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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

イコライザー2(V)

2021-10-05 12:21:08 | 映画(あ)
評価点:68点/2018年/アメリカ/121分

監督:アントワーン・フークア

徹底したリアリズムに通底する、計り知れないロマンティシズム。

特殊工作員だったロバート・マッコール(デンゼル・ワシントン)は、今はタクシー運転手として働いていた。
目の前にいる目に付く困っている人を助けるという流浪人(るろうに)マッコールの日々だった。
ただし、「不殺(ころさず)」の決まりを守るどころか、「悪即斬」の決まりを守っていた。
そんなとき、かつてDIA(国防情報局)の同僚であったスーザンが、事件の捜査をしているところベルギーで殺された。
話を知ったマッコールはかつての同じチームにいたデイブ(ペドロ・パスカル)に、自分が証人保護プログラムで生き延びていたことを明かし、スーザン殺害の事件の真相に協力するようにと頼む。
しかし、そのマッコールに確実に追っ手が近づいていく。

前作「イコライザー」の続編。
日常に紛れたスーパーマンという趣や設定は変わっていない。
今作は、マッコールの誕生秘話に迫っているぶん、切迫感がある。

事件はベルギーで起こるが、捜査は全てアメリカで行う、という日常性を外さないところも前作と同じだ。
残酷な描写もあるので心臓が弱い人はやられてしまうかもしれない。
だが、安心感ある演出なので、これまでのアクション映画が好きな人は楽しめるだろう。

▼以下はネタバレあり▼

前作よりパワーアップさせる必要があるのは映画として辛いところだ。
敵をどうやって設定するかというのがアクション映画の命題であり、難しい。
今回は、マッコールに近い人間、それに対峙できる過去を知っている人間、ということになる。

だが、映画はそれ以上に複雑だ。
ほとんど説明的な描写がないなかで、事実だけが淡々と描かれていくのでわかりにくい。
事件も複数起こるため、マッコールの性格を描き出すのに役立っているが、観客はそれを整理しながら複数の物語を追っていく必要がある。
ちょっと混乱してしまいがちなのはそのためだろう。

特に、メインとなるスーザン殺害事件(ベルギー夫婦)と、マッコールがどのように関わっていくのかがわかりにくい。
登場人物が一気に増えるということもあって、そういうサスペンス効果(このあとどうなるのかという観客が期待する効果)は高かった。
が、整理してしまうとなんてんことはない、ふつうの展開だ。
だから、実際に見ている感じと、文字されたストーリーから受ける印象とはだいぶ違うだろう。
見終わってしまうと、なんだ、大した映画じゃないな、という読後感だが、見ているときはそれなりに楽しめた。

さて、枝葉末節から切り込んでもしかたがないのでどんどん話を進めよう。
この映画のキモは、リアリズムの演出をしながら、実際には空前絶後のロマンティシズムが根底に流れている、ということだろう。
黒人の不良マイルズ(アシュトン・サンダーズ)が良い例だ。
下町に住む黒人がどのような生活にあるのかというのを如実に、さらにリアルに描いている。
それもよくある黒人像である、といえばそれまでだが、やたらと残酷描写が多いのも、リアリズムを追求しているような演出になっている。
日常性がこのシリーズにある基本路線ではあるので、それをより押し進めたかたちだろう。

だが、このリアリズムは演出上であって、物語はまったくリアリティはない。
それが顕著なのが、ラストに明かされるマイルズの顛末だ。
なんとか黒人の不良グループから救い出されたマイルズは、マッコールに頼まれていた壁に見事な絵画を完成させる。
その絵画が見事すぎて、不自然極まりない。
それまでのマイルズの描き方から飛躍が大きすぎる。
もっとはっきり言えば、見事すぎて笑ってしまう。

その前のシークエンス。
姉が第二次世界大戦で死んでしまってそのせめてもの形見として、姉の肖像画を探していた老人。
周囲からは肖像画が偽物であると言われていたが、よく調べると……というエピソードの結末だ。
なんと、姉は生きていて再会するという展開になる。
ここだけならいい話で住んでいたのに、マイルズの絵が見事すぎて、このエピソードまでもロマンティシズムに絡め取られてしまう。
なんだ、この映画はギャグだったのだ、ということを突きつけられるところだ。

そして冒頭にあったトルコに向かう列車で女の子を取り戻す話も、そういう言えばむちゃくちゃだったな、ということが露見するわけだ。
よって、この映画のラストでは、「ああ、リアルな演出をしておいて結局は荒唐無稽な良い話(ギャグ)だったのね」という妙なむなしさを感じて映画館を去る格好になる。

演出がリアリズムである、と先ほど書いたが、それも疑わしくなってくる。
この映画はその深刻な状況について緩和するための処置も同時にされているからだ。
すべてのアクションシーンは、「弱者視点」で描かれる。
だから基本的には被害者(殺される側)からの視点で、不安を煽る演出なのだ。
ベルギーの夫婦が殺されるときも、スーザンが殺されるときも、マイルズがマッコールの自宅で襲われる場面も、最後マッコールが敵を追い詰めていくところも、すべて弱者視点だ。
ああ、殺される、どうやって殺されるんだろう、という演出になっている。

マッコールがタクシー客を空港に送り届けるシーンも同じ論法だ。
マッコールが手を離せないという弱い状況で敵が襲ってくるため、マッコール視点で描かれる。
だから、最後の台風での決闘が、もはやギャグなのだ。
ぜんぜん緊迫感がないのだ。
追い詰められていく様子をデイブ側から描くので、どうせデイブが殺されるのはわかりきっているから。
何度も同じ展開になると、緊迫感が逆に失われてしまう好例だ。

このあたりは工夫がなさ過ぎた。
中盤あたりまでは話としておもしろかったのに、徹頭徹尾あり得ない展開になり、凡庸な作品に成り下がっている。
ラストで指輪を入れ替えるシーンも、意味ありげだけど、実際には意味不明だし、中身がない。

中盤までの印象と、エンドロールが終わってからの印象がまるで違う、変わった作品だ。



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