杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

河村先生への感謝

2016-12-09 23:24:21 | 地酒

 静岡県を吟醸王国に育てた最大の功労者・河村傳兵衛先生がお亡くなりになりました。

 先生の訃報に接し、直弟子のお一人青島傳三郎さんから「平常心で酒を造り続けることこそ先生への供養。私が酒を造り続ける限り、先生の魂は不滅です」と力強いメールをいただきました。青島さんが酒を造り続けるならば、私はライターとして書き続けるしかないだろうと、平成元年から始めた酒の取材資料を紐解き、古い手書きの原稿を見つけました。

 日付は平成元年(1989)2月12日。東京の酒仙の会が焼津の寺岡酒造場(現・磯自慢酒造)を見学し、たち吉で交流会を開催した際、講師に呼ばれた先生のお話を飛び入りで拝聴し、自分なりに書き留めておいたものです。この日が私にとっての酒蔵デビュー。磯自慢の蔵を観て河村先生の講演を聴くなんて、今思えばとんでもなく贅沢で恵まれたデビューでしたが、当時の私はその価値がよくわからず、講演中の先生のどことなく厳しい教育口調に恐れおののき、磯自慢の味はほとんど覚えていませんでした(苦笑)。

 資料ストックを調べ直すと、ほかにも先生の講演を自分で講演録としてまとめていたものがいくつか出てきました。当時使っていたワープロの感光紙に印字したもので、感光紙が経年劣化し、文字が消えかかった原稿もいくつかありましたが、後年、自分の言葉でつづった静岡の酒にかかわる記事は、先生の講演録を再三書き起こして頭に叩き込んでいたものがベースにあったんだ・・・と今更ながら気づき、胸が一杯になりました。

 

 この写真は、平成元年春ごろ、牧ケ谷の静岡県工業技術センターの研究室へ初めて取材にうかがったときに撮らせていただいたものです。先生は40代で現役バリバリの頃ですね。

 

 

以下に酒仙の会の講話を再録します。先生のドスの効いた?声で脳内再生してみてください。

 

 

品質勝負/河村傳兵衛氏講話より   

 

 「品質勝負」-。県内の酒造メーカーが生き残るにはこれしかない。それも個々のメーカーが良くても、静岡県全体のレベルが上がらなければ意味がない。銘醸酒の産地として、広島、熊本、秋田などと名を連ねるようにならなければ、ということである。

 そのためにはまず数をそろえる必要があり、数を作るには酵母のみならず、酒造り全体の総合力をつける必要がある。

 そもそも酵母は実験室の中で出来るからやり易い。その酵母をメーカーに振り分け、麹別に変える。しかしこれで必ずしもいい酒ができるわけではない。酒造りの最大のカギが麹にあるからだ。

 麹造りは、あるレベルへたどり着くまでが非常に難しい。さらに、他県の酒との差別化を図っていくには感性に頼るしかない。手で触り、眼で観て鼻で匂いを確かめて、五感のすべてを働かせる。それは官能の域である。具体的な数値などは後から付いてくるものだ。

 麹いかんによって、酒は自由自在に造れると言ってよいだろう。良い麹は酵母を選ばなくなるからだ。ここで言う理想的な麹とは、しまりのある凹む麹である。

 吟醸酒の代表県広島では、オデキのようにぶつぶつ浮き上がる麹が良しとされているが、仕上がった酒は酸度が1.5平均の重い酒である。広島に比べて丸く香りが高いとされる石川の吟醸酒で酸度1.3前後。一方、静岡のそれは1.0~1.1と低い。この酸度の低さこそが吟醸酒の本流である。事実、広島でも石川でも酸度をそれぞれ0.2~0.3ほど下げる動きを見せている。

 わが静岡県型の酒とは、淡麗でフルーティー、そして丸い。その特性は水にある。酒造りの際、水は米の10倍から100倍もの量を使う。静岡の場合、鉄分や有機物がほとんど含まれていない優れた水が豊富にある。これは大きな強みである。きれいな水と凹み麹から生まれる丸い酒ーこれこそが「品質勝負」を掲げる静岡の酒の理想の姿である。

 さて、毎年鑑評会で幾つ入賞するかが話題になるが、消費者の立場で見れば鑑評会用に造られた酒と市販に出回る酒とでは、品質の上でかなりの差があると言わねばならない。したがって、小売店が金賞受賞酒といって売り込んでも消費者を失望させるおそれがある。

 メーカーにとっては、消費者が認める酒こそが理想の酒なのだ。極端な話、金賞をとった酒はことわりなさい、ということだ。その年その年、賞に漏れた酒に思わぬ逸品がある。酒は生き物なのだから、メーカーも小売店もそれ相応の気持ちで取り組むべきである。

1989年2月12日 酒仙の会(会場/焼津たち吉)にて

 

 

 

 酒蔵デビューから8年後の平成8年(1996)、しずおか地酒研究会を作りました。そのとき先生から色紙を何枚か頂いたのですが、その中の「酒質は杜氏の心の軌跡である」という言葉が心に刺さりました。ライターとして、また地酒研という交流の場を通じて、自分の役割は杜氏さんの酒造りの心を聴くことであると。昨年上梓した『杯が満ちるまで』の第3章ー蔵元紹介を、会社のプロフィールや銘柄紹介ではなく、杜氏の人となりを軸に書いたのは、そんな思いの延長でした・・・。

 

 

 先生の訃報は、前回記事で、20年前の地酒研発足時にお世話になったことに触れた直後でしたので、一両日喩えようのない寂寥感に襲われました。でもこうして先生の言葉を読み返し、静岡吟醸を飲み直せば、本当に感謝の思いしか湧いてきません。静岡の酒飲みは先生にどれだけ幸せにしてもらったか・・・言葉に出来ない感謝の気持ちを、きっと、みなさんも共有されているでしょう。

 23日の20周年歳末感謝祭では、先生への献杯コーナーを設けようと思いますので、お時間のある方はぜひお立ち寄りください。