前回紹介した河村傳兵衛先生の28年前の講話『品質勝負』について、「今読んでも色褪せない」と感想をいただきました。「あまりに偉大過ぎて近寄り難い存在だったが、一度お会いして直接お話を伺うべきだった」という若い酒販店さんも。お通夜の後、東京から駆けつけた松崎晴雄さんと静岡駅の居酒屋で先生への献杯を交わしたときは、この講話を私が(酔った勢いで)大声で朗読し、松崎さんは「当時から広島、石川、秋田を意識していたとは凄すぎる」と唸っていました。
28年前の講話でもこれだけ力のあるメッセージになるならば、もっとちゃんと、先生の功績を伝えていかねば…と切に感じ、少しずつでも紹介していこうと思います。
今回は、しずおか地酒研究会の20年間の活動資料の中から、28年前の講話『品質勝負』の鑑評会出品酒と市販酒の違いに対する河村先生のアンサー&アクションをベースにした内容として、平成13年(2001)9月に開催した『しずおか地酒塾~どうなる、どうするお酒の評価』をピックアップします。
この年、全国新酒鑑評会の主催者である国税庁醸造試験所が民営化し、独立法人酒類総合研究所に組織変更したことを契機に、鑑評会も大きく変わりました。出品が有料制となり、経費を払えば出品自由となったのです。それ以前は、3月に開かれる県の鑑評会、4月の地方国税局の鑑評会に入賞しなければ5月の全国には出品できないという暗黙のルールがありました。
全国新酒鑑評会の変化を機に、河村先生は静岡県清酒鑑評会の審査方法をガラッと変え、結果的に大きな論議を呼びました。品質コンテストの審査基準を変えるというのは、出品者たる造り手にとってはもちろん、受賞酒を販促に活用する売り手にとってもエポックメイキングな出来事。結果は以下のとおりでした。
◆平成13年静岡県清酒鑑評会 県内27社99出品(吟醸の部51、純米の部48)
〈吟醸の部〉①喜久醉 ②國香 ③千寿 ④富士正 ⑤若竹 ⑥菊源氏・出世城 ⑧英君 ⑨小夜衣 ⑩磯自慢(以上入賞10社)
〈純米の部〉①國香 ②出世城 ③高砂 ④喜久醉 ⑤菊源氏 ⑥千寿 ⑦磯自慢 ⑧若竹・英君 ⑩初亀 ⑪満寿一(以上入賞11社)
◆平成13年名古屋国税局酒類鑑評会 東海4県対象/順位は首位賞のみ発表
〈普通醸造の部 県内入賞〉開運*首位賞、君盃、静ごころ、英君、菊源氏、磯自慢、志太泉、葵天下、花の舞
〈純米醸造の部 同 〉菊源氏、初亀、葵天下
◆平成13年全国新酒鑑評会 全国1133出品 金賞308 入賞599
〈県内金賞蔵〉忠正、静ごころ、英君、菊源氏、磯自慢、葵天下、出世城
〈県内入賞蔵〉萩錦、君盃、開運、花の舞
この顔ぶれを見て、静岡酒に精通している人なら論議を呼んだ理由は想像できるでしょう。実際、河村先生が静岡県の審査をどう変えたかは以下の記録を読んでいただくとして、先生が品質勝負と謳った静岡吟醸を、今度はどう評価していくのか、さらに言えば地酒という地域特性をどのように発信すべきか、今読んでも実に多くの示唆に富んだ内容です。
しずおか地酒研究会 しずおか地酒塾2001
「どうなる、どうするお酒の評価」~造る人・利く人・飲む人それぞれの主張
(2001年9月26日 あざれあ第二会議室にて開催)
●審査方法と審査基準(蔵元の意見)
今年(2001年)の静岡県で実施された審査は、5人の審査員がまったく同時に、まったく同じ条件(審査室を一定の温度に保ち、各審査員ごとに専用のグラスで、出品酒の温度・量も均一にする)で行った。今までにそれが行われていなかったという意味において画期的であり、出品者側としては公平な方法だと受け止めた。また同時に改善点もいくつか出たように思う。たとえば5人という審査員の数は妥当か(それまでは8~10人)。審査員の適正をチェックする機能はあるのか等。いずれにせよ公平公正な方法で審査が行われることは、関わるすべての者にとって良いことは間違いない。改善を重ねながら良い審査方法を創り上げていくことが大切である。
去年まで全国新酒鑑評会の予選としての位置づけが色濃かった地域国税局鑑評会も、純米部門の創設や秋開催への変更等新たな試みを始めている。静岡県独自の審査基準をもつということは、県の鑑評会の存在意義を問い直す意味深いものになるだろう。
●酒造組合の自主性を!(蔵元の意見)
県、国税局、全国の各結果が全然違うということに疑問を感じない人はいない。よくお客さんからも聞かれた。県の鑑評会は県の組合が主催者である。組合が主導権を持ち、運営をきちんと推し進めるべき。外部の団体から組合に対して助言や提案をもらうのもよい。組織や人事が大きく変わろうとしている今の時代、タイミングを逃す手はない。規格、審査員、方法などはっきりとした目的をもって定めることも必須である。
●わかりやすい基準を(蔵元の意見)
人間の判断には好き嫌いがあり、体調にも左右されるので、審査の公平さは考えれば考えるほど大変だ。しかしながら今までの歴史、杜氏のやりがい、消費者の期待を考えると、なにがしかの鑑評会は必要だと思う。出品酒は鑑評会用に特別仕様にするなど市販酒とのギャップがあり、多くの問題を抱えている。以前、千葉の酒販店が市販の大吟醸を集めて蔵元と消費者による品評会を開いたが、そんな会があってもよいと思う。ここ数年の県鑑評会でおかしいと思うのは、物事を判断する基準に「好き嫌い」や「損得」があるということ。他人の好き嫌いやお仕着せや別の判断基準が入ると透明性がなくなり、足元から権威が失われ、消費者からも横を向かれてしまいかねない。誰にもわかりやすい基準を作り、消費拡大に関与し、注目される会になってほしい。
●自醸蔵にとっての鑑評会(蔵元の意見)
蔵元自身が自分の目の届く範囲の小仕込みを行っている蔵では、製造計画との調整や人手の問題など様々な理由から、県(3月)、名古屋局(4月)、全国(5月)と各鑑評会にコンスタントに出品することが難しくなっている。当社も今年は出品できなかった。現在の出品酒のほとんどは、杜氏の技術研鑽という本来目的から、原料米を35~40%まで磨く大吟醸酒で、どちらかといえば香りが重視される。多くの研鑽が得られる高い目標になるため、当社でも製造するが、量は少なく、看板商品というわけではない。当社では精米歩合50~60%の純米系で発酵から得られる旨味ある酒をつくるのが一番のテーマ。蔵元が目指すものと鑑評会の評価基準にはズレがあるように思う。杜氏にとっては最高級の大吟醸酒、しかも出品酒が最も腕の見せ所だろう。彼らが、だから低精白の造りに手を抜いているとは言わないが、蔵元はそういう酒も全力投球である。経営者と従業員の気持ちの差はおのずと出てくる。自醸蔵が増えつつある今、鑑評会の出品基準や評価基準がもう少し多様化してもよいのではないか。
●一石を投じる審査(酒販店の意見)
一般公開で県鑑評会上位酒を試飲して感じたのは、昨年までの入賞酒に比べ、大人しくまとまっている酒が多く、香りが一気に広がるような酒はなかった。正直な感想としては、一位になった酒はどちらも素晴らしかったが、入賞酒の中には従来の価値観からすると今一つ迫力のなさ、物足りなさを感じた。選考基準に、賞のための酒を除外し、なるべく市販酒と変わりのない酒を選ぶという一つの線があったようだ。鑑評会とはいったい誰のためにあるのか、原点を見つめ直す選考だろう。名古屋局については静岡県とは対極になる選考がなされたようだ。県では入賞すらしなかった開運が2年連続で首位賞に輝いた。全国の結果は顔ぶれから判断すると県と名古屋局の中庸に落ち着いた感がある。
店頭では、金賞をとったからといってその蔵の酒をすぐに推奨できるほどお客様は甘くはない。あくまでも通常流通している市販酒が旨くなければ、こちらとしても仕入れは出来ない。以前は金賞受賞の事実だけで酒が売れた時代もあったが、今は、どの蔵のどのタンクが受賞したのか?米は?酵母は?という情報を含めての評価になっている。自戒を込めて言えば、そんな耳年増のような飲み方でよいのだろうか?とも思う。
全国規模の鑑評会の存在意義とは全国的な基準があるということ。全国どこの蔵も同じような入賞酒づくりに励む今の状況は果たして健全だろうか?その全国の鑑評会が最上位で、次が国税局で、その下に県の鑑評会があるというヒエラルキーは打破すべきである。いっそのこと今のように広島に一堂に会する鑑評会はやめにして、地域ごとに分割した全国鑑評会を行えば、個性と地域性が出て面白い。どの地域に出品するかもフリーにしても良い。実現可能かは別にして、新潟の蔵が香り重視の地域鑑評会に出品して賞を取る…そんな図式があっても良い。したがって県が独自基準を決めるのは良いことだと思う。しかしその基準が一部の人たちの価値観だけで決められるのはいかがなものだろう。
●情報公開の大切さ(消費者の意見)
今回の静岡県の審査は、市販酒レベルでという意見を聞いたが、どの蔵が市販酒で出品したのかわからないし、審査の基準もよく分からない。そもそも鑑評会は一般消費者を意識していない閉鎖的なものだと思うが、かといって、鑑評会が酒造りの技を磨き、その成果を発表する場であるという蔵元が現在どれだけいるだろうか。審査基準が変わっても金賞受賞酒や受賞蔵と銘打った酒を多くの蔵が出している。売るための手段になってはいないか。鑑評会を続けるなら審査基準や方法、その他の付属した検査などをもっとわかりやすく公開することができればよいと思う。嗜好品を審査するわけだから、より開かれた、閉鎖的でない鑑評会が望ましい。一般公開は売り手や飲み手に出品酒を通してその蔵の実力を知るよい機会だと思う。
●参考意見/当社が全国新酒鑑評会に出品しない理由(県外の某蔵元が取引先に向けた説明書より)
今回より全国新酒鑑評会の主催者が国の機関である国税庁から、民間団体である独立行政法人に代わり、出品料を払えばどこでも出品することが可能になった。従来は地方国税局での審査が「予選」になっており、その予選を通過して初めて全国へ出品可能となったが、今年からどんな酒でも出品できるようになったということだ。実際、鑑評会の予審(一次審査)を通過できなかった酒の中には、およそ吟醸酒と呼べないレベルの酒もいくつかあった。出品点数が増えても出品酒全体のレベルが下がってしまうのでは意味がない。
近年、鑑評会で優秀な成績を収めるため、カプロン酸エチルなど強い香りを作り出す酵母株を使用することが必須となり、そういう株が人為的な突然変異や株同士の交配などにより、全国で開発されている。香りが強い酒は、香りと味のバランスからすると、香りに対して負けない味の濃さが必要となる。その結果、華やかさを超えて鼻につくほどの香りと、甘みが強く、クドい味の酒が入賞酒の主流になってきた。香りの強すぎる酒は、最初にひと口ふた口は飲めてもだんだん飲みづらくなってくる。香りと味のバランスが取れ、後味のキレの良い酒は飲み飽きせず、次々と杯が進む。当社が目指す吟醸酒はもちろん後者である。
そもそも鑑評会の目的は酒造技術者の技術練磨であったはず。誰が造っても香りが出る酵母を使い、およそ飲める酒とはかけ離れた味を酒を造ることにどんな意味があるのだろう。このような酒造りを続けて行けば、吟醸造りの技術自体が廃れていく。本来、吟醸造りは酵母の品種特性だけに頼るのではなく、麹造りなどの工夫で酵母の隠された能力を引き出し、香りと味のバランスを競うものだったはず。飲んでうまい酒、消費者に喜ばれる酒を造ることが蔵元の本分であり、様々な酒造りに対応できる技術の幅を身に着けるため、精進することこそが吟醸造りの本質ではなかったか。
この日の参加者は、静岡県清酒鑑評会の審査員を務めた松崎晴雄さん、そして造り手8名・売り手6名・飲み手21名。こういうテーマを公開討論する場に、当事者である蔵元が8名も参加し、本音を語ってくれたというのは大変なこと。改めて読み直して冷や汗をかきました。河村先生は会の活動には直接かかわってはいませんが、間違いなく先生が火をつけた熱い熱いディスカッション。先生の大いなる遺産に相違ありません。
先生が平成13年から導入した静岡県方式の審査は、先生が退官された後、従前の方式に戻りましたが、「静岡らしい香りと味のバランスのとれた酒」を評価する基準だけはしっかり残りました。その結果「県鑑評会には出品するが、名古屋局や全国には出品しない」蔵や、逆に「名古屋局や全国には出品するが県鑑評会には出品しない」という蔵も出てきました。ディスカッションで挙がった声が奇しくも反映されたといえます。
静岡県の酒は、昭和61年の全国新酒鑑評会での大量入賞によって注目を集め、その後も良しにつけ悪きにつけ、鑑評会の成績が造り手や売り手のモチベーションに大きな影響を与え続けてきました。吟醸酒ブームが一段落し、品質評価を取り巻く環境が多様化した今の世代からすると、ずいぶん古めかしくカタっ苦しい議論をしているなあ~と思われるかもしれませんが、時代の変わり目に河村先生が投じた一石を、造り手と売り手と飲み手が受け止め、同じ席で真剣に考え、意見を交わしたこの時間は、決して無意味ではなかったと思いたい。こうと決めたら一心不乱に追究せねば気が済まない先生の職人魂のようなものが、我々にも乗り移ったかのように真摯に語り合い、吟醸王国の国民たる資格を得た・・・そんな気がしてなりません。
先生の大いなる遺産、このささやかすぎるブログでしか発表の場がないというのは我ながら情けない話ですが、とりあえず今は、書くことが先生への供養になると信じることにします。