杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

静岡伊勢丹吟醸バーその1

2008-06-07 12:04:12 | 地酒

 5日から始まった静岡伊勢丹8階催事場の『静岡フーズフェスティバル』。2日目の昨日(6日)は晴天に恵まれ、来館客全体がドッと増えたこともあって、催事場も大いににぎわいました。

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  私はこの日、16時から、志太泉の望月雄二郎社長と2人で30分ほどトークセッションを行いました。20席ぐらいしかイスが入らない催事場一角の限られたスペースで、ちょうどSBS『特報4時ら』の生中継とバッティングし、せわしない雰囲気でしたが、蔵元が直接語る静岡吟醸の話とあって、この時間に合わせて来てくれた人、買い物途中で足を止める人、仕事の手を休めて聞きに来るブース出店主の方々など、多くの方が耳を傾けてくれました。私は、この企画の立役者である静岡伊勢丹の松村社長と、広告会社PACの柴山社長が目の前で応援してくれたおかげで、お2人への感謝と、静岡吟醸へのますますの応援をお願いします、と語りかける気持ちで、落ち着いて話をすることができました。

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志太泉の望月さんは、5日の志太平野美酒物語2008の実行委員長として汗をかき、昨日は昼は焼津酒米研究会の田植えに参加してから駆けつけるというハードスケジュール。吟醸バー・イーハトーヴォの後藤さんも、朝4時からつまみの仕込みをし、会場に詰める11時から21時までは食事もとれず、トイレに行く以外はカウンターを離れることもできないというハードワーク。私もこのところのオーバーワークでフラフラ状態。3人そろって疲労困憊の顔をしながらも、デパート客という地酒にとって未開拓の消費層から、静岡吟醸の話を聞きたい、呑んでみたい、買って帰りたいという声を直接聞くと、ハイオクガソリンでも注入されたかのように元気になってしまいます。若い女性客が次から次へとカウンターに座ってくれるので、男性陣はハリキリし甲斐があるでしょう。

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  伊勢丹の閉店時間(19時30分)を過ぎても、吟醸バー(21時まで営業)の一角だけこの状態。『芽生え会』という静岡市内の老舗料亭の若旦那さんたちが、吟醸酒に合うおつまみを提供しているので、お客さんはその場で気に入ったおつまみを買って、カウンターではワンコイン(500円)で志太5蔵(初亀・磯自慢・杉錦・志太泉・喜久酔)のレギュラークラスから最上級クラスまでを自由にオーダー。応援に駆けつけてくれたしずおか地酒研究会の会員たちも「こういう店、常設してほしい」と大いに満足し、私の接客ぶりに「板に着いているねぇ」とイタく褒めてくれました。ライターで失業したら、第2の人生はコレで決まり?

 

  今日(7日)も、16時から杉錦の杉井均乃介社長とトークセッションをし、閉店21時までカウンターで“吟醸ママ”になりますので、お時間のある方はぜひ!

 志太泉の望月さんと話した内容は、記録ができませんでしたが、話の要点の一つ・水の話は、私が1999年に『K-MIX夏カジ`99~静岡の地酒を楽しむ17』に書いた記事をベースに進めました。10年前の記事ですが、再掲しますので、志太泉という酒の理解の一助にしていただければ。

 

 

 『静岡の地酒を楽しむ17 志太泉 ~麗しい水と名杜氏の技が醸し出す志太銘醸』 文・取材 鈴木真弓

(静岡あるくマガジンVol.23 ~K-MIX夏カジ`99 フィールドノート社刊1999年6月24日発行号より)

 

 

 藤枝市中を流れる瀬戸川を上流へと遡る。車でわずか10数分というのに、山あいの澄み切った空気と川肌を滑る風の心地よさに、心洗われる思いがする。志太泉酒造は、この瀬戸川沿いの宮原の里にある。

 

 

 私にとって「志太泉」は地酒の原点だった。1988年頃、取材先の店で初めて呑んだ静岡の酒が「志太泉」だった。それまで日本酒に格別の思いがなく、体質的にも強くなかった私にとって、その出会いは強烈だった。日本酒ってこんなにきれいでまろやかなんだ…!

 それ以降、地酒の世界に魅了され、蔵元をはじめ、当時はまだ少数派だった静岡酒を商う店主や愛好者たちと酒縁が波紋のように広がっていった。

 後に知ったことだが、私が日本酒に開眼したあの味は、静岡酵母の開発者で知られる河村傳兵衛さんと、当時の志太泉の杜氏が二人三脚で静岡型吟醸造りを確立した、まさにその絶頂期の味だった。振り返れば一消費者に過ぎない私が、現在、こうして酒の原稿を書いたり、酒の会を主宰できるようになったのは、初めて呑んだ静岡の酒が、そのような素晴らしい酒であったことと、そのときの感動が源流となり、その酒縁が、感動を伝えたいという志を太い水脈へと育んでくれた賜物だと思う。

 志太泉の酒銘は、まさに志太郡の「志太」と、太い志を持って泉のように湧き立つ酒を造りたいという思いが込められているという。今回の取材で改めて「志」の泉を枯らさぬよう、自分に言い聞かせている。

 

 

 志太泉酒造の当主・望月家は、もともと藤枝市中で一族の地主が集めた年貢米を売る商いをしていたが、余剰米で酒を造るため、よい水を求めてこの地にやってきた。明治15年、『望月本家醸』の創業である。酒銘は初めから「志太泉」。戦前は、ご当地で最初にラジオを買ったことから、「ラヂオ正宗」という酒や、山梨県にワイナリーを所有し、「ミクニワイン」を販売していた。

 戦時中は原料米の不足から、企業整備に遭い、昭和18年から10年間休業。そのまま廃業する蔵が多い中、3代目望月太三郎氏(昭29~現在)に復活した。

 昭和32年からは、福島県の「大七」で麹屋をしていた27歳の佐々木松治さんを杜氏に大抜擢。佐々木さんは15年間、杜氏としての腕を磨き上げ、昭和43年の東京農業大学主催全国酒類調味食品品評会で金賞受賞。佐々木さんは今なお、他県の蔵で、杜氏となったご子息とともに現場を指揮しているという。

 佐々木さんが辞めて数年後、杜氏に招かれた多田信男さんは、河村傳兵衛さんとともに、通常の何十倍・何百倍もの掛け水を使う独自の洗米方法を編み出した。同い年の2人は妥協を許さぬ職人気質と、新しい手法へのチャレンジ精神を持ち、大いに切磋琢磨したという。多田さんの洗米方法は、今、静岡型吟醸造りの基本として定着している。

 平成6年から勤めた高橋貞実さんは、愛知の「刈穂」、福井の「黒龍」等の銘醸を経てやってきた実力派杜氏。五感から瞬時にして麹やもろみの状態を読み取り、判断を変えていく天才肌で、志太泉の水に慣れ始めた3年目から、きれいだが旨味もしっかりあるバランスの取れた新たな志太泉吟醸を確立した。

 

 志太泉は職人としての脂ののりきった働き盛りの杜氏が、自身の技を競い合うようにして銘醸へと発展した。しかし、どの杜氏が造っても、あるいはいつ造った酒を呑んでも、最初に感じた「きれいでまろやかな酒」という印象は変わらない。これはやはり、酒の命である水に起因しているように思う。

 

 

 瀬戸川は静岡市と藤枝市の市境・清笹峠に源を発する全長32キロの二級河川。上流の高根山南側には静岡県名水百選にも選ばれた宇嶺の滝がある。源流部は家屋や工場等がなく、水質汚染の心配もない。そこから破砕性に富む岩石とともに運ばれる水は、酒造に有害な鉄分や有機物の少ない軟水。志太泉の財産は、この伏流水を、ろ過等の加工処理をいっさいしないで自然のまま使用できる井戸だ。この水が絶えない限り、志太泉の味は清らかさを保ち続けるだろう。水を求めてこの地に蔵を建てた創業者望月久作氏の選択を称えたい。

 

 私は99年1月~2月、藤枝の別の酒蔵に仕込みの手伝いに通ったのだが、そのとき一番感じたのは、酒造りはとにかく水を使う、しかも使う量が半端じゃないということだ。仕込み用水や洗米にはもちろん、道具の一つひとつの手入れに大量の水を使う。 

 道具の手入れは職人仕事の基本中の基本。当然といえば当然だが、仕込みや洗米と同じ水を、道具洗いに惜しげもなく使える蔵というのは、本当に恵まれていると実感した。

 水をおろそかに使うなとお叱りを受けそうだが、酒蔵だけはお許しいただきたい。静岡の酒は、静岡の水の美しさを体現しているのだから。

 


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1 コメント

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鈴木様! (Robert-Gilles Martineau (ロベル。ジル))
2008-06-09 17:33:08
こんにちは!
伊勢丹へ行きました!
まあまあだった。地酒はよかったけれど酒造は五つだけちょっと寂しい。
その代わりにオンしろいい蕎麦、うどん、蒲鉾とソースを見つけました!
やっぱり伊勢丹にがんばっていたダリなあ
宜しく
ロベル
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