国際白隠フォーラム2015のレポート第3弾です。7月19日13時15分から始まったプラザ・ヴェルデ開館1周年記念行事では、オープニングパフォーマンスで小田原外郎売の口上研究会の皆さんが『見性成仏丸方書・売の口上』を披露されました。
小田原の外郎(ういろう)売りの口上・・・私は初めて拝見しましたが、歌舞伎ツウの方ならご存知のようですね。外郎売りは二代目市川團十郎が享保3年(1718)に初演した市川家歌舞伎十八番。親の敵を討つため曽我兄弟の弟・五郎が外郎売りに変装し、侵入先で「武具馬具ぶくばぐ三ぶくばぐ・・・」と早口言葉の口上を述べる。二代目團十郎が初演した1718年、白隠さんはちょうど33歳で、どうやらこの芝居をライブでご覧になっていたそうで、すっかり気に入り、禅の教えを薬売りの口上にアレンジして書いたのが「見性成仏丸方書・売の口上」でした。一部ご紹介すると、
私ことは、小田原勇助と申しまして、生まれぬ先の親の代から、薬屋でござります。(略)私売り広めますところの薬は、見性成仏丸(けんしょうじょうぶつがん)と申しまして、直指人心(じきしにんじん)入りでござります。この薬をお用いなされますれば、四苦八苦の苦しみを凌ぎ、三界浮沈の苦しみも、六道輪廻の悲しみも、即座に安楽になりまする。(略)この薬の製法と申さば、先ず趙州の柏の木を宝剣斧で切り、六祖の臼ではたき、馬祖の西江水を汲み取り、大灯の八角盤で練り立て、白隠が隻手にのせ、倶胝の一指で丸め、玄沙の白紙に包みまして、その上書を、禅宗臨済郡花園屋見性成仏丸と記します。
「直指人心 見性成仏」は白隠さんが達磨画の賛によくお書きになる言葉。心の根本をスパッと指し示し、「誰もが持っている仏性に目覚めなさい」という禅の大切な教えですね。これを、ガマの油売りの口上みたいに抑揚をつけ、身振り手振りを添えて聞かせるとは、確かに、お坊さんの説教よりも楽しいかも!(笑)
ちなみに、素人なりに調べてみたんですが、「趙州の柏の木」とは、無門関第三十七則に出てくる庭前柏樹という公案(禅問答)。趙州という中国の禅僧が小僧に「達磨さんは何のためにインドから来たのですか」と質問され、「前の庭に植えてある柏の木さ」と答えたとか。「六祖の臼」の「六祖」とは、達磨から数えて6代目の禅宗の祖・慧能(えのう)のこと。見性成仏を説いた方ですね。「馬祖の西江水」とは茶席の禅語で知られる「一口吸尽西江水(いっくにきゅうじんす さいこうのみず)」のことでしょう。馬祖禅師が「悟りとは大河(揚子江)の水を一口で飲み尽すようなもの。生半可な状態で停まらず、あますことなく一切を吸収し、無となれ」と説いたもので、千利休が師の古渓和尚から教えられ、大悟したと伝わります。
「大灯の八角盤」は碧眼録に出てくる大燈国師のエピソードで、非禅宗派の守旧派僧たちと議論した際、大燈が「禅とは八角の磨盤、空裏に走る」と答えた。八角の磨盤とは八頭の牛馬に引かせる石臼or八角の空飛ぶ古代武器とも言われ、どんな堅いものでも粉砕するもの。これで守旧派を論破したそうです。「白隠の隻手」は白隠さんの有名な公案「両手でポンと打つと音が鳴る、では片手ではどんな音が鳴る?」ですね。「倶胝の一指」は唐の時代、何を尋ねられても指一本立てるだけの倶胝という禅僧がいて、あるとき指一本立てる真似をしていた小僧の指を切り落としてしまったという痛いお話。「玄沙の白紙」は唐の禅僧玄沙師備が兄弟子の雪峰に白紙の手紙を送り、受け取った雪峰は「君子千里同風」と答えた。「遠くはなれていても仏法はただ一つ。心は通ず」という意味だそうです。
続いて芳澤勝弘先生の基調講演『白隠と大衆芸能』。今回は「鳥刺し図」「傀儡師(くぐつし)=人形遣い」「宵恵比寿」「布袋春駒」といった一見、戯画か漫画のようなユーモラスな白隠禅画を紹介してくださいました。実は7月11日に名古屋徳源寺で開かれた『中外日報宗教文化講座・禅の風にきく』で芳澤先生が「鳥刺し図」を解説してくださり、続けて拝聴したおかげで素人なりにも理解が深まったので、ここでは「鳥刺し図」について取り上げたいと思います。
鳥を捕獲する「鳥刺し」。黐竿(もちざお=モチの木の樹皮から取った粘着材を塗った竿)で野鳥を刺して(ひっかけて)捕まえる人のことで、江戸時代には、鷹匠に仕え、鷹の餌となる小鳥を捕まえていたそうです。刺した鳥は食用または観賞用にも利用され、メジロやウグイスなど声や姿が美しい小鳥は多くの愛好家が競い合って入手しました。もちろん現在の日本では鳥獣保護法で野鳥の無断捕獲は禁止されています。
白隠さんが描いた「鳥刺し」はこれ。講演レジメのモノクロコピーを引用させていただいたので、見辛いと思いますが、鳥刺しの男が長~い黐竿で狙っているのは、なぜか鳥ではなく草鞋の片方。右上には「子ども、だまれ なんでもはいてくりよと思ふて」、左端には「ばかやい そりや鳥ではない、わらんじだはやい」と掛け合いトークみたいな賛が書かれています。
トークを現代ふうに再現すると、左から先に「ばっかだなあ、そいつぁ鳥じゃないよ、草鞋じゃないか~」。これを受けて右が「小僧だまれ、オレは何が何でもこの草鞋を履いてやろうと狙ってるんだ」。右の台詞はこの画に描かれた鳥刺しの男。左の台詞は画には描かれていないけど、悪気がなく思ったまんまのことを言った子どもでしょう。白隠さんはなぜ台詞の主の子どもを描かなかったのでしょうか。
芳澤先生の解釈によると、子どもをあえて描かなかったとしたら、この台詞は二次元の画を三次元で観ている我々の台詞、ということになり、白隠さんは「おまえたち、この画を見て鳥じゃなくて草鞋を狙っている鳥刺しを滑稽だと思ってるだろう?」と問いかけて、さらに、主人公の鳥刺しに「何が何でも草鞋を履こうと狙っている」と言わせた。片方の草鞋というのは、禅学をかじった人ならピンと来ると思いますが〈隻履西帰〉を意味します。
禅の始祖・達磨が中国(当時は魏国)で亡くなって3年後、北魏の宋雲が西域から帰る途中、死んだはずの達磨が自分の草履の片方を手にして西の方に帰るのに出会ったという。その話を聞いた魏の明帝が、あらためて達磨の墓を調べさせたところ、そこには草履が片方しか残っていなかったという故事です。片方の草履とは達磨を象徴するアイコンで、それを何が何でも履きたいという鳥刺し男は、白隠さんご自身かもしれないし、そのような思いで直指人心見性成仏に努めなさいという白隠さんのメッセージかもしれない。隻履西帰の情景をそのまんま描くのではなく、江戸時代の衆生に親しみやすいモチーフで多少のヒネリを加えて描いた。当時の大衆芸能や風俗をよく観察しておられた白隠さんならではの作品ですね。
この鳥刺し画、現在、確認されているだけで5枚あるそうです。もちろん、浮世絵みたいに量版したわけではなく、白隠さんが送る相手一人ひとりに手描きしたもの。白隠画はそのほとんどが、相手に合わせ、オーダーメイドで描いたものですから、一体誰に宛てて描いたのか、興味をそそられますが、多くは持ち主が次々と入れ替わってしまって、白隠さんが最初に誰のために描いたのかわからないそうです。
先生の講演では、途中で伊東市宇佐美の阿原田神楽保存会が演じる『鳥刺し踊り』が披露されました。写真は翌20日に開かれた第19回静岡県民俗芸能フェスティバルで全幕上演された鳥刺し踊りの一部分。鳥刺し奴(やっこ)に身をやつした曽我兄弟の弟・五郎が村人と戯言を交わす場面と、兄に仇討ちの本意を疑われ、斬られそうになるシーンです。ここでも曽我兄弟の仇討ちがモチーフになっていたとはビックリ。曽我兄弟が相模~伊豆一帯でいかにメジャーな存在だったかがわかりますね。
白隠さんの「鳥刺し図」。たった1枚の禅画から、実に奥深い禅の教えや豊穣な地域文化が伝わってきて、この画1枚で、何本もの映画やドラマや舞台芸能が産み出せそうです。最初に描いてもらったの、誰だろう・・・。ホント、興味が尽きません。