評価点:42点/2011年/日本/140分
監督:堤幸彦
ほんとうにつまらない。
2002年、天文史上かつてないプロジェクトが企画されていた。
それは小惑星に探査機を送り込み、そこにある鉱物をカプセルに入れて持ち帰るというものだった。
企画したのは日本の国立チームたち。
その計画を知った水沢恵(竹内結子)は、講演会で熱烈にプロジェクトの責任者の一人、的場(西田敏行)の話に聞き入った。
その熱烈ぶりから、彼女がクレーター研究者であることを知った的場は、プロジェクトに参加させることにする。
全くわからないところから、宇宙に対する興味だけで食いつく水沢たちに、容赦なく困難が降りかかる。
息子が宇宙に興味を持ち始め、妻が言うままに5歳児と一緒にアマゾンプライムで見た。
ほとんどはやぶさに興味がなかった私は、地球に帰ってきたこと、一時期ロストしてしまっていたことくらいしか知らなかった。
監督は堤幸彦。
キャスティングをみればわかることだが、そうそうたるメンバーだ。
私は「アポロ13」をイメージして見始めた。
息子は楽しそうに見ていたいが、私はほんとうに退屈な2時間を過ごしてしまった。
▼以下はネタバレあり▼
少し前に受けたプレゼンの講習で、やってはいけないプレゼンの典型例を見せられているような冒頭だった。
「すべてを正しく」伝えようとしてはいけない。
冗長で、冗漫で、何を伝えようとしているのかわからない映画になりさがっている。
上映時間の問題ではない。
どれだけこのプロジェクトが偉大だったのか、ということを丁寧に説明されていく。
そう、この映画には全く描写というものが存在せずに、ただ説明だけが塗り重ねられていく。
そこに、登場人物の人間性や、プロジェクトに対するパストなどは全く描かれない。
これだけ有名で、しかも題材としておいしいコンテンツを、これほど浪費してしまうとは、辟易してしまう。
まず、ロケットを飛ばすまでが長い。
まるで主人公の水沢と同じように、ただただ技術的な説明を繰り返されてしまう。
わざわざテロップに説明を入れてしまうほど、野暮なことはない。
素人の観客にわかるのは、やたらと予算が削られている、ということくらいだ。
本当はもっと技術的な説明もされているのだが、全く頭に入ってこない。
だから、拾えるのは予算が打ち切られるかも知れない、という研究者の労働力の搾取だけだ。
そこにドラマチックさは全くない。
どれだけ凄いのか、ということを知識だけで伝えようとするのは、研究者が一般人に講演するときだけでいい。
冒頭の西田敏行の講演が、そのまま映画になったような映画だ。
かといって登場人物に感情移入することもできない。
過去に兄が目指した宇宙工学を、妹である恵が意志を継いでいくということを、わざわざ丁寧に説明してくれる。
あまりに典型的な科学者オタクのキャラクターしか設定されていないので、そのことを明かされても「そうですか」というクレイマー対応のオペレーター並の共感しか生まない。
成功したときに全員が一様に泣いたり、そのカットがやたらと長く執拗であったり。
とにかく全てが起伏なく、説明が繰り返される。
説明を淡々と繰り返せば、物語になると勘違いしてしまったのか。
もちろん、CGまるわかりの宇宙の映像も、とことんなえてしまう。
何一つ、説得力がない。
すべては脚色のせいだと私は思う。
美談としてたびたび出てくる、情熱を盾にした研究者の搾取を前提にした台詞もとても気になる。
これでは、新しい何かをブレイクスルーしたというよりも、愚直な日本の労働者たちが、これまで通り情熱によって困難を克服してしまったという、なんとも悲しい生き様しか見えてこない。
これがブラック企業、ブラックバイト、ブラック部活の温床ではなかったのか。
「こういう筋書きが大衆は好きだから、大衆よりに脚色してみました」という表現者の鑑(典型例)のような作品だ。
確かに興味も情熱も知識もある人には楽しめるのかもしれない。
けれども、そんなものは映画ではない。
それはNHKのスペシャルでやればいい。
多少間違えていてもいい、虚構でもいい。
そんなことよりも、物語としての面白さを追求しなければ、映画ではない。
とても残念。
あらゆる日本映画の脆弱さが象徴として、記念碑として、表れてしまったような映画だ。
世界よ、これが日本の映画だ!
と紹介したくなる映画だ。
監督:堤幸彦
ほんとうにつまらない。
2002年、天文史上かつてないプロジェクトが企画されていた。
それは小惑星に探査機を送り込み、そこにある鉱物をカプセルに入れて持ち帰るというものだった。
企画したのは日本の国立チームたち。
その計画を知った水沢恵(竹内結子)は、講演会で熱烈にプロジェクトの責任者の一人、的場(西田敏行)の話に聞き入った。
その熱烈ぶりから、彼女がクレーター研究者であることを知った的場は、プロジェクトに参加させることにする。
全くわからないところから、宇宙に対する興味だけで食いつく水沢たちに、容赦なく困難が降りかかる。
息子が宇宙に興味を持ち始め、妻が言うままに5歳児と一緒にアマゾンプライムで見た。
ほとんどはやぶさに興味がなかった私は、地球に帰ってきたこと、一時期ロストしてしまっていたことくらいしか知らなかった。
監督は堤幸彦。
キャスティングをみればわかることだが、そうそうたるメンバーだ。
私は「アポロ13」をイメージして見始めた。
息子は楽しそうに見ていたいが、私はほんとうに退屈な2時間を過ごしてしまった。
▼以下はネタバレあり▼
少し前に受けたプレゼンの講習で、やってはいけないプレゼンの典型例を見せられているような冒頭だった。
「すべてを正しく」伝えようとしてはいけない。
冗長で、冗漫で、何を伝えようとしているのかわからない映画になりさがっている。
上映時間の問題ではない。
どれだけこのプロジェクトが偉大だったのか、ということを丁寧に説明されていく。
そう、この映画には全く描写というものが存在せずに、ただ説明だけが塗り重ねられていく。
そこに、登場人物の人間性や、プロジェクトに対するパストなどは全く描かれない。
これだけ有名で、しかも題材としておいしいコンテンツを、これほど浪費してしまうとは、辟易してしまう。
まず、ロケットを飛ばすまでが長い。
まるで主人公の水沢と同じように、ただただ技術的な説明を繰り返されてしまう。
わざわざテロップに説明を入れてしまうほど、野暮なことはない。
素人の観客にわかるのは、やたらと予算が削られている、ということくらいだ。
本当はもっと技術的な説明もされているのだが、全く頭に入ってこない。
だから、拾えるのは予算が打ち切られるかも知れない、という研究者の労働力の搾取だけだ。
そこにドラマチックさは全くない。
どれだけ凄いのか、ということを知識だけで伝えようとするのは、研究者が一般人に講演するときだけでいい。
冒頭の西田敏行の講演が、そのまま映画になったような映画だ。
かといって登場人物に感情移入することもできない。
過去に兄が目指した宇宙工学を、妹である恵が意志を継いでいくということを、わざわざ丁寧に説明してくれる。
あまりに典型的な科学者オタクのキャラクターしか設定されていないので、そのことを明かされても「そうですか」というクレイマー対応のオペレーター並の共感しか生まない。
成功したときに全員が一様に泣いたり、そのカットがやたらと長く執拗であったり。
とにかく全てが起伏なく、説明が繰り返される。
説明を淡々と繰り返せば、物語になると勘違いしてしまったのか。
もちろん、CGまるわかりの宇宙の映像も、とことんなえてしまう。
何一つ、説得力がない。
すべては脚色のせいだと私は思う。
美談としてたびたび出てくる、情熱を盾にした研究者の搾取を前提にした台詞もとても気になる。
これでは、新しい何かをブレイクスルーしたというよりも、愚直な日本の労働者たちが、これまで通り情熱によって困難を克服してしまったという、なんとも悲しい生き様しか見えてこない。
これがブラック企業、ブラックバイト、ブラック部活の温床ではなかったのか。
「こういう筋書きが大衆は好きだから、大衆よりに脚色してみました」という表現者の鑑(典型例)のような作品だ。
確かに興味も情熱も知識もある人には楽しめるのかもしれない。
けれども、そんなものは映画ではない。
それはNHKのスペシャルでやればいい。
多少間違えていてもいい、虚構でもいい。
そんなことよりも、物語としての面白さを追求しなければ、映画ではない。
とても残念。
あらゆる日本映画の脆弱さが象徴として、記念碑として、表れてしまったような映画だ。
世界よ、これが日本の映画だ!
と紹介したくなる映画だ。
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