評価点:64点/2018年/アメリカ/112分
監督:ルーベン・フライシャー
ほんまに、仮面ライダーリバイス……。
報道番組の突撃リポーターで人気を博してきたエディ・ブロック(トム・ハーディー)は、大企業のライフ財団に疑惑を持っていた。
あるとき、CEOにインタビューするチャンスを得たエディは、恋人のアンが持っていた情報を元に、ホームレスによる治験についての質問をぶつける。
CEOは立腹し、テレビ局からの契約を打ち切られたエディは、6ヶ月後、職に就けずに貧窮していた。
弁護士のアンからも三行半を突きつけられて、行き場を失ったエディに、番組を見たライフ財団の研究者が声を掛ける。
ライフ財団の悪事に耐えられなくなった研究者は、こっそりエディを研究施設に招き入れる。
そこでエディがみたのは、地球の動物を宿主にするシンビオートと呼ばれる謎の地球外生命体だった。
続編が公開されるということで、気になっていたが見そびれていた、「ヴェノム」を見た。
次のダブルオー(007)にも名前が挙がっている、トム・ハーディーが主人公。
もともとはマーベルの「スパイダーマン」のヴィランだったが、そのスピンオフ作品だ。
わたしはそちらにあまり明るくないので、間違えいたらすんません。
アマゾンプライムでの鑑賞で、ほとんど期待していなかったので、ま、こんなものか、という印象だ。
本気で見るような作品ではないので、多少温かい目でみてあげるのがいいだろう。
エンドロール後もエピソードがあるので途中でやめないように。
▼以下はネタバレあり▼
私の最初の印象は、そして最後まで終わってからの印象は、「仮面ライダー・リバイス」ね、ということだった。
もちろん、リバイスのほうが後の作品なので、深いオマージュで制作されているのはわかっているが、どこまでもリバイスだった。
映画としての出来はそれほど高くはない。
それでもキャラクター設定などの明るさでそれが目立たないようになっている。
所詮は映画、そして商業映画なので、これくらいの脱力がちょうど良いのかもしれない。
この映画の鋭さ、面白さは、ヴェノムのCGでも、ストーリーの痛快さでもない。
このエディというキャラクター設定が非常にうまいという点だろう。
何をやってもうまくいかない、すべて人のせいにしたい、中途半端な正義感だけがある。
これはまさにアメリカそのものなのだ。
正義感で人に文句をたれるのが好きだが、誰かの不正を明らかにしにいこうとちょっかいをかける。
しかし、その証拠は「言えない」ものであり、深く解決するだけの気概もない。
何かを生み出すような才能や努力もないので、行き詰まる。
行き詰まったとたん、すべては他人のせい、やりきることはしたくない。
この白人男性の造形は、徹頭徹尾アメリカという国を象徴するものだ。
もちろん、すべてのアメリカ人がそうだというわけではない。
だが、アメリカという国のあり方をうまく切り出している。
そして、そんなだめな男が、地球外生命体と出会ってしまう。
このヴェノムにも人格があり、ライオットと呼ばれるもう一人のシンビオートと対峙することになる。
このヴェノムの内面が(地球外生命体に内面も外面もないかもしれないが)うまく描けていない。
ヴェノムがきちんと描けていれば、まさかの超大作になったかもしれないが、ヴェノムがなぜ地球人に肩入れするのかがいまいちよくわからない。
よくわからないくらいでちょうど良いといえばそうなのかもしれないが、ライオットというもう一人のシンビオートとの対比がうまくないので、倒した後のカタルシスがないのだ。
アクションシーンについても、色や形が同じような二人だから、どっちがどっちなのかよくわからない。
暗いシーンということもあり、かなりわかりにくい。
映画館ならましだっただろうが、もっとヴィジュアル的に対照的にするべきだった。
ライオットが取り憑いたのが、明らかにインド系のCEOである、という点もよかった。
技術先行で、他は一切何も見えていない、というキャラクター造形も、何も才能のないエディとの対比もよかった。
それだけに、ライオットとヴェノムとの対比がうまくなかったのは、いただけない。
話を戻そう。
これまでのヒーロー像とは全く違って、やる気のない成り上がりだけの主人公であるため、利用されるだけの傀儡である。
ヴェノムに乗っ取られて、ヴェノムが「おまえは俺の車だ」と言い放つところは痛快でさえある。
だからアクションの見せ方も、ただただ受動的な点は新しく、そしてやはり能力に翻弄されるアメリカを彷彿とさせる。
どれだけ能力が高くても、全く使いこなせない。
技術や能力はすべて、技術や能力の方に主導権があり、一見使いこなしている使い手は置いてけぼりを食らう。
技術に翻弄されて主体性を失ってしまったアメリカそのものではないか。
どんなにすごいバイクチェイスを演じても、エディはジェットコスーターに乗せられているだけで、楽しめない。
その感じもヒーローとしてあたらしいし、この設定故の楽しさだ。
この作品は、ほとんどヴェノムの紹介映画にすぎない。
やはり真価が問われるのは、本格的なヴィランであるウディ・ハレルソン演じるクレタス・キャサディとの対決だろう。
あまり映画館に行ける気がしないが、機械があれば見たいと思う。
監督:ルーベン・フライシャー
ほんまに、仮面ライダーリバイス……。
報道番組の突撃リポーターで人気を博してきたエディ・ブロック(トム・ハーディー)は、大企業のライフ財団に疑惑を持っていた。
あるとき、CEOにインタビューするチャンスを得たエディは、恋人のアンが持っていた情報を元に、ホームレスによる治験についての質問をぶつける。
CEOは立腹し、テレビ局からの契約を打ち切られたエディは、6ヶ月後、職に就けずに貧窮していた。
弁護士のアンからも三行半を突きつけられて、行き場を失ったエディに、番組を見たライフ財団の研究者が声を掛ける。
ライフ財団の悪事に耐えられなくなった研究者は、こっそりエディを研究施設に招き入れる。
そこでエディがみたのは、地球の動物を宿主にするシンビオートと呼ばれる謎の地球外生命体だった。
続編が公開されるということで、気になっていたが見そびれていた、「ヴェノム」を見た。
次のダブルオー(007)にも名前が挙がっている、トム・ハーディーが主人公。
もともとはマーベルの「スパイダーマン」のヴィランだったが、そのスピンオフ作品だ。
わたしはそちらにあまり明るくないので、間違えいたらすんません。
アマゾンプライムでの鑑賞で、ほとんど期待していなかったので、ま、こんなものか、という印象だ。
本気で見るような作品ではないので、多少温かい目でみてあげるのがいいだろう。
エンドロール後もエピソードがあるので途中でやめないように。
▼以下はネタバレあり▼
私の最初の印象は、そして最後まで終わってからの印象は、「仮面ライダー・リバイス」ね、ということだった。
もちろん、リバイスのほうが後の作品なので、深いオマージュで制作されているのはわかっているが、どこまでもリバイスだった。
映画としての出来はそれほど高くはない。
それでもキャラクター設定などの明るさでそれが目立たないようになっている。
所詮は映画、そして商業映画なので、これくらいの脱力がちょうど良いのかもしれない。
この映画の鋭さ、面白さは、ヴェノムのCGでも、ストーリーの痛快さでもない。
このエディというキャラクター設定が非常にうまいという点だろう。
何をやってもうまくいかない、すべて人のせいにしたい、中途半端な正義感だけがある。
これはまさにアメリカそのものなのだ。
正義感で人に文句をたれるのが好きだが、誰かの不正を明らかにしにいこうとちょっかいをかける。
しかし、その証拠は「言えない」ものであり、深く解決するだけの気概もない。
何かを生み出すような才能や努力もないので、行き詰まる。
行き詰まったとたん、すべては他人のせい、やりきることはしたくない。
この白人男性の造形は、徹頭徹尾アメリカという国を象徴するものだ。
もちろん、すべてのアメリカ人がそうだというわけではない。
だが、アメリカという国のあり方をうまく切り出している。
そして、そんなだめな男が、地球外生命体と出会ってしまう。
このヴェノムにも人格があり、ライオットと呼ばれるもう一人のシンビオートと対峙することになる。
このヴェノムの内面が(地球外生命体に内面も外面もないかもしれないが)うまく描けていない。
ヴェノムがきちんと描けていれば、まさかの超大作になったかもしれないが、ヴェノムがなぜ地球人に肩入れするのかがいまいちよくわからない。
よくわからないくらいでちょうど良いといえばそうなのかもしれないが、ライオットというもう一人のシンビオートとの対比がうまくないので、倒した後のカタルシスがないのだ。
アクションシーンについても、色や形が同じような二人だから、どっちがどっちなのかよくわからない。
暗いシーンということもあり、かなりわかりにくい。
映画館ならましだっただろうが、もっとヴィジュアル的に対照的にするべきだった。
ライオットが取り憑いたのが、明らかにインド系のCEOである、という点もよかった。
技術先行で、他は一切何も見えていない、というキャラクター造形も、何も才能のないエディとの対比もよかった。
それだけに、ライオットとヴェノムとの対比がうまくなかったのは、いただけない。
話を戻そう。
これまでのヒーロー像とは全く違って、やる気のない成り上がりだけの主人公であるため、利用されるだけの傀儡である。
ヴェノムに乗っ取られて、ヴェノムが「おまえは俺の車だ」と言い放つところは痛快でさえある。
だからアクションの見せ方も、ただただ受動的な点は新しく、そしてやはり能力に翻弄されるアメリカを彷彿とさせる。
どれだけ能力が高くても、全く使いこなせない。
技術や能力はすべて、技術や能力の方に主導権があり、一見使いこなしている使い手は置いてけぼりを食らう。
技術に翻弄されて主体性を失ってしまったアメリカそのものではないか。
どんなにすごいバイクチェイスを演じても、エディはジェットコスーターに乗せられているだけで、楽しめない。
その感じもヒーローとしてあたらしいし、この設定故の楽しさだ。
この作品は、ほとんどヴェノムの紹介映画にすぎない。
やはり真価が問われるのは、本格的なヴィランであるウディ・ハレルソン演じるクレタス・キャサディとの対決だろう。
あまり映画館に行ける気がしないが、機械があれば見たいと思う。
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