諸白酒』が生み出されたこの地に、造り手・売り手・飲み手のみなさんと一緒に参拝するのは長年の夢でした。参加者も同じ思いだったようで、静岡県で唯一、菩提もとの酒を醸す『杉錦』の蔵元杜氏杉井均乃介さんに記念碑の前に建ってもらって撮影タイム。拝観可能な福寿院客殿で、ご住職に清酒発祥の地となった歴史を解説していただきました。
正暦寺は992年(正暦3年)に一条天皇の勅命によって創建され、当初は堂塔伽藍を中心に86坊もの塔頭が菩提仙川の渓流を挟んで立ち並ぶ壮大な勅願寺として威勢を誇っていました。その後、平家の焼き討ち、度重なる兵火、徳川幕府の厳しい経済制圧によって江戸中期以降は衰退し、大半の堂塔が失われ、今は江戸期に創建された福寿院客殿と護摩堂、大正時代再建の本堂と鐘楼堂などわずかな建物が残っています。紅葉の名所として知られ、11月のシーズンには多くの観光客でにぎわい、1月には菩提もと清酒祭も行われます。
いただいた資料を復習のつもりで書き出してみます。
奈良市の東南山麓、菩提仙川に沿って、苔むした石垣ともみじの参道を登りつめると菩提山正暦寺がある。現在の清酒造りの原点は、ここ正暦寺で造られた僧坊酒に求めることができる。この僧坊酒は『菩提泉』『山樽』などと呼ばれ、時の将軍足利義政をして天下の名酒と折紙をつけさせたと『蔭涼軒日記』に記されている。時代はくだり、1582年(天正十年)5月、織田信長は安土城に徳川家康を招いて盛大な宴を設けた。この時、奈良から献上された『山樽』は至極上酒であったらしく、『多門院日記』に「比類無シトテ、上一人ヨリ下万人称美」したとある。
本来、寺院での酒造りは禁止されていたが、神仏習合の形態をとる中で、鎮守や天部の仏へ献上する御酒として自家製造されていた。そのため、宗教教団として位置づけられながらも、荘園領主として君臨していた寺院では、諸国の荘園から納められる大量の米と、酒造りに必要な広大な場所、人手、そして清らかな渓水、湧き水などの好条件に恵まれ、利潤を目的とした酒造りを始めるようになった。中でも正暦寺の僧坊酒は、発酵菌(酒母・もと)を育成し、麹米・掛け米ともに精白米を使う諸白酒を創製したという点で、酒造史の上で高く評価されている。
清酒造りにおける酒母(もと)の役割とは、雑菌を無くし、もろみのアルコール発酵をつかさどることにある。単に糖液で培養した酵母菌で酒を造るならば、乳酸菌・バクテリアなどの雑菌が殺されることなく、もろみが腐りやすくなる。
しかし、正暦寺で創製された酒母(もと)、すなわち『菩提もと』は、酸を含んだ糖液で培養するため、その酸によって雑菌が殺され、しかも、アルコールが防腐剤の役割を果たすという巧妙な手法がとられており、これは日本酒造史上の一大技術革新であった。
こうして、蒸米と米麹と水からまず酒母(もと)を育成し(酒母仕込み)、酒母が熟成すると米麹・蒸米・水を3回に分けて仕込み(掛け仕込み)、いわゆる三段仕込みの原型が出来上がった。この諸白酒は、後に火入れ殺菌法なども取り入れられ、仕込みも三段仕込みから四段・五段仕込みへと発展し、『南都諸白』の名で親しまれ、17世紀の伊丹諸白の台頭まで一世を風靡し、奈良酒の代名詞ともなった。(清酒発祥の地〈菩提山正暦寺〉より)
昼前に正暦寺を出発し、昼食に立ち寄ったのが京田辺にある酬恩庵一休寺。こちらで禅寺の本格的な精進料理をいただいたのです。次の目的地である京都の松尾大社までの道すがら、ランチの店をいろいろ探したんですが、今回のメンバーは酒食のプロばかり。全員が満足するような店を見つけるのは無理だろうし、かといってファミレスやドライブインみたいなところでも味気ない・・・と悩んだ挙句、以前、駿河茶禅の会(こちらを参照)で訪ねた一休寺で精進料理が食べられることを知って決めたのでした。
平日月曜日。しかも猛暑の昼過ぎ、ほかに拝観客はなく、我々グループは貸し切り状態で方丈や庫裏を丁寧に案内してもらい、待月軒で精進料理を味わいました。全員汗だくで喉もカラカラ。ダメもとで「ビールありますか?」と訪ねたところ瓶ビールをゲット。調子に乗って「日本酒は?」と訊いたらこちらはNGでした(苦笑)。
松尾大社に到着したのは15時頃。ここはさすがに参拝経験のある人がほとんどで、自由にお詣りしてもらいました。酒造資料館がいつの間にかリニューアルされていて、お休み処としてもベストスポット!
予定ではここで解散でしたが、杉井さんが京都駅南口のイオンモールに新規オープンした取引先の酒販店さんに挨拶に行くというので全員便乗することに。お訪ねしたのはオール純米酒&スタンディングバー併設の『浅野日本酒店』さん。大阪で2年前に新規開業し、はやくも京都に2店舗目をオープンというわけです。日本酒しか扱わないという個人専門店でもコンセプトとデザインがしっかりしていれば、ちゃんと成果が出るお手本のような店でした。
居残り組は、私がこのところ上洛のたびに寄せてもらっている高倉御池の『亀甲屋』で慰労会。京の地酒「京生粋」と汲み上げ湯葉で巡礼ツアーを締めくくりました。この店は30年近く前、京町家をリユースした先駆けの店として地元に愛され続け、なかなか予約が取れない人気店に。直前に、ダメもとで予約できるかお尋ねしたら、運よくキャンセルが出て8人でお邪魔することが出来ました。「亀」つながりで、ご主人と女将さんに初亀の橋本社長をご紹介できたのも何よりも嬉しかった! これもそれも、酒の神様がつなげてくれたご縁に違いありません。藤田千恵子さん、参加者のみなさま、本当にお世話になりました&お疲れ様でした。
素晴らしい酒縁に、あらためて、感謝乾杯!