私がお手伝いしているNPO法人活き生きネットワークが、昨年、発足30周年、法人化15年の節目を迎え、先月2月23日には記念式典が静岡県男女共同参画センターあざれあで執り行われました。耳の聴こえないピアニスト・宮本まどかさんのトーク&コンサートのほか、県内の福祉団体がバザーや交流イベントに集まってくれて、とてもアットホームな式典でした。
私は午後1時から始まったあざれあ大ホールでの式典とまどかさんコンサートの司会進行役を仰せつかっていたので、バタバタしていて取材する時間がありませんでした。当日の詳細は活き生きさんのブログ(こちら)でご確認ください。
午前10時、あざれあ小ホールで始まった開会式では、理事長杉本彰子さんを長年支えた多くの同志や仲間がそろい、ささやかなクス球割りでスタート。彰子さんの“心友”であるはままつフラワーパーク理事長の塚本こなみさんが代表で祝辞を述べられました。
ちなみに開会式の司会進行は、会議ファシリテーターで有名な小野寺郷子さん。進行方法、しっかりパクらせてもらいました!
こなみさんからの「私はよく、“回遊魚”だといわれます。泳ぎを止めたら死ぬと。彰子ちゃんもまだまだ泳ぎ続けてください」とのお言葉。還暦を過ぎ、一線を退こうとしていた矢先に、赤字で苦しむはままつフラワーパークの経営再建を託され、ふたたび猛烈な勢いで泳ぎ始めたこなみさんらしい力強いメッセージに、「とてもムリムリ」と苦笑いされていた彰子さんですが、来月4月下旬には事務所のある安東1丁目(静岡高校グラウンド横)に、障害児のためのデイケア施設を新設するなど、彰子さんの“泳ぎ”の速度も加速する一方です。
お2人とは20年以上のおつきあいになりますが、本当に、一度も減速することなく圧倒されっぱなしです。
一流大学を出て官公庁や一流企業でキャリアを磨く女性や、女性ならではの知恵やアイディアで起業家として成功する女性はたくさんいますが、彰子さんやこなみさんは、草の根からスタートし、他者が避けてきた社会の負の部分に真正面から向き合って、社会を変えた力の持ち主。・・・なんて書くと、かつてのウーマンリブや左派フェミニストのようなイメージを持たれるかもしれませんが、お2人からは、いつもいつも、底知れない母性や慈愛というものを感じます。
今、読んでいる『ゆかいな仏教』という本にあった、隣人愛と慈悲を解く一節がフッと、腑に落ちました。
「愛には、限界というか困難があります。愛は、もともと、自分にとって身近であったり、価値があったりするような他者や物に向けられるからです。愛は、本来、自分にとって近い他者にのみ執着し、他を排除する性質をもっている」
「このような愛は、正義とか公正性ということに反する。気にいった人、身近な人を優遇したのでは、正義とは言えない。愛は、人間の広い共同性とか、人間の複数性・多数性ということを成り立たせることができません。正義は、第三者―というか神の観点からした公平性に関わっているので、身近な人への愛とは対立します。そこで、ユダヤ教では、法を重視する。法は、だから、原初的な愛へのアンチテーゼという側面があったと思います」
「キリストの隣人愛というのは、その法に対するアンチテーゼです。もともとの素朴な愛に対しては、否定の否定になっています。そういう愛は、もとの愛とは、まったくの裏返しのものになる。つまり、キリストが説く隣人愛は、近い人への愛ではなく、敵のような最も遠い他者への愛になる。あるいは、価値ある他者への愛ではなく、罪人のような最も価値のない者への愛になる」
「『慈』というのは、ある意味で、最も近い他者への愛です。いや、最も近いというより、距離ゼロの他者への愛といったほうがよい。(中略)ブッダは、すでに、自己も他者もない、自己と他者の区別がないという境地に入っていますから、普通に見れば最も縁遠い他者ですらも、ブッダにとっては、自分自身なのですね。その他者は、実は自分自身なのだから、それに対しては『慈』の感情を抱くのでしょう」
「『慈』というのは、他者にある『価値』を認めるからこそ感じる愛ではないか、と思いました。その他者にも、ほんとうは仏性があって、覚る可能性を秘めているのに、まだ覚っていない。その意味では、ブッダから見ると、劣位にあるわけですが、『ほんとうは覚りに至りうるはずなのに…』と思うから、『慈』の感情がわいてくるのです。その『覚りうる』というポテンシャルが『価値』ですね」
『ゆかいな仏教』(橋爪大三郎・大澤真幸著/サンガ新書)P140~142より抜粋
私のような劣位の人間は、こういう解説本にしがみつくしかないのですが、彰子さんやこなみさんは、宗教を学んだり実践しているわけではないのに、慈愛をカタチにしている。活き生き30周年で集った方々や、フラワーパークの改革に汗を流すスタッフの皆さんを見ていると、自然にそう思えてきます。
活き生きネットワークでは、福祉職の人材不足という難問に真正面から向き合い、県やハローワークから受託され、求職者を対象とした『福祉・介護職の魅力発見ツアー(参加費無料)』を昨年9月から今月まで、月3回、県東部・中部・西部で開催してきました。いろいろな介護施設の視察ができ、現場スタッフの生の声が聞けるとあって、私は半ば取材者気分で、全ツアーの運営をお手伝いしました。
昨日(3月13日)で全ツアーが終了しましたが、毎回、20人~40人参加し、年齢層も10代から70代までさまざま。もちろん、ツアー参加の目的もさまざまだと思います。こういう求職支援事業が必要なぐらい人材不足だという現場で働く人の思い、施設を経営しようと思った人の思い、さらには施設の利用者やその家族の思い・・・福祉は、さまざまな人の思いの遭遇・摩擦・融和が積み重なっている分野だと切実に感じました。
数多くの施設を訪問し、代表者の思いをうかがいましたが、とりわけ、心に残ったのは、昨日、訪れた静岡市駿河区丸子の(有)生陽会 の山本茂樹さん、沼津のNPO法人マムの川端恵美さん、富士のインクルふじ(左写真)の小林不二也さん、袋井のデンマーク牧場福祉会の松田正幸さん、浜松のここ倶楽部の見野孝子さん、浜松のNPO法人クリエイティブサポート・レッツの久保田翠さん。・・・静岡県が誇る福祉分野のプロフェショナルたちです。
素晴らしいと思ったのは、この方々のキャリアもさることながら、彼らの元で働いているスタッフが活き活きとしていたことです。厳しい現場でも、しっかり活かされている。彼らの価値が、誰かの支えになっていることを、彼ら自身、実感している=覚っているのではないかと思えました。
彰子さんが、30周年記念式典でも、魅力発見ツアーの講座でも繰り返し語り続けてきたのは、「できる・できないか、ではなく、やるか・やらないか」。この原動力は、キリストの隣人愛とブッダの慈悲が融和したような、底知れない慈愛なんだと思います。
こうして言葉で書くと、どうも自分でも薄っぺらく感じてしまうんですが、うまく表現できないのは、私自身、修業不足というか、慈愛不足に間違いない(苦笑)。
このところ眼精疲労がひどくて、パソコンに向かう時間を減らしていたのですが、久しぶりにブログでも、と、簡単に活き生きさんの活動報告を書くつもりが、またまた長い駄文になってしまいました。すみません。