アメリカに銃があるから銃乱射事件が止まらないらしい。
これも最近よく耳にするニュースだろう。
だから必ず銃社会でない日本が良かった、と思ってしまう。
しかし、これは違うと思う。
アメリカの論理が銃乱射事件を止めるものではないからだ。
銃乱射事件が起こった時私たち日本人は、だから銃を規制するべきだと当然考える。
銃がかるから人が死ぬのだと。
なるほど、日本で通り魔が起きても、銃はないので死者は少ないと考えるのは妥当だ。
だが、アメリカはそうは考えない。
銃乱射事件が起こったのなら、銃で守るしかない。
相手はライフルで武装しているのなら、こちらは自動小銃を用意するべきだと考える。
根本的に考え方が違う。
そこに、妥協の余地はない。
議論の余地もない。
産業がアメリカを支えているから銃を捨てられないのではない。
銃を捨てることは、自ら守ることを放棄しているのと同じなのだ。
だから銃規制の議論が高まっても、きっと実際に銃規制に踏み切ることはない。
これは他国に対するアメリカの振る舞いにも言えることだ。
最も影響をもつアメリカは他国への威力によってその地位を確立させてきた。
日本が武力以外の経済力によってのみ大国になってきたのとは好対照だ。
彼らがどんな民族・集団・思想なのか安易に語ることはできない。
その国の人々の内面は抽象化しがたいからだ。
しかし、持っているものはその人の考えを表しているのかもしれない。
本質は産業よりも根深いとわたしは見ている。
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