前々回の記事でご紹介した静岡朝日テレビカルチャー地酒講座「セノバ日本酒学~SAKEOLOGY@WOMEN」の第1回を4月4日(土)に開催しました。
この時期の開講ですので大いに逡巡しましたが、ありがたいことに新規受講者が増えたため、カルチャー事務局と再三検討し、現状、静岡市内で感染拡大傾向が見られないという判断のもと可能な限りの予防対策を講じて開催させていただきました。
第1回のテーマはズバリ「静岡の酒ものがたり」。新規受講生には入門編として、継続受講生にとっては復習編として、静岡の酒が今のように支持されるようになった過程をおさらいしました。テキストに使ったのは、7年前のしずおか地酒サロンでゲストにお迎えした松崎晴雄さんと私の対談記録。今読み返してみても含蓄に富み、静岡の酒を支える次の世代にぜひ伝えておきたいと思える内容です。
今、ご苦労されている静岡の酒の造り手・売り手の方々に、私ができる支援といったらこういうものを公開するぐらいしかありませんが、ご紹介させていただきます。宅飲みが増えた飲み手の皆さま、おつまみ程度に楽しんでいただければ幸いです。
朝日テレビカルチャー静岡スクール セノバ日本酒学2020春
SAKEOLOGY@WOMEN 第1回テキスト
静岡地酒ものがたり
対談 松崎晴雄×鈴木真弓
松崎晴雄氏(日本酒研究家)
日本酒輸出協会理事長 静岡県清酒鑑評会審査員
1960年横浜市生まれ。上智大学卒業。西武百貨店の食品・酒類バイヤーを経て1997年酒類ジャーナリスト、コンサルタントとして独立。著書に「新銘酒紀行」(あすなろ社)、「Tastes of 1635 日本酒ガイドブック」(柴田書店)、「日本酒のテキスト」(同友館)ほか多数。
(鈴木)松崎さんは日本を代表する酒類ジャーナリスト・日本酒研究家で、日本酒輸出協会理事長として海外普及事業にも尽力されています。全国各地の鑑評会=日本酒の品質コンテストの審査員を務めておられ、 毎年3月中旬に開かれる静岡県清酒鑑評会の審査員も長年お務めです。まずは現在の酒造り全般の傾向からお聞きします。
(松崎)冬が冬らしく寒い年で酒造りには好条件であっても、原料米によって左右されるようです。ブドウの品質が直結するワインに比べると、日本酒の場合はさほど影響はないといわれますが、全国の酒蔵や鑑評会を巡って当事者の声を拾ってみると、年によっては「今期は米がよくなかった、米に苦労した」という反応も聞きます。
(鈴木)とくに凶作でもなければ大きな自然災害もない年でも、米の出来がよくないという声を聞くことがありますが?
(松崎)ひとつは、昨今の猛暑による高温障害の問題ですね。実っているけれど中身がよくない。酒を仕込むとき、米が硬くて融けていかないのですね。酒造りとは、米のデンプンを麹によって糖化させ、酵母が栄養にして発酵させるというメカニズムです。米が融けていかないと結果として味がのらない・・・そんな苦労があると聞きます。
実際に、各地の新酒鑑評会で出品酒を唎いても、そんな傾向が見受けられます。元来、新酒というのは若い状態の酒が多いのですが、前年猛暑だった年は例年以上に味が軽い。日本酒にとって最高の米といわれる山田錦を、北海道から九州までほとんどの酒蔵が最高級の大吟醸=鑑評会出品用に使うわけですが、山田錦で仕込んだ酒らしい、味のふくらみや伸びやかさというものが感じられない年もあります。
(鈴木)山田錦以外の米はどうでしょうか?
(松崎)代表的な酒造好適米の五百万石、静岡県の酒造好適米の誉富士、東北の方ではササニシキのような飯米も使いますし、銘柄米ではない一般米も酒造りに活用されていますが、夏場の高温障害に遭えばどの米を使っても苦労するようです。
米によって酒の出来が決定してしまうわけではありませんが、出来たての新酒というのは、米の素性や性質が出やすいものです。東日本大震災があった年も冬が寒く、その前年の夏が非常に暑く、結果として酒が軽かった。新酒のこの時期、新酒特有の荒さや強さがなく、サラッとしていました。
(鈴木)静岡県の酒はどうでしょうか?
(松崎)本来、静岡県の酒造りは、あまり米を融かさず、硬めに仕込み、きれいに仕上げます。麹造りも長期低温ですので、気候条件のハンディはあまり感じません。さらに言えば、静岡流の酒は米の不出来な年にも影響を受けず、静岡らしさを保っていると言えるでしょう。
(鈴木)松崎さんはいつもどのような基準で審査されているんですか?
(松崎)毎度のことながら、県の鑑評会はトップの県知事賞を決めるわけですが、1次審査、2次審査をやって、結審(最終審査)に残った中で最も静岡県らしい酒、というのを私は選ばせてもらいます。他の審査員の先生方も静岡の酒のスタイルをよく熟知された方々です。静岡スタイルというのを言葉で表現するのはなかなか難しいのですが、少なくとも審査員の先生方の中では共通のコンセンサスがとれていたと思います。人が唎き酒をして選ぶわけですから、人としての感性が大事なファクターとしてかかわってきます。その中から選ばれた県知事賞は、静岡を代表する、最も静岡らしい酒と言って支障ないでしょう。
(鈴木)先ほどのお話にあったように、気候変動の中、米の品質をいかに保持していくかは、酒造業にとって重い課題だと思いますが。
(松崎)酒米の作り方や栽培適地などを見直す時期にも来ているように思います。
山田錦は兵庫県の山間部が主産地です。昔は灘の酒が日本酒のトレンドを推し進めた代表格でしたが、山田錦というのは、本来なら灘が持っている酒造りの技術、風土に適した技術を背景に生まれてきたものです。この地域の特異性というものが、だんだん変化しているように感じますね。
もちろん、日本酒は嗜好品ですから時代に合わせて変えていかなければならないでしょうし、造り手が世代交代している影響もあるでしょう。それでも、日本酒が今、全体に消費低迷する中、本来持っていた地域性や風土に根ざした技術を見直し、より、酒質の違いを意識しながら残す努力をしていかなければ、違うジャンルのものに凌駕されてしまうのではないか、と危惧しています。それは造り手だけが意識し、こだわっていてもダメで、流通業者や消費者にも理解を進める努力が必要です。
その点、静岡県は、造り手と売り手と飲み手が一体となって静岡吟醸という形を守っています。静岡の酒は川上から川下まで一体となって守って伝えている。酒自体の出来不出来や技術的にどうこう、というよりも、静岡吟醸がそういう形で守られているというところに、得難い気高さを感じます。
(鈴木)心強いお言葉をありがとうございます。鑑評会といえば、なんといっても100年以上続く全国新酒鑑評会があります。松崎さんは全国新酒鑑評会について深く研究されていますね。
(松崎)国をあげて、これだけの歴史を持つ酒の品質コンテストは世界にも例がありません。明治の中期、酒造技術の向上のため、国が中心になって始めた公的なものです。富国強兵時代、日清・日露という大きな戦争を経験し、国の財源確保が急務でした。酒税は税収全体の3割を占めており、科学技術が今ほど発達していない当時、いかに酒を安定的に造り、安定収入を得るかが課題だったという背景もあります。
(鈴木)吟醸酒というのは、この、鑑評会出品用に生まれた技術研鑽のための酒ですね。
(松崎)吟醸酒は本来、門外不出のもので、鑑評会に出品することでひとつの使命は終わり、残った酒は他の酒と混ぜてしまうか、一般にはほとんど知られていない「吟醸酒」ですから、「超特選」というラベルで売るなどしていました。
地方の銘酒が注目され始めたのは、ここ30~40年ぐらいのことです。古くは、吟醸酒造りの発祥の地広島とか、もっとさかのぼれば加賀の「菊酒」や河内の「天野酒」など地方の伝承酒が都に伝わって評判になったという例もありますが、今の地酒ブームは昭和50年前後が黎明期とされています。
中でも昭和48年(1973)という年は、地酒が注目される大きな転機でした。この年、日本酒の出荷量がピークを迎えたのです。昭和のはじめ、戦時中や終戦間もない頃は米が統制されて、蔵元が思うように酒を造れない時代もありましたが、高度経済成長期になると自由に造れるようになり、大手メーカーは地方から桶買いをしてまで積極的に売るようになりました。
ピークを過ぎると、大量生産の時代の三倍醸造や、糖類や醸造アルコールの大量添加による量産水増しに批判が向けられるようになり、アルコール添加量を低く抑えた本醸造酒や、添加物をなくした純米酒に注目が集まるようになります。もっとも当時は純米酒という言い方ではなく「無添加酒」と言っていたようですが、そういう一部の酒を通して、量から質へと酒に対する価値観が変化していったのですね。
(鈴木)その頃から新聞等で、大手の特級酒は実は地方から桶買いしていたものだとか、地方で二級酒として売られている酒が特級酒よりうまいと報道されるようになったそうですね。
(松崎)ちょうど国鉄がディスカバージャパンのキャンペーンを始めるなど、東京ではなく地方にこそ日本の真の豊かさがあり、地方の良さを発掘しようという機運が生まれました。これに呼応するように地酒が注目され始めたようです。
もっとも当時は、酒造りがどのように行われ、蔵元がどんなこだわりを持っているかという突っ込んだレベルまではいかず、地酒の中にも糖類やアルコール添加量の多いものや、米も普通の飯米を使ったものが多かったようです。
「越乃寒梅」が幻の酒として名声を得、樽酒の「樽平」、にごり酒の「月の桂」など変り種の酒が話題になりましたが、これらブームは酒屋さんが仕掛けたというよりも、文人墨客といいますか有名な作家や文化人が雑誌・小説で取り上げて人気に火がついたものですね。
私はこの頃、大学生でしたので、1升瓶で1200円ぐらいの二級酒しか飲めませんでしたが、とにかくいろいろな二級酒を飲んではラベルを剥がして収集したりして、愉しんでいました。
(鈴木)その頃、静岡の酒と忘れ得ぬ出会いがあったとか。
(松崎)ちょうど、伊豆の宇佐美でゼミの合宿があったとき、御殿場の「富士自慢」という酒を飲みました。初めて飲んだ静岡の酒です。
当時飲んでいた二級酒は糖類添加で精米も低い、甘くゴツゴツした酒がほとんどでしたが、「富士自慢」は同じような値段帯にもかかわらず、口当たりの良いすっきりとした味わいで、ほのかな吟醸香もありました。おそらく当時すでに実用化されていた静岡酵母のスタンダードSY103と富士山湧水によって醸されたと思います。お煎餅だけかじって5合スイスイ飲んでしまい、翌日二日酔いをしたことをよく覚えています(苦笑)。
やがて日本名門酒会のような全国組織の酒販店グループが各地の地酒の流通に力を入れ始め、「一ノ蔵」や「司牡丹」のような人気銘柄が生まれました。それら地方から発掘された地酒は、大手メーカーの酒よりも精米歩合が数パーセント高く、醸造アルコール添加量も少なく、飲めばあきらかに違う。まだ級別制度によって酒の良し悪しが判断されていた時代でしたが、級別というのは特級で(プレミア感を出して)売りたければ国税局で特級の鑑査を受ける、いわば自主申告制。鑑査を受けない酒はすべて二級酒扱いです。「一ノ蔵」は、それを逆手に「無鑑査」をウリにしたのです。
(鈴木)吟醸酒が注目され始めたのも昭和50年代後半から昭和60年頃ですね。
(松崎)地酒の中の、本醸造や純米酒の価値はそこそこ浸透してきた頃でした。精米歩合が異様に高く、口当たりがなめらかで、他の酒にはない華やかな香りがする・・・日本酒を初めて飲む人も、長く飲み続けてきた人にも、一口で、質の違いを認知できたのが吟醸酒でした。
ときはちょうどバブル経済の入り口。私は百貨店に就職して2年目、郊外店の酒売り場にいまして、吟醸酒を名指しで買いに来る人が、週に2~3人ぐらいいたでしょうか。その人たちは、当然、吟醸酒がなんたるかを知っていて、新しい銘柄が入るたびに試し買いする。吟醸酒は、新しい酒質と新しい価値観を日本酒の世界に吹き込んだのだと現場で実感しました。
(鈴木)その吟醸酒ブームの始まりの頃、昭和61年(1986)の全国新酒鑑評会で静岡県が10銘柄金賞を獲得しました。松崎さんはこのニュースをどう見ておられたのですか?
(松崎)この年、金賞を授与された酒は全国で100銘柄ちょっとでしたので、静岡県が金賞の1割を占めたというのは異例の出来事でした。
吟醸酒は“デリシャスリンゴのきれいな香り” “味の線は細いが後きれがドライ” “口あたりがなめらか”な酒といわれます。精米歩合は大吟醸で40~50%程度。今では30~40%ぐらいの大吟醸もゴロゴロありますが、精米歩合60~70%程度の本醸造酒や純米酒とはあきらかに違う。日本酒の最高峰に位置する圧倒的な存在感を示しました。その吟醸酒の酒質を競い合う全国新酒鑑評会で、まったくノーマークだった静岡県が一躍、主産地として躍り出たことに、私も当時、興奮を覚えたものです。地酒を扱う酒販店や居酒屋のオーナーたちも、なんだなんだと目を見張りましたね。
静岡県のことをいろいろ調べてみたら、河村傳兵衛さんという立派な先生がいて、静岡酵母を開発し、何年もかけて実用化させ、吟醸酒造りを牽引してきたとわかりました。
(鈴木)河村先生は昭和50年代から酵母開発に取り組んでおられました。静岡の蔵は規模が小さく、物流が活発で他県の酒が潤沢に入ってくる。その中で地元の蔵が自立するには、普通に造っていたのでは無理で、何か技術的な付加価値が必要だった。それが吟醸酒だったとうかがいました。
(松崎)静岡県の大量入賞の前の昭和59年(1984)頃、東京の酒販店が主催する酒の会で、「國香」を飲みました。ただの本醸造でしたが吟醸香が素晴らしかった。おそらく静岡酵母HD-1を使っていた吟醸規格の酒だったでしょう。その瞬間、学生の頃に出会った「富士自慢」とフッとつながったのです。
20代だった私は静岡の酒を「青春の味」と形容しました。酒質そのものも軽やかでほろ苦さがあり、蔵元の、本当にいいものを造りたいという純粋な思いが伝わってくる酒でした。
(鈴木)現在の「國香」の蔵元杜氏、松尾晃一さんは河村先生から傳一郎という杜氏名を授かった静岡酵母酒の名手です。松尾さんが醸す酒は今おっしゃったように軽やかでややほろ苦く、青春の味という表現がピッタリです。私はよく「素肌美人の酒」と評します(笑)。
(松崎)静岡の功績は、吟醸酒で名を上げたばかりではありません。一般に、ある有名な蔵が牽引役となってその地域全体のネームバリューが上がるというパターンが多く、典型的な例では、新潟が越乃寒梅によって一気に銘醸地になりました。他の地域でも名だたる人気銘柄があって酒質の方向性を決め、産地化されていった。
一方、静岡県の場合は、県としての戦略があって、方向性を明確にし、酒質が統一されていったという特徴があります。新しい銘醸地醸成のパターンですね。そこに静岡酵母が存在し、吟醸酒としてはっきりした特徴を持っていた。このパターンを他県も参考にし、独自の酵母を開発し、戦略を持って産地化に乗り出すという流れが出来ました。静岡県はまさにその先鞭をつけたのです。
(鈴木)当時、全国新酒鑑評会会場で「静岡みたいな酒の後進県に出来るならうちの県だって」という声をよく聞きました。
(松崎)静岡酵母のあと、長野県のアルプス酵母、秋田県の秋田花酵母など、1990年代前半、各県の酵母開発競争が活況をみせました。バブル経済の後押しもあり、1本1万円の吟醸酒とか、一杯1000円以上で飲ませる吟醸バーのような店も出現しました。全国新酒鑑評会も、平成3年(1991)ぐらいから金賞の数が200銘柄ぐらいにグッと増えました。それだけ吟醸酒造りが体系化され、それまで吟醸酒を造ったことのない蔵や地域まで造るようになりましたね。
(鈴木)同時に静岡県が鑑評会で入賞できないという現象も起きました。
(松崎)各県の酵母開発がエスカレートし、今までにない香りや強烈な香りを発する酵母が続々誕生したのです。鑑評会の審査は目隠しをして行い、採点するのですが、何十品、何百品ときき酒していけば、どうしても香りの強い酒のほうが印象に残ります。もちろん、審査では、香りだけではなく全体のバランスのよさをみるわけですが、香りがあって、味が濃くて密度がある酒のほうが有利になってしまうのは確かです。
(鈴木)静岡のように繊細で素肌美人の酒は不利ですね。
(松崎)出品酒の多くは原酒で、アルコール度数18度ぐらい。もともと香りが高く濃厚な酒です。いちいち飲み込んでいたら審査になりませんので、一口含んで、一瞬でバランスのよさや欠点がないかを判断する。今、全体のレベルが上がっていますので、欠点のある酒はさほどありませんが、全国新酒鑑評会で実感するのは、はっきり言って量を飲む酒ではないということ。自動車でいえばF1レースの世界です。技術の粋を込めたレース用のマシンは、乗り心地や燃費等は考慮されません。それと同じです。
(鈴木)私はよくミスコンに喩えます。
(松崎)1990年代の吟醸酒ブームでは、そういう酒が全盛になりました。確かに吟醸酒は酒造りの技術の粋を結集した最高峰の酒であることに違いはありませんが、元来、持っていた郷土性は失われていったという声も聞かれるようになりました。地域間の技術格差がなくなったということですね。吟醸酒を造ったことのない地方の小さな蔵でも造るようになった一方、日本酒自体が低迷する中、最高峰を目指すばかりではなく、もう少し、消費者のほうに目を向けるべきではないか、ということでしょうか。
(鈴木)静岡県はこれからも吟醸酒で勝負すべきでしょうか?
(松崎)静岡県のようなレベルの高い県の鑑評会で審査する者にとって、あるいは当然のことながら蔵元さんや杜氏さんにとって、吟醸酒というのは、自らを高めてくれる素晴らしい酒です。酒の販売を経験した身で言えば、自分が仕入れた吟醸酒が初めて売れたときはとても感動しました。無名の酒で、吟醸酒という言葉も浸透していない時代でしたが、そういう経験は吟醸酒あってのことだと思います。
静岡県は、知られざる吟醸酒の実力を世に知らしめ、今では「静岡吟醸」という言葉が生まれたほどの産地です。最初に言いましたように、新酒の時期は米が硬く、線が細いという印象を受ける年もありますが、総じて他県の新酒に比べるとブレがない。それは「静岡吟醸」のスタイルが確立しており、造り手にもしっかり継承されている証拠だと思います。そのことをお伝えできれば幸いです。(了)
この対談記事は、2013年4月2日開催のしずおか地酒研究会第41回しずおか地酒サロン『松崎晴雄さんの日本酒トレンド解説~静岡県清酒鑑評会を振り返って』を書き起こし、再構成したものです。
4月4日は夜、日本酒酒場萬惣屋(HPはこちら)のセミナールームで、しずおか地酒研究会発足25年記念サロンを開催する予定でしたが、断腸の思いで中止とし、ご迷惑をおかけした萬惣屋さんの売り上げに少しでも貢献できればと、カルチャー講座の受講生用に酒肴セットをお願いしました。ささやかな金額ながら、炭火焼を中心にした酒肴の内容は本当に素晴らしく、受講生にも「過去一番おいしい酒肴!」と喜ばれました。
どんな状況でもお客様に満足していただこうと最善を尽くされる静岡の飲食店の皆さまのご努力が無にならないよう、事態の改善を祈るばかりです。