杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

鞆の酒蔵からの手紙

2007-12-26 10:26:35 | 朝鮮通信使

 昨日、思わぬ方からクリスマスレターが届きました。広島県福山市鞆の石井六郎さん。静岡市製作の映像作品『朝鮮通信使~駿府発二十一世紀の使行録』のロケでお世話になった、鞆の郷土史研究家です。この映画のお話は、追々させていただくとして、鞆は、朝鮮通信使が寄港した瀬戸内海の港町で、雁木と呼ばれる階段状の船着場、常夜燈、波止場、焚場と呼ばれる船の修理場など、日本の近世の港がそのまま残る町。時代とともに変化しやすい港が、200年も300年も完全に近い形で残っているという例は、世界的にも珍しいそうです。幕末には坂本龍馬がかかわった「いろは丸事件」の舞台にもなりました。

Photo さすが歴史ある町だけあって、私が愛する<寺>や<酒蔵>がいたるところに点在します。石井家(写真)は『高鞆』という酒銘で知られた13代続く造り酒屋で、朝鮮通信使がやってきたときは、炊事役に駆り出された福山藩士の宿となり、朝から晩まで飯炊きに追われたそうです。

 石井家に、朝鮮通信使の直筆の句が短冊となって残っていると聞いて取材にうかがったところ、当主の石井六郎さんから鞆の酒造史や、西条や三原などの酒どころとの違いなど、地酒ネタがポンポンと出てきて、通信使ではなく、酒の話で盛り上がり、楽しいひとときを過ごしました。「そういえば古い箪笥からこんなんが出てきよった」と、おもむろに見せてくれたのが、福山藩主阿部伊勢守の直筆書状。博物館に展示されてもおかしくないものが、ポンと出てくるのを目の当たりにし、「酒蔵は歴史の宝庫だ!」とまざまざ実感しました。

 ご高齢で体調も思わしくない石井さんに代わり、撮影時には奥様に画面にご登場いただき、国賓である朝鮮通信使と日本の民衆の交流の一端を紹介することができました。

 完成したDVDをお贈りしてから半年。石井さんから届いた手紙は、「失明寸前になり、なんとか貴女にお礼と感想を書かねばと一大決心して筆を取りました」という書き出しで始まり、便箋5枚にわたって厳しさと寛容さが交互した所見が綴られていました。メール全盛の昨今、直筆の手紙、それも、最後のほうは文字が乱れて判読が難しい…というような手紙をいただく経験は、めったにないことです。

 私がパソコンで書いた『朝鮮通信使』の脚本は、映像という形で残るにしても、文書としての価値はなく、文書として残ることもありえません。でも、私にとって石井さんの手紙は、石井家の残された通信使の短冊や殿様の書状と同じくらい、永く永く残るものとなるでしょう。

 体力を使って書く直筆文字の逞しさ…どれだけ技術が進んでも、この価値を忘れてはいけない、と痛感します。来年は、古文書解読の勉強を始めようと思っています。

 


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