杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

セーラー服時代の聖書から

2012-12-24 20:42:23 | 本と雑誌

 今年のクリスマスイブは、バイト先のお寺でまるまる一日大掃除。達磨大師の像を磨きました。キリスト教とはもっとも程遠い空間で過ごしたわけですが、まあ、そもそも、ちゃんと教会でキリストの誕生を祝う人が世の中に何パーセントいるんですかね(苦笑)。・・・クリスマスって考えれば考えるほど不思議な行事です。

 今年は8月のアメリカ旅行で訪ねたサンタフェの教会、11月にホームカミングデー(同窓会)の記念礼拝で訪ねた母校の礼拝堂と、教会で印象深いひとときを過ごしました。

 信者ではないけれど、中学・高校6年間、毎朝の礼拝で使ってボロボロになった聖書は、30年以上経った今でもすぐ手の届く場所に(禅宗の経典も一緒に)置いてあります。いい言葉がやっぱり多いんですね。コピーを考えるとき、参考にすることもあります。

 Imgp1060

セーラー服を着ていた頃、真面目に聖書を読み、心に残った聖句に赤線を引いた、その箇所を、あらためて読み返すと、なんともピュアな気持ちになります。有名なフレーズもあれば、なんでここに線を引いたんだろうと思える箇所もありますが、ちょっと紹介しますね。こうして言葉を書き写すことぐらいしか出来ない私からの、ささやかなメリークリスマスです。

 

 

 

「あなたがたは地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味を取り戻されようか」(マタイによる福音書 5章13)

 

「もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」(マタイによる福音書5章39)

 

「あすのことは思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である」(マタイによる福音書6章33)

 

「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」(マタイによる福音書7章12)

 

「だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋もむだになる。だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。そうすれば両方とも長もちがするだろう」(マタイによる福音書9章17)

 

「敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ」(ルカによる福音書6章35)

 

「見ないで信じる者は、さいわいである」(ヨハネによる福音書20章29)

 

「患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すことを知っているからである。そして希望は失望に終わることはない」(ローマ人への手紙5章3)

 

「あなたがたも、賞を得るように走りなさい。(中略) わたしは目標のはっきりしないような走り方はせず、空を打つような拳闘はしない」(コリント人への第一の手紙9章24-26)

 

「愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない。誇らない。不作法をしない。自分の利益を求めない。いらだたない。恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」(コリント人への第一の手紙13章4-7)

 

「だから今、それをやりとげなさい。あなたがたが心から願っているように、持っているところに応じて、それをやりとげなさい」(コリント人への第二の手紙8章11)

 

「ひとりびとり、自分の行いを検討してみるがよい。そうすれば、自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるであろう。人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うべきである」(ガラテヤ人への手紙6章4-6)

 

 


最新の画像もっと見る