評価点:62点/2014年/アメリカ/165分
監督:マイケル・ベイ
一度終わらせた物語を再び立ち上げたシナリオはすごいが……。
オートボットたちは地球人たちとともにディセプティコンから懸命に地球を守った。
しかし、地球人たちは、オートボットがいたからこそ、地球が危うくなってしまったのだと断じ、すべてのトランスフォーマーを破壊するという方針を打ち出した。
その一方で、人類より遙かに優れたこの技術を手に入れようと、死んだトランスフォーマーたちを分析し、開発がすすでいた。
そんなころ、発明が生業のケイド(マーク・ウォールバーグ)は廃墟になった映画館から一台のトラックを買い取った。
娘から反対されながらも直すと、それがオプティマス・プライムであることを発見する。
オプティマスがいることがCIAに発覚し、彼らはCIAから命を狙われるが……。
言わずと知れた、マイケル・ベイ監督の大人気シリーズ「トランスフォーマー」の新たなシリーズが立ち上げになった。
3部作にするはずだったので、前シリーズで壮大な結末を迎えたはずだったが、この商業映画を簡単に終わらせてしまうとおもちゃ会社が泣くのかどうかは知らないが、とにかくリブートすることになった。
一度おわらせたものをもう一度立ち上げることほど難しいことはない。
前作ファンを納得させるために必要なのは、シナリオだ。
シナリオをきちんと成立させなければ、物語は破綻してしまう。
マイケル・ベイが新しいキャストで挑む、ロボットの闘い。
3D上映は当たり前、食傷ぎみのアクションも当たり前。
その上で新しい感動が用意できるかどうかなのだが……。
仕方がないので映画館で鑑賞することをお勧めする。
しかし、もう公開が終わりそうかも知れない……。
▼以下はネタバレあり▼
見終わって4週間のブランクはさすがにきつい。
覚えているところ、印象に残ったところだけで批評にしようと思う。
細かいところは、機会があれば、もう一度書くことにする。
私個人の話を続けると、この記事を書く前に、すでに「猿の惑星」を見てしまった。
だからどうしてもそっちと比較してしまうことになるのだが、「猿」のほうが新しく、「トランスフォーマー」のほうが圧倒的に古い。
そんな印象をぬぐえない。
この映画の最大の売りは、終わってしまった話をもう一度無理なく立ち上げ直した、という点だ。
むしろこの点しかない。
どう考えても、一度終わっている話なので、かなりそれでも無理がある。
その無理をなんとか新しいシリーズとして立て直すために、キャスティングを変え、新たな要素を入れてなんとか立ち上げました、というのが本作だ。
だから、多少の無理は目をつむるしかない。
その「無理」は人間のキャラクター設定の甘さに随所に表れている。
マーク・ウォルバーグと、その娘テッサ(ニコラ・ペルツ)、そしてそのカレシのキャラクターの設定が曖昧だ。
カレシは頼りがいがある設定で登場しながら、途中、養父との対比を見せるためにヘタレぶりを発揮する。
主人公のケイドも何が本当に大切なのか、よくわからない。
発明でお金儲けをしようとしている守銭奴のようにみえて、最後は英雄まで上り詰める。
物語をしっかり見せるためには、新しいキャラクターが必要だったのは間違いない。
そして、その物語を見せるためにはきちんと前半に人間の物語を描く必要があったこともたしかだ。
しかし、それにしても、彼らの振るまいがあまりに曖昧なので、前半はばっさり切ってしまっても問題ないのではないかと思えるほど「設定が揺れる」。
ケイドが出てきた理由は、「社会から見捨てられてしまった男」であることを、オプティマスと重ねるためだ。
しかし、それがあまり重ね切れていない。
もっとひどいのは人間版トランスフォーマーを作り出そうとしたスタンリー。トゥッチ演じるジョイスだ。
彼は登場したシーンと終わりのシーンでは全く設定が異なってしまう。
いつの間にか良い奴になり、おもしろい奴になってしまう。
何が大切で、何を大事にしていて、何が我慢ならないのか、そういう基本的な設定がないに等しい。
むしろ、物語を進行していく上で必要だから置かれてしまったかのような、一番やってはいけない配置をしてしまった。
だから、物語がどこか「しまらない」印象を受けてしまうのだ。
そして、やっぱり対立構造が古くさいのだ。
ディセプティコンを何度も出して、挙げ句の果てには「我々の創造主の元に返るべきだ」という新たな設定を打ち出してしまった。
いい加減、トランスフォーマー対トランスフォーマーという対立を辞めさせないと、飽きてくる。
いつまでも「自由が大切だ」なんていうとどこかの元大統領の演説さえを思い出させる。
新シリーズを打ち立てたのだから、もっと違う角度から敵を生み出さないと、シリーズとしては魅力がない。
その点で言えば明らかに「猿の惑星」のほうが「新しい」。
時事を取り入れればいいというものでもないが、これでは熱くなれないのではないか。
人間を使ったアクションを入れたり、より縦の空間を利用したカットを挿入したり、あの手この手でおもしろさを演出しているが、どうもマンネリ気味なのを払拭できていない。
もっとシナリオを練らないと、他のシリーズや映画に置いてけぼりになるような気がしてならない。
監督:マイケル・ベイ
一度終わらせた物語を再び立ち上げたシナリオはすごいが……。
オートボットたちは地球人たちとともにディセプティコンから懸命に地球を守った。
しかし、地球人たちは、オートボットがいたからこそ、地球が危うくなってしまったのだと断じ、すべてのトランスフォーマーを破壊するという方針を打ち出した。
その一方で、人類より遙かに優れたこの技術を手に入れようと、死んだトランスフォーマーたちを分析し、開発がすすでいた。
そんなころ、発明が生業のケイド(マーク・ウォールバーグ)は廃墟になった映画館から一台のトラックを買い取った。
娘から反対されながらも直すと、それがオプティマス・プライムであることを発見する。
オプティマスがいることがCIAに発覚し、彼らはCIAから命を狙われるが……。
言わずと知れた、マイケル・ベイ監督の大人気シリーズ「トランスフォーマー」の新たなシリーズが立ち上げになった。
3部作にするはずだったので、前シリーズで壮大な結末を迎えたはずだったが、この商業映画を簡単に終わらせてしまうとおもちゃ会社が泣くのかどうかは知らないが、とにかくリブートすることになった。
一度おわらせたものをもう一度立ち上げることほど難しいことはない。
前作ファンを納得させるために必要なのは、シナリオだ。
シナリオをきちんと成立させなければ、物語は破綻してしまう。
マイケル・ベイが新しいキャストで挑む、ロボットの闘い。
3D上映は当たり前、食傷ぎみのアクションも当たり前。
その上で新しい感動が用意できるかどうかなのだが……。
仕方がないので映画館で鑑賞することをお勧めする。
しかし、もう公開が終わりそうかも知れない……。
▼以下はネタバレあり▼
見終わって4週間のブランクはさすがにきつい。
覚えているところ、印象に残ったところだけで批評にしようと思う。
細かいところは、機会があれば、もう一度書くことにする。
私個人の話を続けると、この記事を書く前に、すでに「猿の惑星」を見てしまった。
だからどうしてもそっちと比較してしまうことになるのだが、「猿」のほうが新しく、「トランスフォーマー」のほうが圧倒的に古い。
そんな印象をぬぐえない。
この映画の最大の売りは、終わってしまった話をもう一度無理なく立ち上げ直した、という点だ。
むしろこの点しかない。
どう考えても、一度終わっている話なので、かなりそれでも無理がある。
その無理をなんとか新しいシリーズとして立て直すために、キャスティングを変え、新たな要素を入れてなんとか立ち上げました、というのが本作だ。
だから、多少の無理は目をつむるしかない。
その「無理」は人間のキャラクター設定の甘さに随所に表れている。
マーク・ウォルバーグと、その娘テッサ(ニコラ・ペルツ)、そしてそのカレシのキャラクターの設定が曖昧だ。
カレシは頼りがいがある設定で登場しながら、途中、養父との対比を見せるためにヘタレぶりを発揮する。
主人公のケイドも何が本当に大切なのか、よくわからない。
発明でお金儲けをしようとしている守銭奴のようにみえて、最後は英雄まで上り詰める。
物語をしっかり見せるためには、新しいキャラクターが必要だったのは間違いない。
そして、その物語を見せるためにはきちんと前半に人間の物語を描く必要があったこともたしかだ。
しかし、それにしても、彼らの振るまいがあまりに曖昧なので、前半はばっさり切ってしまっても問題ないのではないかと思えるほど「設定が揺れる」。
ケイドが出てきた理由は、「社会から見捨てられてしまった男」であることを、オプティマスと重ねるためだ。
しかし、それがあまり重ね切れていない。
もっとひどいのは人間版トランスフォーマーを作り出そうとしたスタンリー。トゥッチ演じるジョイスだ。
彼は登場したシーンと終わりのシーンでは全く設定が異なってしまう。
いつの間にか良い奴になり、おもしろい奴になってしまう。
何が大切で、何を大事にしていて、何が我慢ならないのか、そういう基本的な設定がないに等しい。
むしろ、物語を進行していく上で必要だから置かれてしまったかのような、一番やってはいけない配置をしてしまった。
だから、物語がどこか「しまらない」印象を受けてしまうのだ。
そして、やっぱり対立構造が古くさいのだ。
ディセプティコンを何度も出して、挙げ句の果てには「我々の創造主の元に返るべきだ」という新たな設定を打ち出してしまった。
いい加減、トランスフォーマー対トランスフォーマーという対立を辞めさせないと、飽きてくる。
いつまでも「自由が大切だ」なんていうとどこかの元大統領の演説さえを思い出させる。
新シリーズを打ち立てたのだから、もっと違う角度から敵を生み出さないと、シリーズとしては魅力がない。
その点で言えば明らかに「猿の惑星」のほうが「新しい」。
時事を取り入れればいいというものでもないが、これでは熱くなれないのではないか。
人間を使ったアクションを入れたり、より縦の空間を利用したカットを挿入したり、あの手この手でおもしろさを演出しているが、どうもマンネリ気味なのを払拭できていない。
もっとシナリオを練らないと、他のシリーズや映画に置いてけぼりになるような気がしてならない。
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