6月10日 編集手帳
列車で旅をすると、
幼児のように景色ばかり眺めている。
読む本は携えているが、
あまりはかどらない。
〈本の栞(しおり)少し動かし旅終る〉(近江(おうみ)砂人(さじん))という句がある。
きっと作者はお仲間だろう。
駅弁をひらく。
車窓を流れる民家の灯や黒い森の影を肴(さかな)に、
酒を口に含む。
手もとの本に目を落とす。
鉄道の旅ならではのゆっくり滴る時間に、
無上の喜びを感じる人は多いはずである。
寝台特急が姿を消すかも知れないという。
「トワイライトエクスプレス」(大阪―札幌)が来春限りで引退するのにつづき、
来年度末の北海道新幹線開業を前に「北斗星」と「カシオペア」(いずれも上野―札幌)の運行終了が噂(うわさ)されている。
小津安二郎が好んで色紙に書いた言葉に、
〈鯛夢出鳴門円也〉がある。
鯛(たい)の夢、鳴門(なると)を出(い)でて円(まど)か也(なり)…という風流な一句かと思えば、
さにあらず。
タイム・イズ・ナット・マネー(時は金ならず=貴い時間は金銭や効率に代えられぬ)と読むそうな。
運行と車両 保有に携わるJR北海道、
東日本の両社には胸の片隅に飾ってほしい色紙である。
きょうは時の記念日。到着だけの人生はつまらない。
6月11日 編集手帳
製薬会社の副工場長は早く工場長に昇進したくて仕方がない。
肩書にあ る「副」が腹立たしく、
その字をいつも呪っている。
新薬に添付する説明書の草稿をチェックしているときもそうで、
憎さも憎し、
「副」の字を迷わず削ってし まった。
刷り上がった説明書にいわく、
〈本薬はいかなる作用もありません〉。
相原茂さんのジョーク集『笑う中国人』(文春新書)にある。
当節は副工場長氏 とは違い、
「副」よりも「長」の字を敬遠する若い人が増えているらしい。
「管理職になりたい」と答えた新入社員は45%にとどまった。
ある人材育成・研修 会社の調査である。
総合職として営業や研究開発などに携わる1200人に尋ねたところ、
管理職になりたい人は前回調査から10ポイント以上も減り、
半数に満たなかった。
経営陣と部下の板挟みで苦労する。
終身雇用が昔語りになった今、
専門職はほかの企業でも通用するが、
管理職はむずかしい。
そのあたりが敬遠 された理由という。
思い出したサラリーマン川柳がある。
〈「課長いる?」返ったこたえは「いりません!」〉。
いつの世も、
管理職はつらいよ、
ではある。
6月8日 編集手帳
インドシナ半島東岸に位置するベトナムの国土は緩い「S」字を描いて いる。
北で国境を接するのは、
中国だ。
かつて、
ハノイの歴史学者が話していた言葉を思い出す。
「地図をよく見てほしい。
わが国は、
中国という巨大な岩の重 みで、
折れ曲がってしまった」。
地図帳を開くと、
確かにそのようにも見えた。
隣の大国が攻めてくれば戦い、
退けば握手する。
それが、
この国の伝統的な生き 残り戦略だという。
米国とのベトナム戦争に続き、
1979年の中越戦争も戦った元民兵は、
数を頼んで押し寄せる中国軍の人海戦術を「未熟」と評した。
しか し、
かの大国は今や、
経済でも、
軍事でも、
当時とは比較にならないほど強大になった。
その中国が、
先月、
南シナ海の中越係争海域で、
一方的に石油掘削を始 めた。
中止を求めるベトナム船に、
数で圧倒する中国船が体当たりを繰り返す。
ベトナム船1隻が沈没した
危険な攻防の激化を防ぐ方法は、
ある。
双方が国際 法に基づいた解決を目指し、
力で勝る方が、
自制的な行動を取ればいい。
大国の横暴な振る舞いが、
戦いを招く。
昔も今も、
それは変わらない。
(BY お店)
http://www.kaikan.co.jp/restaurant/rossini/index.html
地下鉄千代田線 二重橋前駅 徒歩2分
地下鉄有楽町線 有楽町駅 徒歩2分
地下鉄三田線 日比谷駅 徒歩1分
6月6日 編集手帳
日常のありふれた風景がつかの間、
人を哲学者にするときがある。
話術家の徳川夢声には、
自宅の庭に降る雨がそうだったらしい。
〈池には雨が落ちて、
無数の輪が発生し消滅する〉
1942年(昭和17年)3月の日記に書いている。
〈人間が生れて死ぬ世の中を高速度に見ることが出来たら、
こんな風だろうと思つた。
カミの目から見る人間の生死がこの通りだろう〉と。
雨にはたしかに、
人を物思いに誘うようなところがある。
関東甲信から北陸、
東北南部の地域がきのう梅雨入りした。
しばらくは“哲学の季節”がつづく。
と言いたいところだが、
西日本での登場ぶりをみると、
池のほとりで無常観に浸ることのできそうな降りようではない。
豪雨が災害をもたらすような「 荒(あら)梅雨」「暴れ梅雨」になりはしないかと、
いまから気にかかる。
数ある雨かんむりの漢字のなかで、
誰もがその字の前でこうべを垂れるのは〈霊〉だろう。
日々の新聞をひらけば7歳の 有希(ゆき)ちゃんがいて、
5歳の 理玖(りく)君がいて、
いつにまして心静かな 瞑目(めいもく)の時間がほしいときにめぐってきた梅雨どきである。
雨よ、
どうか心して降れ。
6月1日 BIZ+SUNDAY
里山のゆったりとしたたたずまいの中に立つかやぶき屋根。
地元アパレルメーカーの本社である。
年商17億円。
率いるのは25年前に1から会社を立ち上げた松葉登美さん。
名古屋で石見銀山出身の夫と出会い結婚。
実家の呉服店を継ぐためここに来たとき閉山となった銀山の街は活気を失っていた。
でも松葉さんは都会になくてここにあるものを生かせば何ともなるはずだと直感したと言う。
(石見銀山生活文化研究所 松葉登美所長)
「こんな田舎に来て落ち込んだんじゃないかと聞かれるんですけど
実は来た時から私は大好きだった。
歴史がある。
自然がある。
田舎の人たちのコミュニケーションというか親切なおつきあいがある。
お金では買えないものが三拍子そろっていた。」
お金で買えないものをどうお金にしていくか。
まず注目したのは呉服店が付き合っていた縫い子の女性たちの高い縫製技術だった。
地方で天然の素材にこだわって頑張る人たちの糸や布、染料を集め前面に押し出した独自のブランドを確立。
デザイナーには自然に関心が高い人を採用。
(デザイナー)
「ミノムシは形が面白くてデザインに描きたくなった。」
地域の何気ない自然をデザインに変える。
値段は高めだが天然素材に敏感な50代60代に口コミで広がっていった。
事務所や売り場に選ぶのは荒れ果てた古民家。
築200年の空き家が実は大きな魅力を持っていることに気づき次々と改装した。
(石見銀山生活文化研究所 松葉登美所長)
「時間が作った味わいはどんな大きな投資でも買えないし作れない。
すぐには。
時間が作った価値はいちばん大事だと思う。」
売り方にもこだわっている。
東京駅への出店は断りあえて山すその高尾の古い駅舎に出店した。
いまや石見銀山のオフィスで働く社員は50人。
400人の町で8人に1人がここで働いている計算になる。
過疎や閉山によって価値がないとみられがちな田舎の資源をあらためて生かしたことが地域の再生につながっている。
(石見銀山生活文化研究所 松葉登美所長)
「むかし銀が算出されたように掘り下げていけば宝がある。
それを一つ一つ掘り起こして
それに新しい創造性を加えて次に残していきたいと思います。」
6月1日 BIZ+SUNDAY
やっかい者を宝に変えた成功例が東北にある。
福井県池田町。
人口約3000。
県内で最も小さい町である。
そのやっかい者とはどの家庭でも悩みの種となっている生ゴミ。
この生ゴミをボランティアの住民が週3回回収している。
畜産業者が出す牛ふんや農家が出すもみ殻と混ぜて発酵させ堆肥にする。
実は生ゴミの入った袋も微生物に分解されやすい素材。
堆肥はその名も「土塊壌(どこんじょう)」。
生産量は年間480トンにのぼる。
農家はこの堆肥を使って化学肥料に頼らない野菜作りに取り組んでいる。
(生産者)
「化学肥料を使わないのはなかなか難しいけど
やっとどうにかできるかな。」
池田町の野菜は県の中心都市福井市に出荷され安全で安心な野菜だと評判を呼んでいる。
売り上げは年間1億3000万余。
(買い物客)
「田んぼも畑も手入れが行き届いていると思うので安心して食べられる。」
この活動の中心になっているのが大阪から移住してきた長尾伸二さん。
(NPO法人 環境Uフレンズ 長尾伸二理事長)
「僕たちはスモールメリットを生かしたことができる。
池田町は3000人しかいない。
子どもの力もお年寄りの力もおじいちゃんもおばあちゃんも全部の力を終結しないと
一つのいい形にはできない。」
地域の宝は見過ごしがちなところにある。
各地の取り組みが私たちに教えている。
6月9日 キャッチ!
W杯 日本代表戦開催3都市
レシフェ、ナタル、クイアバ。
ブラジル北東部の都市レシフェ。
レシフェの下町にある家族経営の小さな印刷工場。
中では家族総出でひたすら日の丸を印刷している。
これがただの日の丸ではない。
ナイロン製の袋で両面に印刷しているのがポイント。
手を振るだけで日の丸が揺れて見えるアイデアグッズである。
発注したのは日系人の伊与田明さん。
10代でブラジルに移住し40年近くを過ごしてきた日系1世である。
300世帯を超える日系人が住むレシフェで日系人会の代表を務めている。
もともとは小旗を使って日本代表の応援を企画していた日系人会。
しかしW杯では棒の部分が人を傷つける恐れがあると指摘され持ち込みの許可が下りなかった。
困ったときに生まれたのが手袋型の日の丸。
伊与田さんたち日系人会は表と裏を使える袋の利点を最大限に生かしてある夢を実現しようとしている。
(レシフェ日本文化協会 伊与田明会長)
「応援でウェーブは見るが 旗を使ったウェーブは見たことがない。
私たちはこれをレシフェのスタジアムで見たいと思っている。」
レシフェの日系人会が寄付などで用意できるのは2万枚が精いっぱい。
そこに一役買ったのが駐ブラジル日本大使館 梅田邦夫大使である。
レシフェの手袋のうわさを聞きつけると自ら日本サッカー協会に掛け合い新たに3万枚を作る予算を取り付けた。
レシフェのスタジアムでW杯を戦う日本代表の姿が見られるとは夢にも思っていなかったと言う伊与田さん。
心に生きている祖国日本の代表を少しでも後押ししたい。
その思いで作った手袋はナタルとクイアバにも送られ
すべての会場でサポーターに無料で配られる予定である。
(レシフェ日本文化協会 伊与田明会長)
「レシフェのスタジアムを日の丸で染めてみたいなと思う。」
日本代表の第2戦が行われるナタル。
海に面した人口約80万ののどかな町には約150世帯の日系人が住んでいる。
ナタル市内の日系人宅で30人以上が集まりW杯に向けた会議が開かれている。
5000人を超えると言われる日本からのサポーターを迎えることになり日系人会が動いた。
きっかけはナタルに住む日系人のブログに相次いで寄せられたサポーターからのメールだった。
トラブルにあった日本人サポーターが日本語で電話できる窓口を作ることを計画。
電話番号を載せたチラシを配ることになった。
問題は日系人会にも日本語をしゃべれる人が少ないこと。
口コミで日本に住んだ経験のあるブラジル人も集まり協力し合うことになった。
その窓口を担当することになったひとりがパウロ・オリベイラさん。
日本語学校の先生である。
オリベイラさんが日本語を学んだきっかけはほのかな恋心だった。
(日本語学校講師 パウロ・オリベイラさん)
「高校のとき日本の女の子とデートした。
だから日本語を勉強し始めた。」
その恋は長くは続かなかったが学び始めた日本語
そして日本という国へのあこがれは日増しに強くなったと言う。
結局 ブラジルで10年間日本語を勉強し続け留学も経験した。
いまオリベイラさんが教えている生徒は70人。
その多くはアニメなどサブカルチャーを通して日本に興味を持った若者たちである。
オリベイラさんにとっても生徒にとってもナタルの町に来る日本人と出会えるのはまたとないチャンスである。
W杯が来るのを心待ちにしている。
「ナタルで待ってます。」
6月1日 BIZ+SUNDAY
東日本大震災の被災地 岩手県大槌町。
ここでは街を埋め尽くしたがれきが新たなきっかけになった。
震災直後 町ではがれきを薪にしてして暖を取る姿があちこちで見られた。
大槌町でNPO法人の理事長を務めている芳賀正彦さんは
当時支援活動をしていたボランティアの言葉に驚いたと言う。
(NHO法人 吉里吉里国 芳賀正彦理事長)
「がれきの薪 売れるんとちゃうかって言った。
あるボランティアの人が。
こんな薪 売れるはずないと思ってた。」
芳賀さんたちは半信半疑で木材のがれきを「復活の薪」として売り出してみた。
インターネットで販売すると全国から注文が殺到。
4か月で250万円を売り上げた。
しかしがれきは半年で片付いた。
芳賀さんたちが注目したのが地域に残された里山。
海に面した大槌町は面積の80%が森林である。
以前は地元の漁師たちが山から木材を切り出し養殖用のいかだなどに使っていた。
しかし最近では手入れをする人もなく荒れ放題になっている。
芳賀さんたちはこの木を薪にして売ることにした。
「復活の薪 第二章」。
売り上げはまだ年間120万円程度だが今後は被災した漁師などにも薪づくりに参加してもらう計画である。
5月 被災地で林業に携わりたいという若者2人が県外から移り住んだ。
「楽しい。
自分のやったことが見える仕事なので達成感がある。」
里山の価値を見直す取り組みが被災地の復興を後押ししようとしている。
6月1日 BIZ+SUNDAY
北の海を舞うさまざまな海鳥。
地元の人にとってはごく見なれた存在がいま地域の宝になろうとしている。
根室市落石地区。
930人が暮らす港町。
観光とは無縁だったこの地区に最近外国からの旅行客がひっきりなしに訪れている。
この日やってきたのは台湾のグループ。
お目当ては海鳥である。
(台湾からの環境客)
「とても興奮しています。
念願の海鳥を見られたのですから。」
それはアジアではこの辺にしか生息していない海鳥エトピリカである。
4年前に始まったこの野鳥観察ツアー。
参加した観光客は延べ3000人超。
(落石漁協 専務理事)
「いつも見ている鳥になんで価値があるのか最初は不思議だった。
これがお金になるわけがないみたいな感じだった。」
ツアーを発案したのは野鳥愛好家の新谷耕司さん。
野鳥とかかわって暮らしたいと川崎から移住してきた。
大手航空会社に勤めていた新谷さん。
海外にはバードウォッチングのためならお金は惜しまないという富裕層がたくさんいることに衝撃を受けた。
(根室市観光協会 新谷耕司さん)
「世界中までマーケットを広げれば無尽蔵の需要があるのがバードウォッチング。
需要についての心配は一切していない。」
ツアーには漁協の協力を得て地元の漁船を出してもらうことにした。
漁師の収入が増えるうえ地元の魅力を再発見できたと言う。
(漁師 小谷裕介さん)
「5台も6台もカメラが並んでパシャパシャいってるとすごくうれしい。
ちゃんと順光で撮れるように船を持って行って。
おれが撮らせてやってるんだぞって。」
新谷さんは今後観光に携わる人を対象に勉強会を開くなど
野鳥観光の取り組みを地域全体に広げたいと考えている。
(ホテル総支配人)
「もっと勉強するツールがあれば英語も勉強して
外国人に受け入れをどんどん進めていきたい。」
(根室市観光協会 新谷耕司さん)
「どこに行ってもこの根室の町は自然とか野鳥に詳しい人がいろんなところにいる。」
野鳥という観光資源に気付いた根室の人たち。
観光客をさらに呼び込み地域の産業の柱にしようとしている。
6月1日 編集手帳
『六月』という詩が井上靖にある。
〈海の青が薄くなると、
それだけ、
空の青が濃くなってゆく〉と書き出され、
情景の素描がつづく。
印象に残るのが、
青という色彩である。
濃淡によって表情がずいぶん変わる色だろう。
憂愁を帯びた寒色にして 清々(すがすが)しく、
ときに鮮烈でもある。
どの青が作家の心をとらえたのか。
新緑から 紺碧(こんぺき)の夏空へ、
移りゆく季節の境目を彩るのも、
アジサイの 瑞々(みずみず)しい青である。
もうすぐ列島各地で開花するのだろう。
雨のしずくにぬれて咲く姿が浮かぶが、
今年は梅雨前線の北上が遅れるという。
エルニーニョ現象の前兆らしい。
遠く太平洋東部の赤道域で海面水温が上昇し、
異常気象をもたらす現象である。
5年ぶりに発生する可能性が高く、
前線の停滞を招きやすい。
梅雨明けも遅れるという。
集中豪雨の警戒も怠りなく、
湿潤の時を過ごしたい。
先の詩はこう結ばれる。〈移動する青の一族。その隊列を横切るために、私は旅に出なければならぬ〉。6月の始まりに、作家のごとく青の一族を探してみるのも悪くない。遠出せずとも道端で、そっと開いたアジサイに出合えたらいい。
知人と友人はどう違うのだろう。
『悪魔の辞典』で名高いアンブローズ・ビアスに警句があるという。
〈知人とは、
金を借りるほどには親しいが、
金を貸すほどには親しくない人のこと〉だと。
晴山陽一さんの『すごい言葉』(文春新書)から引いた。
借りもすれば貸しもする双方向の間柄が築かれて、
初めて友人と呼べるらしい。
話を安全保障に置き換えれば、
助けを借りることはあっても貸すことはない日本に、
友人はいないことになる。
東シナ海の公海上空を飛行する自衛隊機に中国軍の戦闘機が約30メートルまで異常接近したという。
往来で肩をいからせ、
触れたら因縁をつける算段か。
堅気の衆とは呼びがたい国と隣り合って日本人は生きている。
友人を増やし、
不心得者に手出しをためらわせる。
集団的自衛権とはつまるところ、
戦火をあらかじめ避ける仕組みをいうのだろう。
劇作家の宇野信夫に青春期の歌がある。
〈真実の友を持たねば青草にひとり寝るのを楽しみとする〉。
孤独が甘美であるのは、人に限っての話である。
国家の場合は、
ひとり寝ていて身の安全が図れるほど世界は甘くできていない。
かつて山のあちこちにみられた炭焼き小屋。
昔は山の木で生活に必要なエネルギーのほとんどを賄っていた。
石油や電気などのエネルギーを外から買う時代を経て木のエネルギーに回帰しようとする町がある。
中国山地の山あいにある岡山県真庭市。
人口5万。
ここに間全国から視察が相次いでいる製材所がある。
製材で出る木くずで発電。
製材所で使う年間1億円の電気代がゼロになり
さらに余った電気を電力会社に売っている。
「充電収入は月間140万キロワットアワー。
1000万円近くになっている。」
銘建工業の中島浩一郎社長が木の発電に乗り出したきっかけはバブル崩壊という逆境だった。
住宅需要が落ち込み97年には初めての赤字を経験。
どうやって経営を立て直すか。
目に留まったのが処理に年間2億円以上かかる大量の木くずだった。
しかし発電所の建設費を融資してほしいと持ちかけると
銀行からは「経営を立て直すなら売り上げを増やすのが常識だ」と言われた。
(銘建工業 中島浩一郎社長)
「電気ではなくて生産規模を上げる設備や加工度を上げる設備などがあるだろう。
エネルギーなんて言うのはプライマリー(優先)ではないだろういう言い方だった。」
なんとか銀行から10億円の融資をとりつけ発電所の建設にこぎつけた。
電気代が減ったことで売り上げを増やさなくても黒字に転換した。
それでも使い切れない木くずは10年前からペレットと呼ばれる燃料に加工。
行政も巻き込んで真庭市全体のエネルギーの自給に取り組んだ。
暖房に重油を使っていた小学校でも家庭でも
今や熱や電気など市のエネルギーの11%を賄うまでになっている。
6年前からハウスのボイラーの燃料を灯油からペレットに切り替えた農家。
上がり続ける国際的な原油価格。
その影響を受ける経営から脱したいと考えている。
(農家 清友健二さん)
「今月はこれくらいお金を払えば大丈夫だと予想が建ちますからありがたい。」
世界中の投資家や投機筋から流れ込むマネーによって原油などのエネルギー価格が決まるグローバルな市場。
地域はその価格に従って膨大なお金を吸い取られるしかないのである。
この関係を何とか断ち切ることはできないか。
出来るだけ地域にあるもので賄っていけないか。
それが真庭が目指す里山資本主義である。
真庭のエネルギーの自給率をさらに引き上げようと中島さんたちが頻繁に通う国がある。
木のエネルギー利用で世界の最先端を行くオーストリア。
中島さんたちは現地の企業や自治体から直接情報を収集している。
人口4000のこの町は地域で使う電気を地元の木材ですべて賄っている。
発電用の木は住民自らが切り出し
発電施設も自ら運営している。
(住民)
「この町ではエネルギーの値段が市場の値動きに左右されることはありません。
自分たちで決めているのですから。」
さらに発電の際に出る熱で熱湯を作り
地下に張り巡らせたパイプラインで地域に供給。
町で使う全エネルギーの実に71%を賄っている。
この安く安定したエネルギーを武器にヨーロッパ各地から50社もの企業を誘致することに成功した。
これまでロシアから供給される天然ガスに依存してきたオーストリア。
そこから脱却する努力が新たな産業を呼び込んでいる。
(ギュッシング市 ペーター・バダシュ市長)
「世界経済がひと握りの人たちによって操られているのはよくないことです。
市場を狂わせる人たちを抑え込むのは簡単ではありませんが
エネルギーという非常に大切な分野で主導権を握ったのは大きな一歩です。」
オーストリアで学んだこうしたシステムを参考に
いま真庭ではエネルギーの自給を飛躍的に伸ばす試みが始まっている。
工場誘致のために造成されたものの空き地のままだった産業団地で新たな木の発電所の建設が始まっている。
発電量は1万キロワット/h。
5万人分の生活用電気がすべて賄える計算である。
木材の加工工場も新設された。
放置されていた間伐材の切り出しが本格化。
新たな雇用が生まれ若者が都会から帰ってきている。
(銘建工業 中島浩一郎社長)
「日本人は元来気の使い方が非常に上手な民族。
歴史もあって。
今はたまたま一番へたくそになっていて
一時的に忘れていることを見直して現代風にアレンジして
ぜひとも小さい穴でも風穴を開けたい。」
日本の消費税は世界的には一般的に付加価値税とよばれ140以上の国で導入されている。
品物やサービスの取引に広く課税をすることで財源を確保する付加価値税。
急成長が続くアフリカでも多くの国が採用している。
ただアフリカでは制度はあっても税金の徴収が上手くいっていない国が多いというのが現状である。
そのような国のひとつ ブルキナファソにビジネスチャンスを見出そうとする日本企業がある。
アフリカ西部 サハラ砂漠の南に位置するブルキナファソ。
国民1人当たりの年間所得は約6万円と最貧国のひとつだがいま大きな変化が起きつつある。
中国など新興国向けの農産物の輸出が好調で海外からの投資も増加。
ここ数年は10%近い経済成長が続き
人口1700万の国民の半数が携帯電話を手にするようになった。
経済が上向きになるなか税収を増やす手段として政府がいま目を向けているのが20年前に導入した付加価値税である。
税率は18%。
しかしこれまで期待通りに税収はあがっていない。
多くの店が売り上げをごまかして申告し脱税してきたからである。
この状況にビジネスチャンスを見出した日本の企業がある。
レジメーカー社長 山田哲夫さん(65)。
山田さんはブルキナファソ国税庁のトップと直接交渉した。
売り込んでいるのはレジに接続する黒い端末。
店のレジにつなぐだけで国税庁は店の売り上げを直接把握できるようになる。
(山田哲夫さん)
「すべての情報を入手できる。
国税査察官がチェックするのと同じだ。」
店が売り上げをごまかし脱税するのを防げるとあってブルキナファソ政府は山田さんにまず500台を注文した。
山田さんは2か月に1回のペースでブルキナファソに出張している。
1か月の滞在を終え帰国した。
(山田哲夫さん)
「現場を見ないことには解決策は出ない。
今後の戦略も練れない。」
山田さんの会社の従業員は12人。
大阪を拠点に30年近くレジを販売してきた。
脱税を防止するためのシステム開発にも力を入れ
これまでヨーロッパや中南米など23か国に40万台余を納入。
この分野では日本有数のメーカーになっている。
山田さんの会社が開発した端末の仕組みは
レジに接続された黒い端末に店の売り上げがすべて記録される。
端末は国税庁に設置されたサーバーに売り上げを毎日送信する。
また不正を防止するため端末がレジから取り外されるとレジを使えなくする機能ももりこまれている。
国税庁は設置された店の売り上げを確実に把握できるので不正を防げるという仕組みである。
山田さんはこうした端末とサーバーをセットで売り込んでいる。
今回の売り込みを突破口にしてアフリカ各国への売り込みに弾みをつけようという狙いである。
(山田哲夫さん)
「我々のシステムはインフラに手を加えず
設置すればあすから情報が集まってくる。
ぜひ今チャンスのあるアフリカに攻め込みたい。」
しかし実際に導入されるまで安心できない。
ほかのアフリカの国では契約が突然白紙に戻った経験があったからである。
「契約というのは紙切れなのでいつ止まるかわからない。
アフリカでは明日何があるかわからない。
きょう何があってもわからないという感覚で物事をとらえていかないと。」
端末が将来国内のあらゆる店舗に設置されるようになるには法律に基づいて義務付けることが欠かせない。
山田さんはブルキナファソ政府にその方針を速やかに国民に明らかにするよう働きかけてきた。
そして5月 国税庁はスーパーや飲食店など初めの500台を設置する小売店関係者を集め説明会を開催。
端末設置の方針を初めて発表した。
しかし発表があまりにも突然だったため会場からはシステム導入への不安の声が上がった。
「設置費用はいくらぐらいかかるのか?」
「今までのやり方を変えないといけないのか?」
(国税庁長官)
「機器や装置を変える必要はない。
安心してください。」
国税庁は端末を当面無料で配ることを約束。
適正な納税への理解を求めた。
山田さんもシステムの導入が国の将来のために必要だと訴えた。
(山田哲夫さん)
「このシステムはブルキナファソの近代化
政府 子どもたちの役に立つ。」
(説明会の参加者)
「ブルキナファソの発展につながると思う。
そのためには国民へ周知しないと。」
説明会の翌日 山田さんは参加した飲食店を訪ねた。
システムが簡単に使えることを繰り返し説明し不安を解消するためである。
(飲食店経営者)
「店の信用にかかわるので私は置いていいと思う。」
ブルキナファソにシステムを根付かせアフリカ市場の扉を開くことができるのか。
山田さんの挑戦は続く。
(レジメーカー社長 山田哲夫さん)
「システムをその国に導入することで
教育・医療・国のインフラが大きく変わる。
ブルキナファソを最初のプラットホームにし1か国1か国攻めていきたい。」
5月下旬に興行収入が203億円を超え日本歴代3位となった「アナと雪の女王」。
アンデルセンの「雪の女王」をモチーフに作られたこの映画は
触れたものが凍ってしまう魔法帆力を持つ王女エルサと彼女を孤独から救おうとする妹アナの
姉妹のきずなを描いた物語である。
心に響く主題歌とCGの最新技術を駆使した雪と氷の映像美が観客を魅了している。
一流の映画関係者が腕を競い合う舞台ハリウッド。
「アナと雪の女王」はウォルト・ディズニー アニメーションスタジオで作られた。
作品に命を吹き込んだのは日本人のCGクリエーター 糸数弘樹さん。
糸数さんが担当したのは城やまわりの森の背景など。
ディズニー映画は400人のCGクリエーターが分業して作り上げる。
その技術が高く評価されアカデミー賞を受賞した。
(CGクリエーター 糸数弘樹さん)
「自分も参加したという誇りがあってすごく達成感がある。」
デザイナーの描いた絵を平面から3次元に作り直す。
(CGクリエーター 糸数弘樹さん)
「基本的には粘土と一緒。
粘土細工をコンピューターでやっている。
ポイントを引っ張ったり押したり形を変える。」
角度や方向を一つ一つ調整するという細かい作業を積み重ねる。
糸数さんが「アナと雪の女王」で担当した雪と氷に覆われた城。
城を覆うツララの向きは風向きによって変わる。
1本1本時間をかけて形を整えていった。
またデザイン画では描かれていない色の裏側を作り上げるためには想像力が求められる。
(CGクリエーター 糸数弘樹さん)
「平面だとカメラから見たところだけ格好良ければいいが
どこから見てもいい形に作るのはまた難しい。」
映画終盤の見どころである大きな船が倒れてくるシーン。
このシーンは船が倒れる様子を3方向から見せている。
まず遠くから見た映像。
次は船の後ろ側から迫っていく映像。
倒れてくる船の下を間一髪すり抜ける姿を正面からとらえた映像。
頭の中で膨らませたイメージをCGの世界に作り出すことで観客を引き込む映像に仕上げた。
小さいころからものづくりが得意だった糸数さん。
デザインを学びたいと大学卒業後にアメリカに渡り寿司やでアルバイトをしながらデザイン学校に通った。
37歳の時ディズニースタジオに入社。
さまざまなヒット作品の制作に携わってきた。
クリエーターとしての評価を高めたのは4年前。
「塔の上のラプンツェル」では主人公の長い髪を担当し躍動感あふれる動きを表現した。
完成まで7年かかったと言う。
(CGクリエーター 糸数弘樹さん)
「ただがむしゃらに働いていた。
とにかく追いつこうと必死でやっていた。」
オフィスに飾られている1枚の写真は糸数さんの故郷である沖縄県久米島の海である。
クリエーター人生の原点は久米島の環境にあると言う。
(CGクリエーター 糸数弘樹さん)
「何もないので小さい時から自分で物を作る。
今の想像力にもしかするとつながるのかな。」
自分を育ててくれた久米島に恩返しをしたいと
糸数さんは3年前から母校久米島高校の生徒たちにCG制作の授業を行っている。
ネットを活用したテレビ電話。
この日は8人の生徒が集まった。
シンプルな形のキャラクターを作って基礎を学ぶ。
四角い胴体や腕を丸みを帯びた形にしていく。
アメリカの自宅にある糸数さんのパソコン画面ですべての生徒の画面が操作できるようになっている。
生徒たちはディズニーでの仕事についても興味津々である。
(生徒)
「『アナと雪の女王』で一番難しかったシーンは?」
(糸数さん)
「船が崩れて倒れるシーンがある。
壊れた感じに作るために資料とか写真とか集めて
そういう苦労をした。」
(生徒)
「今まで作ったキャラクターで一番難しかった顔は?」
(糸数さん)
「一番難しかったキャラクター 時間がかかったのはラプンツェルだね。
リアルなキャラクターにするかアニメ風にするか
ああでもないこうでもないと結局7年かかった。」
(生徒)
「難しいところまでいってないけどツララや背景も作ってみたら楽しいかなと思いました。」
「頑張って糸数さんに追いついていけたらと思います。」
(CGクリエーター 糸数弘樹さん)
「生徒はすごいチャレンジ精神や想像力がある人がいて
夢に向かっていけばできるという刺激を与えたい。」
世界中の観客を魅了する美しいCGの世界。
糸数さんが手にした夢は次の世代へと受け継がれている。
久米島高校での糸数さんの授業は3年前から始まっているが
この授業をきっかけにCGについて本格的に学びたいと東京の専門学校に進んだ生徒もいる。
糸数さんは自身で作った教材をインターネット上でも公開していて誰でも見られるようになっている。