車の中に、童謡が流れている。
「ふるさと」の一節が車内に広がる。
子どもたちは聞くともなく聞いている。
私は運転しながら、その歌詞に注目する。
大正3年(1914年)に発表されたというこの曲は、長らく私たちの心に深く刻まれた楽曲である。
しかし、驚くべきことに、この大正3年の時点で、都会と故郷とが対比されているという点だ。
「忘れがたきふるさと」とあるのは、すでに都会にでて働いている労働者の心を . . . 本文を読む
幸運なことに、職場にはかなり多くの「親」がいる。
大学生の親であったり、中学生の親であったり。
子どもが熱を出しても、理解ある職場であると言える。
そういう同僚と話をすると、畢竟、育児や家事、教育の話になる。
「ああ、お子さん、小学生? いいなあ、うちの子なんてもう全く親の言うことなんて聞いてくれないで」
と言うような話になる。
私も、夜泣きに悩む母親と話をしていると、「今が一番おもろいですよ」 . . . 本文を読む
報連相ができない、ということは、うちの職場だけではなく現代の病理だと思う。
いや、私の会社だけかもしれないが。
その奢りともいうべき誤解は、発信した連絡は須く相手に理解されるものだという無理解が原因であるように思う。
自分の言葉は相手にしっかりと、少しの目減りもなく、理解されるものだ、理解されるべきものだと。
しかし、やはり、相手の思いや考えなど容易に理解できない。
理解できるなら、長い小説は必 . . . 本文を読む
うちは子どもが産まれて以来、ずっとプログラミング教育を行っている。
保育園から帰ったら、黙々と作業している。
何も教えたわけではない。
止まらない探究心が、幼児を駆り立てる。
我が家でのプログラミング教育は、情報機器端末を必要としない。
ただひたすらに、ハサミとノリと、テープと、そして廃材である。
まあ、要するに工作をしているのだ。
しかし、これがぷグラミング教育そのものであることを、先日プロ . . . 本文を読む
夢を描け。
好きなことを仕事にしろ。
やる気のないことはできない。
本当に自分のやりたいことなのか、問いかけろ。
こういうポジティヴな言説は時に自己を傷つける。
改めて問い直してみる。
今いる会社は好きなのか。
自分の仕事が好きだから続けているのか。
そんなことを毎日鏡の向こうの自分に問いかけて、イエスと答えられることが、社会人としての条件なのだろうか。
好きであることを、頑張れることに還元 . . . 本文を読む
あの人はなぜあんなに仕事ができるのか。
いや、あの人はセンスがいい。
自分はセンスが悪いからわからない。
思えば自分が学生だったころから、この種の議論はされていて、センスがいいからレギュラーになる、数学のセンスがない、と安易に評価されてきた。
では、そのセンスなるものは、生まれ持って備わっているものなのか。
そうだと言い切ってしまえば、話はそこで終了、ということになる。
だが、センスはおそらく . . . 本文を読む
子どもが小学生になって、宿題の多さに親の方が圧倒されている。
私は本業の都合もあって、ほとんど奥さんに子どもの宿題をみてもらっているが、驚いている。
スピードも速く、毎日新しいことをやっては、復習、というのを繰り返している。
私が子供の頃、こんなにも宿題をしていたのか、と感じている。
そう考えながら、いつもテストがあれば聞いてしまう。
何点?と。
小学生のテストなんて、と思う。
けれども、これに . . . 本文を読む
年度の後半は、花束を贈り贈られる季節と言える。
イベントのプレゼントに、あるいは出会いと別れの季節に、花束が贈られる。
人間の本質的な営為の中で、贈与というものがあるというのは、思想の世界でも話題にされてきた。
人間だけが贈与する。
贈り物をする動物はほかには見られない。
もちろん、見立てによっては贈り物のようなものをする動物はあるかもしれない。
けれども、その行動と、人間が行う贈与には本質的な違 . . . 本文を読む
何か問題が起こったり、新しいことを考えたりするとき、私たちの観点は大きく二つある。
それはコストやリターンの上で最適かどうか。
あるいは、法律に抵触しないかどうか。
どんなことでも、お金に換算して、時間に換算して是非を問おうとする。
ルール違反は、ルールやマナーというよりも、法律がよりどころとなる。
私たちは、とくに情報化社会に本格的にどっぷりつかっている現代は、この二点が物事を議論するときの重要 . . . 本文を読む
長い長いトンネルを少しだけ抜け出たような感覚がある。
この二ヶ月ほどずっと体調が悪くて、仕事も忙しくて、何の余裕もなかった。
ただ右から左へと物や情報を動かしていくような、生命維持モードで生きていた。
「ゴジラ-1.0」の公開に合わせて、神木隆之介がポジティヴモンスターであるとコメントしていた。
どんなに厳しい状況でも、前向きに捉えるのが得意であると。
私は基本的にネガティヴなので、他人や運命 . . . 本文を読む