3月28日 編集手帳
江戸から明治に時代が移り、
人は以前ほど泣かなくなった。
民俗学者、
柳田国男の説である。
『涕(てい)泣(きゅう)史談』に書いている。
教育が普及し、
言葉で感情を伝える技術が磨かれるにつれ、
泣くという“身体言語”の出番が減ったという。
繰り返しテレビに流れる映像を見ては、
柳田説を思い返している。
「痛い」「つらい」「苦しい」という言葉を、
みずから封印した人である。
あの涙は“身体言語”の爆発であったろう。
君が代を聴きながら泣いた。
大相撲春場所で負傷を押して強行出場し、
逆転で優勝を飾った新横綱、
稀勢の里関(30)である。
本割と優勝決定戦でともに敗れた大関の照ノ富士関(25)も、
満場の声援を集める手負いの人気横綱が相手では、
さぞかしやりにくかったろうが、
渾身(こんしん)の力と力がぶつかり合ういい相撲だった。
相撲それ自体はもちろんのこと、
表彰式で賞杯を手にした横綱の苦悶(くもん)にゆがんだ顔が忘れがたい。
賞杯さえ満足に抱えることができないとは、
左肩の付近はどれほどの痛みだったか。
〈春のあらしちらざる花はちらぬなり〉(加舎白雄(かやしらお))。
魂で咲いた寡黙な花に、
男泣きがよく似合う。