中学一年生の安西こころは、不登校だった。
ある日、自室の姿見が光っていることに気づいた。
触れてみると引き込まれ、気づくと謎の城にいた。
そこには「オオカミさま」と名乗る仮面をつけた少女がいた。
ここにある鍵を見つければ、願いを一つだけ叶えてやろう。
驚いたこころだが、翌日もう一度訪れると、自分以外にも孤城に誘われた者がいることを知る。
本屋大賞を受賞していた話題の本。
なぜ読もうと思ったのかわからないけれど、子どもが本を買うついでに、奥さんにおねだりして買ってもらった。
上下巻だが、驚くほど文字が大きいので実際の長さはそれほどでもない。
本屋大賞を受賞するような本、というよりも、児童文学、という印象だ。
だがそこにはいろいろ仕掛けがあって、確かにこれは売れるだろうな、という作品でもある。
お手軽で、読みやすく、同化しやすい。(=感情移入しやすい)
小学生くらいから大人まで読める本ではある。
映画化するらしいので、これを機に読んでみるのもいいのかもしれない。
▼以下はネタバレあり▼
なぜ孤城に連れてこられたのか。
なぜこの7人なのか。
隠された鍵と部屋はどこにあるのか。
それぞれの7人は何を望むのか。
設定がすでに突拍子もなく、ファンタジーなのでその世界観に引き込まれるかどうかが一つの評価の分かれ目だろう。
まあ、小説ではあるので、その孤城についての説得力がどれだけあるかはちょっと括弧に入れておく必要はある。
物語としては、入口がファンタジーだが、出口はミステリーやサスペンスになっている。
謎解きや仕掛けの要素があり、後半になってそれが明かされていくという仕組みだ。
わかりきった展開のように見えて、かなり伏線が張ってあるということで、本としての面白みもあるのだろう。
と、これ以上引っ張っても意味がないので、真相を少しだけ確認しておこう。
この孤城は、連れてこられた7人の一人、リオンの亡くなった姉が作った世界だった。
リオンは亡くなる直前の1年間を利用して孤城を作り上げ、学校に通いたくても通えなかった7人を連れてくる。
その7人の共通点は同じ中学校である、ということ。
相違点はそれぞれ7人は別の時間軸を生きていた、ということだ。
同じ孤城に来ていても、現実世界はそれぞれ違う時代を生きている。
だから、細かいところで齟齬があり、話がかみ合わないところがあった。
その一人、アキと名乗る女性が、こころに道を示してくれた喜多嶋先生その人だった。
このあたりの細かいところはいちいち解説しているときりがないので、辞めておこう。
ただ、この展開を読みながら、私は既視感に襲われていた。
いや、早い段階でこの仕掛けに気づいたので、私はある他の作品との類似性を感じていた。
それは「君の名は」である。
二人か、7人かという違いはあるものの、時間軸の食い違いを用いた仕掛けは「君の名は」に酷似している。
また、7人がこの孤城から抜け出すと、すべて記憶から消えてしまう、という点も同じだ。
要するに、この物語はこころたちの内部にあった世界であり、「現実」とか「アクチュアリティ」といったものとは違う形而上学的な世界なのである。
それらをすべて夢であるとか、幻想だったとまでは言えないにしても、7人の内面的な強さ、他者との無意識のつながり、学校や地域という場所にある磁力のようなものを、具現化したものがかがみの孤城だったわけだ。
(リオンの姉の個人的な強さ(能力)、というには人物に深みがない)
それぞれの7人の関係性、境遇、さらにはオオカミさまを含めた8人の謎は、非常に面白い。
かっちりとパズルがはまっていく感覚があり、なるほどだから○○だったのか、という完結性を感じる。
故に、読後感も悪くない。
しかし、それまでなのだ。
その仕掛けをみせるための文章になっていて、それぞれの内面性を深くえぐろうとはしていない。
だから、同化はできるが、ある程度でとどまってしまう。
特に、こころを苦しめた真田や担任の先生に立体性がない。
こころが視点人物である以上、仕方がない部分ではあるが、それ故にこころの内面も浅くなっている。
母親や父親も含めて、こころが現実に出会う人物たちが、こころという人物を照らす鏡になっていないので、薄っぺらくなってしまっている。
平たく言えば、いじめられている子(いじめている子)ってこれくらいだよね? という思い込み(作者個人ではなく世間でよく言われているという程度の通念)で描かれている平板さが感じられる。
もっとそれぞれを深くえぐった描写があれば、世界観が立体的になり、こころの内面やその変化がわかりやすくなったはずだ。
こころは終始「被害者」として現実世界で描かれる。
今後喜多嶋先生によって自立していく際に、被害者としての立場を超えたところに未来を描かせれば、さらに先の世代にも波及するような展望が描けたはずだ。
こころ=被害者、担任の先生、真田=加害者という対比はあまりにも安直だった。
売れそうな小説、と思うけれども、周りに勧めたくなるような作品でもないな、というのが私の印象だ。
これだけ売れた小説が、どんなふうに映画に落とされるのか、気にはなる。
ある日、自室の姿見が光っていることに気づいた。
触れてみると引き込まれ、気づくと謎の城にいた。
そこには「オオカミさま」と名乗る仮面をつけた少女がいた。
ここにある鍵を見つければ、願いを一つだけ叶えてやろう。
驚いたこころだが、翌日もう一度訪れると、自分以外にも孤城に誘われた者がいることを知る。
本屋大賞を受賞していた話題の本。
なぜ読もうと思ったのかわからないけれど、子どもが本を買うついでに、奥さんにおねだりして買ってもらった。
上下巻だが、驚くほど文字が大きいので実際の長さはそれほどでもない。
本屋大賞を受賞するような本、というよりも、児童文学、という印象だ。
だがそこにはいろいろ仕掛けがあって、確かにこれは売れるだろうな、という作品でもある。
お手軽で、読みやすく、同化しやすい。(=感情移入しやすい)
小学生くらいから大人まで読める本ではある。
映画化するらしいので、これを機に読んでみるのもいいのかもしれない。
▼以下はネタバレあり▼
なぜ孤城に連れてこられたのか。
なぜこの7人なのか。
隠された鍵と部屋はどこにあるのか。
それぞれの7人は何を望むのか。
設定がすでに突拍子もなく、ファンタジーなのでその世界観に引き込まれるかどうかが一つの評価の分かれ目だろう。
まあ、小説ではあるので、その孤城についての説得力がどれだけあるかはちょっと括弧に入れておく必要はある。
物語としては、入口がファンタジーだが、出口はミステリーやサスペンスになっている。
謎解きや仕掛けの要素があり、後半になってそれが明かされていくという仕組みだ。
わかりきった展開のように見えて、かなり伏線が張ってあるということで、本としての面白みもあるのだろう。
と、これ以上引っ張っても意味がないので、真相を少しだけ確認しておこう。
この孤城は、連れてこられた7人の一人、リオンの亡くなった姉が作った世界だった。
リオンは亡くなる直前の1年間を利用して孤城を作り上げ、学校に通いたくても通えなかった7人を連れてくる。
その7人の共通点は同じ中学校である、ということ。
相違点はそれぞれ7人は別の時間軸を生きていた、ということだ。
同じ孤城に来ていても、現実世界はそれぞれ違う時代を生きている。
だから、細かいところで齟齬があり、話がかみ合わないところがあった。
その一人、アキと名乗る女性が、こころに道を示してくれた喜多嶋先生その人だった。
このあたりの細かいところはいちいち解説しているときりがないので、辞めておこう。
ただ、この展開を読みながら、私は既視感に襲われていた。
いや、早い段階でこの仕掛けに気づいたので、私はある他の作品との類似性を感じていた。
それは「君の名は」である。
二人か、7人かという違いはあるものの、時間軸の食い違いを用いた仕掛けは「君の名は」に酷似している。
また、7人がこの孤城から抜け出すと、すべて記憶から消えてしまう、という点も同じだ。
要するに、この物語はこころたちの内部にあった世界であり、「現実」とか「アクチュアリティ」といったものとは違う形而上学的な世界なのである。
それらをすべて夢であるとか、幻想だったとまでは言えないにしても、7人の内面的な強さ、他者との無意識のつながり、学校や地域という場所にある磁力のようなものを、具現化したものがかがみの孤城だったわけだ。
(リオンの姉の個人的な強さ(能力)、というには人物に深みがない)
それぞれの7人の関係性、境遇、さらにはオオカミさまを含めた8人の謎は、非常に面白い。
かっちりとパズルがはまっていく感覚があり、なるほどだから○○だったのか、という完結性を感じる。
故に、読後感も悪くない。
しかし、それまでなのだ。
その仕掛けをみせるための文章になっていて、それぞれの内面性を深くえぐろうとはしていない。
だから、同化はできるが、ある程度でとどまってしまう。
特に、こころを苦しめた真田や担任の先生に立体性がない。
こころが視点人物である以上、仕方がない部分ではあるが、それ故にこころの内面も浅くなっている。
母親や父親も含めて、こころが現実に出会う人物たちが、こころという人物を照らす鏡になっていないので、薄っぺらくなってしまっている。
平たく言えば、いじめられている子(いじめている子)ってこれくらいだよね? という思い込み(作者個人ではなく世間でよく言われているという程度の通念)で描かれている平板さが感じられる。
もっとそれぞれを深くえぐった描写があれば、世界観が立体的になり、こころの内面やその変化がわかりやすくなったはずだ。
こころは終始「被害者」として現実世界で描かれる。
今後喜多嶋先生によって自立していく際に、被害者としての立場を超えたところに未来を描かせれば、さらに先の世代にも波及するような展望が描けたはずだ。
こころ=被害者、担任の先生、真田=加害者という対比はあまりにも安直だった。
売れそうな小説、と思うけれども、周りに勧めたくなるような作品でもないな、というのが私の印象だ。
これだけ売れた小説が、どんなふうに映画に落とされるのか、気にはなる。
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