杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

茶禅一味の京都課外授業その1

2014-06-24 09:42:40 | 駿河茶禅の会

 6月14~15日、静岡県ニュービジネス協議会の有志勉強会『茶道に学ぶ経営哲学研究会』の仲間10人で京都をまわりました。

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 3年前の発足以来、裏千家インターナショナルアソシエーション運営理事を務める望月静雄(宗雄)先生を師に、茶道の基本的な所作はもちろん、茶の歴史を禅宗とのかかわりの中で学んできたのですが、たまたま私が坐禅に通う京都・堀川寺之内の興聖寺で、今月、古田織部400年忌の記念行事があることから、京都で課外授業を行なうことに。望月先生の特別アテンドで、修学旅行や観光旅行でもなかなか行けない貴重なスポットを訪ねました。定期的に京都に通う私にとっても初めての場所が多く、実に有意義な2日間でした。

 

 

 

 

 

Photo 14日は京都駅に10時前に集合し、まず当夜の宿泊先、相国寺の側にある京町家・相国寺庵(こちらを参照)に荷物を置きました。古い町家を1棟まるごと借りるシステムで、管理会社にネットで予約し、玄関ロックの暗証番号を教えてもらい、チェックインやチェックアウト時も管理人と顔を合わせることなく我が家のように利用できる。家族やグループで何泊かするときは便利です。以前から京町家に泊まってみたかったという平野斗紀子さんがお膳立てしてくれました。

 

 

 

 

 

 最初に相国寺承天閣美術館を見学する予定でしたが、運悪く展示入替えで休館中(よかったら5年前に訪ねたときの記事をどうぞ)。同志社大学のキャンパスを脇に見ながら、タクシーで大徳寺へ。最初に千利休の墓がある大徳寺塔頭聚光院(非公開)を訪ねました。

 

 

 

 

 

 Photo_4 千利休と三千家の菩提所である聚光院は、茶道を嗜む人にとってのいわば“聖地”。永禄9年(1566)、三好義継が、大徳寺第107世笑嶺和尚を開祖に招いて建立した寺で、千利休はこの笑嶺和尚の俗弟子にあたり、院に多額の浄財を喜捨しました。院内にある茶室「閑隠席」は、寛保元年(1741)、利休の150回忌に表千家如心斎が寄進した、利休の茶禅一味の心境を表す三畳の茶室。利休の月命日にあたる28日には三千家交替で茶会が催されるそうです(院内の撮影は遠慮しときました)。

 

 

 

 

 

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 利休居士の墓は仏塔のような形をしていました。亡くなる2年前に一族の供養のために利休本人が建てたそうです。

 

 侘びのこころを映すというのか、想像よりも小さくて素朴で、パッと見、茶人というより宗教家の墓って感じです・・・。

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 昼食は大徳寺塔頭大慈院内にある【泉仙】の精進鉄鉢料理をいただきました。鉄鉢とは、僧が食物を受けるために用いた鉄製のまるい鉢のことで、奈良時代にインPhoto_5ドから伝わり、托鉢の僧が用いたといわれています。

 泉仙では鉄鉢様の漆器に、穀物、豆類、野菜などの自然食材を使用した精進料理を色鮮やかに盛り付けます。 ごま豆腐の上品な味付けはさすが。冷酒をクイッといきたいところでしたが、今回は”茶禅一味”の旅ですから、アルコールはグッと我慢です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後14時に予約したこちらも非公開の黄梅院を訪ねるまで少し時間があったので、一般公開されている大仙院に行ってみました。

 

 何度か来たことがありますが、今回は運よく住職の大和宗貴和尚が名勝枯山水庭園の構造や重要文化財の襖絵・墨書等をユーモアたっぷりに解説してくれました。ネットで見たら、和尚さん、富士ゼロックスにお勤めの元サラリーマンだったよう。リーマン時代に得度を受け、10年勤務した後に雲水の道に進まれたようです。落語家顔負けのトーク上手で、我々を修学旅行生扱い(笑)。

 

 師匠の尾関宗園和尚は、昔、テレビのワイドショーの司会までされていた名物和尚さん。この日は売店コーナーにちゃっかりお座りになっていて、氏のPhoto_6 著書を購入した客にサインサービスをし、一緒に写真撮り。合言葉の「坊主とポーズ!」でお客さんは大喜びです。

 

 禅道の精神に触れる静寂な寺院・・・という雰囲気ではありませんでしたが、現代人向けに敷居の低い、親しみのあるこんなお寺があってもいいのかなと思いました。仏教に限らず、優れた芸術や食文化にしても、大衆に分かりやすく伝える立場や存在が必要です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 次いで訪ねた黄梅院(非公開)、門をくぐったら、織田、毛利、小早川、蒲生と、大河ドラマに出てくるような有名武将の墓所である石標がお出迎えです。永禄4年(1561年)、織田信長が父の供養のために創建した黄梅庵が前身で、天正14年(1586年)豊臣秀吉が本堂を、小早川隆景が庫裡を、加藤清正が鐘楼を改築して黄梅院と改称したそうです。

 

 

 織田と毛利と小早川って今の大河ドラマで確かガチンコ対決しているはず。同じ寺に眠ってるって不思議だなあと思いましたが、住職の小林太玄和尚から、時の権力に組せず、中立の立場に徹し、禅道を説いた歴代名僧の話をうかがって、和尚が書かれた『主人公』『随処作主』『立処皆真』の軸を眺めていたら腑に落ちました。

 

 

 

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  禅語の『主人公』とは一人ひとりの主体性を意味します。周囲に振り回され、うろたえたり、自身の人間性を失ってはならないということ。『随処作主(ずいしょにしゅとなる)』は“いついかなるときでも己を見失わず主人公たれ”、『立処皆真(りっしょみなしんなり)』は“そうすればすべて真実となる”―順調なときも逆境のときも主人公として毅然とふるまい、自分の分を果たしなさいという教えで、臨在録に出てくる有名な対句だそうです。

 こういう教えを、戦国武将たちは心の支えにしていたんですね。乱世の時代に禅宗と茶道が広まったというのも、なるほどナットクです。

 

 

 

 

 

 

Imgp0383  このお寺の目玉は庭と茶室です。利休の師・武野紹鴎が好んだとされる四畳半の茶室「昨夢軒」。堺の豪商今井宗及によって作られたそうです。上段の貴人床があり、書院座敷の続く一室を茶室として用い、屏風で区切った“囲え込み式”の茶室だそうです。席は北面に一間床、本勝手(客が主人の右手に座る茶席)で、床に向って右の壁の前で亭主が点前を行う点前座という構造です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 Imgp0372 庭は利休が庭した「直中庭」。ちょうどアジサイの花が咲いていましたが、よく見るテンコ盛りのアジサイではなく、一輪~二輪とひかえめに植えられています。利休の時代から変わらないというからビックリ。シンプル・イズ・ベストのガーデンデザインですね。

 

 

 

 

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 黄梅院は春と秋に特別一般公開されます。今秋は10月11日から12月7日まで。望月先生曰く紅葉の時期は絶景だとか!想像できますね。こちらを参照してください。(つづく)


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