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寡黙な横綱

2017-04-01 07:30:00 | 編集手帳

3月28日 編集手帳

 江戸から明治に時代が移り、
人は以前ほど泣かなくなった。
民俗学者、
柳田国男の説である。
『涕(てい)泣(きゅう)史談』に書いている。
教育が普及し、
言葉で感情を伝える技術が磨かれるにつれ、
泣くという“身体言語”の出番が減ったという。

繰り返しテレビに流れる映像を見ては、
柳田説を思い返している。
「痛い」「つらい」「苦しい」という言葉を、
みずから封印した人である。
あの涙は“身体言語”の爆発であったろう。

君が代を聴きながら泣いた。
大相撲春場所で負傷を押して強行出場し、
逆転で優勝を飾った新横綱、
稀勢の里関(30)である。

本割と優勝決定戦でともに敗れた大関の照ノ富士関(25)も、
満場の声援を集める手負いの人気横綱が相手では、
さぞかしやりにくかったろうが、
渾身(こんしん)の力と力がぶつかり合ういい相撲だった。
相撲それ自体はもちろんのこと、
表彰式で賞杯を手にした横綱の苦悶(くもん)にゆがんだ顔が忘れがたい。
賞杯さえ満足に抱えることができないとは、
左肩の付近はどれほどの痛みだったか。

〈春のあらしちらざる花はちらぬなり〉(加舎白雄(かやしらお))。
魂で咲いた寡黙な花に、
男泣きがよく似合う。




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