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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

勉強するということはこういうことなのか。

2024-01-09 22:02:48 | 毎日コラム
この間までひらがながやっと書けるようになったと思ったら、もう二桁の掛け算や画数の多い漢字をすらすらとやってこなす。
小学生とはまことに成長が速い。
自分の子どものころ、こんなに真面目に机に向かっていたのかと思うくらい勤勉に宿題をこなしている。
もちろん、隣には母親がついていて、私は下の子の工作を手伝わされているのだが。

どうしても大人は理屈から説明しようとしてしまうが、子どもの学習する姿を見ていると、もっと重要なことは、体でできるようになるということである、ということに(ようやく)私自身が気づくようになった。
ビジネス書でAIにできること、人間にしかできないことなんていう高尚な本を読んでいるからなのかもしれない。
AIは身体を伴わないために、「人間」にはなれない、と色々なところで指摘されている。
なるほど、私たちは公教育の中で、知的な伸長を図っているというよりは、社会にある基礎的な知識を、知識として定着させようとしているのではなく、むしろ体に覚えこませているのだ。
身体化と言っていい。

だから理屈でどれだけ説明しても、あるいは勉強の意義を説明しても、それは到達できない境地がある。
ちょうど、伝統工芸の技術が言葉だけでは実現できないように。
計算も、理屈がわかっていてもそれが自動的に手がおぼているというような状況にならなければそれは「身についた」とは言えない。
それはオンライン授業では到底身につかない、やはり身体を伴う社会的な修練なのだ。

小学校の先生はおそらくそういうことはわかっているのだろう。
私は子供が産まれて、その子が小学生になってからやっと気づいた。
私は数学が大嫌いだったが、それは答えがすでにあることを、あえてもう一度することに意味を見出せなかったからだ。

しかし、違うのだ。
自分の身になるということは、筋トレと同じように、繰り返しやるしかない。
子どもから教えられることばかりだ。

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