杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

ウズベキスタン視察記(その9)~商工会議所ビジネスミーティング

2018-01-10 22:19:25 | 旅行記

 10月18日午前中はタシケントにあるウズベキスタン商工会議所で現地企業人とのビジネスミーティングを行いました。商工会議所会頭のエイクラモフ・アドハム氏や投資部長のオレグ・リジチン氏から、ウズベキスタン経済の現況について解説していただき、商工会議所の会員企業20数社の代表と情報交換を行いました。予定時間を大幅にオーバーする熱のこもったセッションで、ウズベキスタン側の期待の大きさがひしひしと伝わってきました。ここでは会頭と投資部長の挨拶(抜粋)を紹介します。

 

(会頭)日本からようこそお越しいただきました。静岡は自然が豊かで日本の象徴である富士山があり、歴史も古いとうかがっています。皆さまサマルカンドに行かれたと思いますが、文化の町であると同時に経済的にも発展した町であり、静岡と似ているところがあると思います。

 ミルジョーエフ大統領が2017年2月に発表した国家戦略では、経済の自由化を念頭に置いています。ウズベキスタンは3200万人の人口を持ち、人口の6割が30歳以下。労働人口は全体の70,4%で、GDPに占める中小企業の割合は58~60%。経済発展能力は十分にあります。2017年6月19日の大統領令では商工会議所に、政府と企業の懸け橋になるべく大幅な権限が与えられました。このタイミングで皆さまに来ていただけたのは非常によかったと思います。

 日本は、ウズベキスタンが1991年に独立宣言したとき、それをいち早く認めてくれた国の一つです。以来、経済と文化両面で交流が進み、経済交流は4億ドルまで進展しました。業種では電力、エネルギー産業、観光産業、製造業等で経済協力が進んでおり、今回お越しいただいた静岡県企業の皆さまも同様の産業が多いと聞いて期待しております。

 ウズベキスタンが独立してからこれまで、日本からは累計300~500億ドルの円借款を受け、発電所の建設や教育面で活用しております。観光産業では日本人のお客様を非常に歓迎しております。というのも、ウズベキスタンの歴史を日本に紹介した加藤九祚先生という素晴らしい研究者のおかげで、歴史や文化に関心を持つ日本人がとても多いからです。非常にありがたいと思っております。政府は観光省を新たに設置し、観光産業を発展させる権限を広く与えました。日本の旅行会社はじめ観光関連産業の進出を大いに歓迎します。

 大統領は医薬医療分野にも力を入れており、この分野での企業進出を歓迎します。貿易関連ではウズベキスタンは今後、国際競争力のある製品をどんどん輸出していきますので、貿易関連企業ともぜひつながりを持ちたいと思っております。今回お越しいただいたメンバーには金融関係の方もいらっしゃるようですが、銀行とのお付き合いは非常に重要です。今日は当会議所会員で、海外企業との連携に関心の高いメンバーが集まりましたので、ぜひ有意義なミーティングをお願いできればと思っております。

 

(投資部長)中央アジアはエリア全体で約3億人の人口を有し、ウズベキスタンは地理的にも政治的にもその中心に位置しております。当商工会議所は2017年6月19日に組織改変され、スタッフが3倍に増え、ウズベキスタン最大の企業支援組織となりました。

 ウズベキスタンの経済力について説明しますと、過去10年のGDPは7,9%の伸び。2017年2月に大統領が発表した5カ年の国家戦略では、2017年から2021年までに649の投資プロジェクト=総額40億ドルの事業計画を進める予定です。9月2日には外貨取引自由化が発令され、経済改革が進むトップクラスの国として世界銀行ほか国際機関から評価されています。これからは鉄鋼、エネルギー、自動車産業、農業、半導体等の分野をさらに発展させていきたいと考えています。

 ウズベキスタンは天然資源が豊富で、光熱費もヨーロッパに比べて3分の1程度。経済特区が現在14あり、免税、無関税というメリットがあります。外国企業は5000社ほど進出しておりますが、経済の伸びしろを考えたら、まだまだ日本企業は少ないという印象です。ウズベキスタンにおける海外ブランドの半分に、日本企業のロゴが入ってほしいと願っているところです。

 ウズベキスタンでは再生可能エネルギーに関して非常に関心を持っています。汚染物質の少ない天然ガスが豊富ですから、今後はガスバロン製造と関連部品製造、点検サービス業等の周辺産業も期待できます。化学産業ではウズベキスタン国内で製造し、海外に輸出するという外国企業も入ってきております。医薬品関連は経済特区の7地区で力を入れており、食品産業、建築業も期待されています。綿花は輸出額世界第5位の主要産業ですが、繊維産業も急激に発展し、海外から約400企業が進出しています。

 観光産業の将来性についてはすでに実感されていると思いますので、お気づきの点があれば何なりとご指摘ください。教育分野では国内に66の大学があり、外国からも韓国、イギリス、イタリア、シンガポールの大学が進出して学術交流を行っています。ぜひ日本の大学の進出を期待しております。


 帰国後、このミーティングの通訳を担当されたヌルマトヴ・ベグット氏から日本語で丁寧なお礼メールをいただきました。ベグット氏のメッセージを紹介させていただきます。

「私にとって人間関係が何よりです。ですから日本の皆さんにウズベク人をアピールしていくことが何より一番効果があると思います。日本国民とウズベク国民の共通点はたくさんあると思います。
 
1.加藤九祚先生がウズベキスタンで発掘した仏教遺跡の数々。この国がかつては仏教を採り入れていたということは大きいと思います。
 
2.ウズベク語も日本語も言語アルタイ諸語に付属しています。日本語とウズベク語の文法はほとんど一緒で、文並び(動詞が最後に来るというパターン)も同じです。
 
3.親日派であるウズベク人は日本や日本国民のことが好きで、様々な分野で日本を参考にしています。例えば文化や伝統を、日本のように守りましょうという人々も大勢います。「おしん」のような日本のテレビドラマも大ヒットし、特に地方の人々に人気でした。
 
 日本ウズベキスタン協会(こちら)で参考になる情報をたくさん発信していますので、ぜひ参考になさってください。」
 
  ウズベキスタン商工会議所の皆さま、本当にお世話になりました!(つづく)



 

 

 


ウズベキスタン視察記(その8)~サマルカンドの今昔

2018-01-10 16:37:37 | 旅行記

 サマルカンド2日目の夜は自家栽培の野菜が味わえる農家レストランで家庭料理を堪能し、二次会には夜はダンスホールに早変わりするダイナーに。意外なことに、遅い時間でも女性客が多く、しかも、幼い子どもを連れた若いママ、その母親と祖母というように、母娘3代そろってお酒を飲んだりダンスを楽しんだりしていたのです。結婚式の二次会のようなファミリーグループもいました。ふつうの女性がとにかくみんなモデルさんみたいに美しくて、同じフロアに立つのを躊躇しちゃうくらいでしたが、彼女たちは日本人にとても友好的。向こうから一緒に踊ろうとか、一緒に写真を撮ろうと声をかけられ、ツアーの男性諸氏は終始デレデレ状態でした(笑)。

 今回の旅では、ホテルでは必ずといってよいくらい結婚式、レストランでは祝宴、観光地では新婚旅行中のカップルに出合いました。平日でも休日でも年がら年中、結婚式があるんだなあと驚いたのですが、通訳のマルーフさんによると、ウズベキスタンの結婚平均年齢は男性22~27歳、女性19~22歳ぐらいで学生結婚が多いそうです。女性は25歳を過ぎると完全に晩婚扱い。そういえば私が20代のころは日本でも「女性の賞味期限はクリスマス」なんて言われて憤慨してましたっけ(苦笑)。

 とにかくこちらでは結婚式というのは大変なイベントで、朝は新婦の家でプロフ(ウズベキスタンのピラフ)を招待客の1.5~2倍分(300人招待なら400~600人分)は用意し、お昼は新婦宅で新郎が食事。夜は新郎が正式な結婚式を執り行い、真夜中まで延々と宴会になります。2日目は朝、新婦が新郎の一族1人につき3回挨拶礼をし、昼は新郎がプロフを食べながら初夜のアドバイスを受けるそう。夜、新婦は処女である証拠!を紙3枚に残さねばならず、結婚後、すぐに子どもが出来ないと病気が疑われるそうです。そう聞くと、ギョッとしちゃいますが、日本がかつてそうだったように、国が成長発展していく過程で人権に対する意識も少しずつ変化していくのでしょう。

 イスラム教では、天国へ行くには死ぬまでにやらなければならない5つのことー①神に疑いをもたない、②毎日5回のお祈り、③年1度のラマダン(断食)、④年収の4分の1を寄付、⑤死ぬまでにメッカを参拝するーがあるそうです。社会主義体制から独立し、自らの力で国を豊かにしていこうとする若い世代がこのような戒律や伝統習慣をどんなふうに継承していくのか、日本の戦後の高度経済成長時代の社会と重なるのか異なるのか、注目していきたいと思いました。

 

 10月17日、サマルカンド3日目の朝は、早起きした男性諸氏とホテルの周辺を散歩しました。

 

 新市街の中心、ウニヴェルスィチェッティ大通りとレギスタン通りの交差点に建つのはティムールの堂々とした像。その近くのルハバット廟モスクで日の出時間のお祈りに参加することができました。外をうろうろしていたら、管理人さんが入れ入れと気さくに招き入れてくれたのです。意味は分かりませんでしたが人々が唱和するコーランはとても心地のよい調べ。後で調べたら、このルハバットとは「霊の棲家」という意味で、預言者ムハンマドの遺髪を治めた箱が一緒に葬られたという言い伝えがあるそうです。ちょっとビックリ。

 

  日中は中央アジア指折りの名所・シャーヒズィンダ廟群と、中央アジア最大級のビビハニム・モスク、そしてサマルカンド観光の名所ジョブ・バザールを巡りました。

シャーヒズィンダ廟群にはティムールゆかりの人々の11の廟がほぼ一直線に並びます。メインストリートの両側に立ち並ぶ霊廟の美しさは言葉にはできないほど。サマルカンドが「青の都」「イスラムの宝石」と称される意味がよくわかりました。

 

 ウルグベクが造った入口の階段は数えながら登り、帰りも数えながら下って同じ段数だったら天国に行けるそうです。私は後ろを振り向いては写真を撮ったりしていたので、途中から数えるのをあきらめました。

 「シャーヒズィンダ」は“生ける王”という意味で、なんでもムハンマドの従兄クサム・イブン・アッバースが布教中に異教徒に首をはねられてしまうが、自らの首を抱えて礼拝し続け、深い井戸に入って眠りにつき、イスラムが危機に陥った時、復活する・・・そんな伝説が残っているそう。アッバース廟はモンゴル襲来のときも破壊されずに残ったサマルカンド最古の建造物で、ここを3回参拝するとメッカに行ったのと同じ効力があると信じられているそうで、世界各地から観光や巡礼にやってきた人々でにぎわっていました。せっかくなので我々も礼拝所におじゃまして、伝説の英雄に黙とうを捧げました。

 

ビビハニム・モスクはティムールの美妃ビビハニムゆかりのモスク。1399年、ビビハニムはインド遠征から凱旋帰国する夫ティムールのために当代随一の巨大モスクを建て始め、5年後に完成。その1年後にティムールは亡くなります。なんでもいわくつきの建物らしくて、イケメン建築家がビビハニム妃に恋焦がれ、彼女の頬にキスをしたらその後がアザになってしまい、帰国したティムールに発覚。激怒したティムールは建築家を処刑し、妃は生涯黒いベールで顔を隠すことに。落成後は礼拝中の信者の上にレンガが落下する事故が続き、度重なる地震で一部崩壊もし、現在は完成直後の60%しか残っていないとか。あらら。

 モスクの中庭にはウルグベクが寄進した大理石の巨大なラウヒ(書見台)が置かれています。タシケントのハズラティ・イマーム・モスクにあった世界最古のコーランを置くためのもので、ラウヒの周囲を3回廻ると願い事が叶うという言い伝えもあるそうです。

 ビビハニム・モスクに隣接したジョブ・バザールは庶民も観光客も楽しめる一大青空市場です。クレジットカードや日本円は使えませんが米国ドルはOK。観光客向けの店では現地通貨よりも米国ドルのほうが計算もしやすく値切りもしやすく、日本では10万円ぐらいするペルシャ絨毯を見事3万円でゲットした人もいました。なにせ現地のお札スムは、1000(約14円)、5000、10000、50000と、とんでもないインフラ通貨。その場で円に換算して交渉するなんてとても無理でした(苦笑)。

 

ウズベキスタンの人気のお土産は干しブドウとナッツ類。バザールの業者さんで一人だけ異様に売れ行きの良いおじさんがいて、自然にみなが集まって、みんなで値切り交渉をして楽しいお買い物ができました。人気店だけあって、干しブドウもナッツも日本では味わったことのない美味しさでした!(つづく)