日暮しの種 

経済やら芸能やらスポーツやら
お勉強いたします

肩を落し去りゆく選手を見守りぬわが精神の遠景として

2014-06-29 07:30:00 | 編集手帳

6月26日 編集手帳


日頃、
酒にまつわる話をよく書いているからだろう。
わがパソコンは心得たもので、
「かんぱい」と入力するや迷わず「乾杯」と変換してくれる。
そうね、
朝起 きたときはそのつもりでいたのだけれども…と、
パソコンに独り言をつぶやく。

完敗である。
サッカー・ワールドカップ(W杯)ブラジル大会で日本代表はコロ ンビアに1―4で敗れ、
2大会連続の決勝トーナメント進出は夢と消えた。

競技の世界で悲劇の敗北よりもつらいのは、
そういう言葉はないが、
劇的な見せ場の ない“無劇”の敗北だろう。
選手たちの無念は痛いほど分かるが、
結果は結果として全身全霊のプレーをありがとう、
と告げておく。

1勝もできないまま敗退し た悔しさのなかから、
4年後に花ひらく大輪の種子が生まれることだってある。
わがパソコンよ、
「敗退」を「胚胎」に変換する技をいまから身につけておけ。

島田修二さんの歌を思い出す。
〈肩を落し去りゆく選手を見守りぬわが精神の遠景として〉。
遠くから失意の選手たちを見守るとしよう。
2本のゴールがネット を揺らした記憶と、
サポーターの美技を 盃(さかずき) の友として。


 

コメント