昨日(26日)は久しぶりに車で遠乗りしました。午前中は浜松市天竜区(旧天竜市)にある木材製材業フジイチさんで打ち合わせ。新開発の合板パネルのネーミング&キャッチコピーを考案するお仕事です。正直、最初は、木材の知識なんて皆無だし、モノも固そうで自分に書けるかなぁと不安に思いましたが、営業担当の内山忠彦さんが、こちらがリクエストするまでもなく、森林環境や林業の現状と課題を、データをもとに懇切丁寧に解説し、会社の姿勢を明確に示してくれたおかげで、ずいぶん気が楽になりました。
フジイチは、天竜川水系の天竜杉・天竜檜だけを扱う会社。しかも、自社で伐採から製材加工販売まで一貫して行う、すなわち、伐採要員(木こり)を社員で雇用する国内でも珍しい会社です。一般の木材業者というのは、原木市場で買い付けた材木を製材するというのがほとんどで、森で木を伐採している現場を見たことがなく、杉と檜の見分けができないという業者もいるとか。
国産材は安価な外材に圧され、冬の時代が続きましたが、このところの外材高騰の影響で、再び見直されているそうです。とくにロシアが原木に80%もの関税をかけ、「製材はいいが原木は輸出しない」方針を強引に打ち出したため、ロシアアカマツの輸入に頼っていた日本海側の業者はタイヘンだとか。フジイチも過去はロシアアカマツを扱っていましたが、木を見ないで相場だけで売り買いする商社のやり方に振り回され、「どうせ苦労するなら、努力のしがいがある地元材に特化しよう」と、腹をくくり、外材NO宣言をしました。
さらに、昨今の環境問題が追い風となり、森林の環境を守る=林業を元気にするという認識が徐々に高まり、国産材は、新たな注目を集めています。いち早く舵の切り替えを遂げたフジイチは、製材の扱い量では県内随一の企業となりました。
ひとくちに森林といっても、天然の自然林と人の手で植林された人工林とに分けられ、自然林率は、日本の国土のうちの67%で人工林率は40%。静岡県は自然林率65%で人工林率60%。さらに市町村合併後の浜松市は自然林率68%で人工林率77%と、全国屈指の高さを誇ります。ちなみに、1000万ヘクタール以上の人工林を持つ国は、世界で中国、ロシア、カナダ、日本の4カ国しかなく、他の3カ国の面積を考えると、日本の森林率が突出していることがわかります。
三菱総研がまとめた調査によると、森林の二酸化炭素吸収の経済効果を算出すると年1兆2391億円、表面侵食防止は28兆2565億円、表層崩壊防止は8兆4421億円、洪水緩和が6兆7407億円、水質浄化は14兆6361億円になるそうです。これら森林の多面的機能の経済効果はトータル70兆円/年。しかし現在のキャッシュフローから見た林業の経済効果はたった2000億円/年。参考までに農業は8兆8000億円、水産業が1兆6000億円です。
森林率が際立って高い国土を持つというのに、日本の林業はその資産価値を十分発揮していないことが、こういう数字からも解ります。逆に言えば、資産価値が伸びる余地が十分あるということ。
杉は、樹齢10~20年ぐらいの“青年期”に、人間と同様、ものすごい量の二酸化炭素を吸って成長し、その後徐々に吸収率は低下して50年ぐらいでピークのほぼ半分に落ち着くそうです。とはいえ、木は体内に炭素を固定化する性質を持つため、樹齢50年ぐらいの杉を切って建材にし、その後に新しい杉を植えれば、二酸化炭素吸収のサイクルが途切れないというわけ。日本は1950年頃から国策で植林を進め、30年で人工林は2倍に増えました。それらがちょうど50歳を過ぎた今こそ木を積極的に使うべきなんです。
京都議定書で日本に課されたマイナス6%のうち、3,9%は森林吸収でまかなうことになっているそうです。森林対策はまったなしの課題なんですね。
かつての日本は、生活の中で木をふんだんに消費していたので、明治24年当時の森林率は今よりずっと低い45%だったそうです。確かに、安藤広重の浮世絵などに出てくる風景にはハゲ山が多い。人間が集団で住めば、その周辺の森林はあっという間になくなる。実は、はるか昔の平城京や平安京などの遷都も、森林を消費し尽して、やむにやまれず遷都したという側面もあったとか。すごい話です。
人工林(植林)が文献に初めて登場するのは吉野(奈良)で1500年代。実は天竜は1400年代に始まっていたらしく、記録さえ見つかれば日本最古の称号が得られるそうです。
フジイチさんで興味深い話をたっぷり聞き、次回の打ち合わせ日程を決めて失礼した後、春野町の春埜山大光寺まで車を走らせました。樹木医・塚本こなみさんが“私の心の一木”と愛してやまない春埜杉を、急に見たくなったのです。
訪れるのは10年以上前に、こなみさんに連れていってもらって以来。ところどころ山の斜面が崩落していて、通行止めになってもおかしくない細く険しい山道、しかも霧で視界が遮られ、途中、何度も引き返そうかと心細くなりましたが、寺に着いて参道を進むと、突然、視界に、巨大なクモのような大杉が。思わず、ヒクッと声を上げてしまいました。本当に生き物の気配を感じたのです。
人の気配はまったくなく、深々と静まり返った境内。巨体に霧をまといながらそびえ立つ大杉は、それ自体、まさにご神体です。大杉の前には、昔はなかった立て看板と賽銭箱が。しかしそんな人工物はまったく気にならず、ただただ圧倒されました。
この一角だけ、異次元空間でした。この感覚は、東大寺二月堂お水取りを夜通し見て以来です。
高さは43メートル、目通り14メートル、枝はりは31メートル、そして樹齢は1300年。大光寺の開祖・行基上人が植えたものだそうです。平城京遷都(710年)の頃に生まれたんですね。人間に消費し尽くされた森林がある一方で、1300年間、生き続ける木もある。そして人間の畏敬の存在となっている…。
寺田寅彦が「西洋の科学は自然を克服しようとする努力の中で発達したが、日本の科学は自然に順応するための経験的な知識を蓄積することで形成された」と指摘したように、人工林は、木を生かし、生かされてきた先人の知恵の結晶。しかも70兆円の宝が眠っている場所です。そして天然林は、人間がなかなか近づけない場所ゆえに生きながらえてきたわけですが、たまにこうして近寄ってくる人間を、この世のものとは思えない力で包み込んでくれる。
天然林は日本人の魂を、人工林は日本人の暮らしを支える存在だということを、如実に実感した一日でした。