評価点:91点/2010年/アメリカ
監督:クリストファー・ノーラン
もう、夢か現実か映画か、区別がつかない。
コブ(レオナルド・ディカプリオ)は、夢を抜き取ることを生業としていた。
しかしターゲットのサイトー(渡辺謙)に企てが露見してしまい、逆に追い込まれてしまう。
仕方なく身を隠そうとしているところにサイトーが声をかけ、抜き取りではなく植え付け(インセプション)を依頼される。
出来ないと反発するコブだったが、母国アメリカに帰ることができる唯一の方法だと考え、依頼を受けることにする。
この夏話題の超大作が「インセプション」だ。
もう観たくて観たくて観たくて観たくて仕方がなかったが、ようやく観ることが出来た。
「ダークナイト」、「プレステージ」と一筋縄ではいかない作品を撮り続けてきた若き奇才は、夢へとその手を伸ばした。
ネットでもテレビでも、なんだかトンデモ映画が日本にやってきたと騒いでいるようだ。
周りの人に聴いても、「分からん。何度観ても俺には分からん」といわれる始末。
余計な情報はシャットアウトして鑑賞したので、遅くなったにもかかわらずほとんど真っ白な状態で鑑賞することが出来た。
え? まだ観ていないの? 「アリエッティ?」 そんなので今年の夏を本当に終えて大丈夫?
見にいった「M4」会のメンバーがそろって一致した意見は「これはおもしろい!」
▼以下はネタバレあり▼
僕は心理学が専門ではないので(そもそも専門は無いけれど)、フロイトなのかピアジェなのか、ユングなのか誰の理論に基づいて書かれた脚本か、判断できない。
この映画のようなことが実際可能なのかといった無駄な議論はよそう。
とりあえずわかりにくいこの映画の設定から考えていくことにする。
もっとも貴重な財産は金ではない。
誰にでも金は生み出すことが出来るが、その源泉は資本でもなければ商品でもない。
アイデアである。
だからアイデアを盗む。
アイデアとはもちろん、意識から作り出されるものだが、実際には隠れている膨大な無意識によって練られる。
無意識の大洪水が起こるのは、夢である。
よってターゲットの夢をコントロールすることで、より深いところにある無意識のアイデアを盗むことが出来るようになる。
お互いが夢を共有しあうためには、一人のホストが設計した夢に複数の人間が招待される。
設計士と呼ばれる人が複雑でリアルな夢を作り上げ、ターゲットをそこに迷い込ませる。
ターゲットは夢なのか現実なのか分からないところで、アイデアを隠し、その隠した場所を探し出して盗むのだ。
だが、単に夢だと対象者に分かってしまうと防衛本能が働いてしまう。
よって、よりわかりにくくするために、夢の中からさらに夢を見させる。
夢の夢を見ることで、互いにより深い無意識に到達することができるのだ。
夢を見ると通常の時間が五倍程度に引き延ばされる。
夢での一時間は、実際には五分程度にすぎない。
あまり長い間の侵入は危険なため、通常は五分で片をつける。
だが、夢の夢を見させると、さらに引き延ばされ、一瞬の出来事が何分にも引き延ばされる。
五分後に目覚めるように設定するのだが、夢の中では痛みは感じてしまう。
あまりに危険な痛みを感じる場合、死ぬことで覚醒し、逃れることが出来る。
深い鎮静剤などを使用すると、目覚めることが出来ないので、虚無の世界に落ちることになる。
つまり、夢の中で死ぬことは、現実の中で死ぬことに等しいわけだ。
目的を果たすと、目覚めるようにするため、「キック」を利用する。
キックとは、三半規管を揺さぶることで、目覚めるようにすることだ。
夢に落ちたら、設定されたキックまでに用事を済ませてしまわないといけない。
ざっと説明するとこんな感じだ。
ストーリーでも書いたように、今回のミッションは抜き取りではなく、植え付けだった。
より深いところに植え付けないと、作動しない。
よってより深くへ侵入する必要があり、展開もより複雑化しただけだ。
丁寧に説明されるわけではないが、これまでのノーラン作品に比べるとずいぶんわかりやすい設定だったと思う。
夢の設定はともかく、この映画の物語構造は非常にシンプルだった。
設計士や調合師、偽造師、観光客などそれぞれの役割は異色だが、単純な窃盗映画と変わらない。
ただ、舞台が銀行やベガスのホテルではなく、夢の中であるだけだ。
また、この映画の方向性も最初から示されている。
コブはアメリカに帰りたがっていた。
なぜなら、コブもまた壮大な「夢」を見ていたからだ。
要するにアメリカという現実に帰り子どもを抱きしめるために、コブは長い間海外という夢をさまよい、いい加減目覚めたいと思っている。
だから、モル(マリオン・コティヤール)とラストで決別するのも、必然的である。
日常から非日常、そして日常へ還ってくるという、よくある往来の物語なのである。
そこに描かれるのが、コブの深い無意識であるという点だけが僕たちを混乱させる要素だ。
だが、描かれているのは、一人の悲しみであり、子どもの元へどのように帰って行くのかという物語だ。
物語の展開は、大富豪の息子に会社を解体するように仕向けるため、インセプション=植え付けを行うことだった。
一方、もう一つの軸は、コブがどのようにしてアメリカに帰るのかという点だった。
だから、たびたび亡くした妻のモルが登場するのは仕方がない。
彼はロバートが父親に向き合うように、モルに向き合うことで自分の中の課題を解決しようとする。
このあたりの描き方がすばらしく、そして何より悲しい。
だから、単なる窃盗団の話以上に盛り上がるし、重みもある。
モルとコブは、二人だけの世界で50年もの間、夢の世界に落ちていた。
二人は平等に年をとり、幸せを感じていた。
けれども、やはり戻らなければならないとなったとき、モルとコブは意見を対立させる。
コブは戻るように説得できずに、やむを得ずインセプションを行う。
それはただ一つのアイデア「この世界は現実ではない」というものだった。
自殺することで目覚めた二人だが、モルはまだ目覚めていない感覚に襲われた。
自殺しなければならない、ここは現実ではない…モルは自殺してしまう。
モルがコブの夢にたびたび出てくるのは、彼女への届かない愛と、罪悪感だった。
コブはまさに自分自身にインセプションしてしまっていた。
それが「彼女を自分が死なせてしまった」というアイデアだ。
だから彼女は完璧な姿でコブの夢に登場する。
彼女は容姿が完璧なのではない。
彼女は完全無欠に「悪くない」のだ。
だからこそ、コブを苦しめ続け、自分自身を断罪し続ける。
深層心理を共有しあう夢の盗賊は、ターゲットの夢に侵入するだけではなく、自分自身にもその問いかけを行うことになるのだ。
だからこそ、この映画は「一人の女性をいつまでも愛し続ける完璧な愛の物語」でもある。
言い方を変えるなら、それは「異常な愛」だ。
ラスト、アメリカに帰ったのは現実だったのだろうか、それともまだ夢を見ているのだろうか。
回り続けるコマに、「そんなことが問題?」と監督からいわれているようだ。
解釈は分かれるだろうが、僕には一つだと思える。
夢という無限の可能性を得た世界では見せ場が連続する。
あり得ないけれども、夢ならあり得る、という誰もが体験したことがあるが、形にしなかった物語が展開される。
引き延ばされる世界と、重力を失ったホテル、そして自身の深層心理の扉を開けるというカタルシス。
重低音が印象的なホラーのような音楽に、完璧なキャスティング。
現代人の世界観を思わせるような、異国に満ちた夢の世界。
すべての要素を兼ね備えたこの映画に、文句のつけようもない。
この映画を見た後では、見る前とは世界が異なって見える。
理解できたか、できなかったかは、もはや問題ではない。
問題は、僕たちは見る前にはもう戻れないということだ。
この映画そのものが、監督によるインセプションに他ならないのだから。
僕はもう一度劇場に行こうと思う。
監督:クリストファー・ノーラン
もう、夢か現実か映画か、区別がつかない。
コブ(レオナルド・ディカプリオ)は、夢を抜き取ることを生業としていた。
しかしターゲットのサイトー(渡辺謙)に企てが露見してしまい、逆に追い込まれてしまう。
仕方なく身を隠そうとしているところにサイトーが声をかけ、抜き取りではなく植え付け(インセプション)を依頼される。
出来ないと反発するコブだったが、母国アメリカに帰ることができる唯一の方法だと考え、依頼を受けることにする。
この夏話題の超大作が「インセプション」だ。
もう観たくて観たくて観たくて観たくて仕方がなかったが、ようやく観ることが出来た。
「ダークナイト」、「プレステージ」と一筋縄ではいかない作品を撮り続けてきた若き奇才は、夢へとその手を伸ばした。
ネットでもテレビでも、なんだかトンデモ映画が日本にやってきたと騒いでいるようだ。
周りの人に聴いても、「分からん。何度観ても俺には分からん」といわれる始末。
余計な情報はシャットアウトして鑑賞したので、遅くなったにもかかわらずほとんど真っ白な状態で鑑賞することが出来た。
え? まだ観ていないの? 「アリエッティ?」 そんなので今年の夏を本当に終えて大丈夫?
見にいった「M4」会のメンバーがそろって一致した意見は「これはおもしろい!」
▼以下はネタバレあり▼
僕は心理学が専門ではないので(そもそも専門は無いけれど)、フロイトなのかピアジェなのか、ユングなのか誰の理論に基づいて書かれた脚本か、判断できない。
この映画のようなことが実際可能なのかといった無駄な議論はよそう。
とりあえずわかりにくいこの映画の設定から考えていくことにする。
もっとも貴重な財産は金ではない。
誰にでも金は生み出すことが出来るが、その源泉は資本でもなければ商品でもない。
アイデアである。
だからアイデアを盗む。
アイデアとはもちろん、意識から作り出されるものだが、実際には隠れている膨大な無意識によって練られる。
無意識の大洪水が起こるのは、夢である。
よってターゲットの夢をコントロールすることで、より深いところにある無意識のアイデアを盗むことが出来るようになる。
お互いが夢を共有しあうためには、一人のホストが設計した夢に複数の人間が招待される。
設計士と呼ばれる人が複雑でリアルな夢を作り上げ、ターゲットをそこに迷い込ませる。
ターゲットは夢なのか現実なのか分からないところで、アイデアを隠し、その隠した場所を探し出して盗むのだ。
だが、単に夢だと対象者に分かってしまうと防衛本能が働いてしまう。
よって、よりわかりにくくするために、夢の中からさらに夢を見させる。
夢の夢を見ることで、互いにより深い無意識に到達することができるのだ。
夢を見ると通常の時間が五倍程度に引き延ばされる。
夢での一時間は、実際には五分程度にすぎない。
あまり長い間の侵入は危険なため、通常は五分で片をつける。
だが、夢の夢を見させると、さらに引き延ばされ、一瞬の出来事が何分にも引き延ばされる。
五分後に目覚めるように設定するのだが、夢の中では痛みは感じてしまう。
あまりに危険な痛みを感じる場合、死ぬことで覚醒し、逃れることが出来る。
深い鎮静剤などを使用すると、目覚めることが出来ないので、虚無の世界に落ちることになる。
つまり、夢の中で死ぬことは、現実の中で死ぬことに等しいわけだ。
目的を果たすと、目覚めるようにするため、「キック」を利用する。
キックとは、三半規管を揺さぶることで、目覚めるようにすることだ。
夢に落ちたら、設定されたキックまでに用事を済ませてしまわないといけない。
ざっと説明するとこんな感じだ。
ストーリーでも書いたように、今回のミッションは抜き取りではなく、植え付けだった。
より深いところに植え付けないと、作動しない。
よってより深くへ侵入する必要があり、展開もより複雑化しただけだ。
丁寧に説明されるわけではないが、これまでのノーラン作品に比べるとずいぶんわかりやすい設定だったと思う。
夢の設定はともかく、この映画の物語構造は非常にシンプルだった。
設計士や調合師、偽造師、観光客などそれぞれの役割は異色だが、単純な窃盗映画と変わらない。
ただ、舞台が銀行やベガスのホテルではなく、夢の中であるだけだ。
また、この映画の方向性も最初から示されている。
コブはアメリカに帰りたがっていた。
なぜなら、コブもまた壮大な「夢」を見ていたからだ。
要するにアメリカという現実に帰り子どもを抱きしめるために、コブは長い間海外という夢をさまよい、いい加減目覚めたいと思っている。
だから、モル(マリオン・コティヤール)とラストで決別するのも、必然的である。
日常から非日常、そして日常へ還ってくるという、よくある往来の物語なのである。
そこに描かれるのが、コブの深い無意識であるという点だけが僕たちを混乱させる要素だ。
だが、描かれているのは、一人の悲しみであり、子どもの元へどのように帰って行くのかという物語だ。
物語の展開は、大富豪の息子に会社を解体するように仕向けるため、インセプション=植え付けを行うことだった。
一方、もう一つの軸は、コブがどのようにしてアメリカに帰るのかという点だった。
だから、たびたび亡くした妻のモルが登場するのは仕方がない。
彼はロバートが父親に向き合うように、モルに向き合うことで自分の中の課題を解決しようとする。
このあたりの描き方がすばらしく、そして何より悲しい。
だから、単なる窃盗団の話以上に盛り上がるし、重みもある。
モルとコブは、二人だけの世界で50年もの間、夢の世界に落ちていた。
二人は平等に年をとり、幸せを感じていた。
けれども、やはり戻らなければならないとなったとき、モルとコブは意見を対立させる。
コブは戻るように説得できずに、やむを得ずインセプションを行う。
それはただ一つのアイデア「この世界は現実ではない」というものだった。
自殺することで目覚めた二人だが、モルはまだ目覚めていない感覚に襲われた。
自殺しなければならない、ここは現実ではない…モルは自殺してしまう。
モルがコブの夢にたびたび出てくるのは、彼女への届かない愛と、罪悪感だった。
コブはまさに自分自身にインセプションしてしまっていた。
それが「彼女を自分が死なせてしまった」というアイデアだ。
だから彼女は完璧な姿でコブの夢に登場する。
彼女は容姿が完璧なのではない。
彼女は完全無欠に「悪くない」のだ。
だからこそ、コブを苦しめ続け、自分自身を断罪し続ける。
深層心理を共有しあう夢の盗賊は、ターゲットの夢に侵入するだけではなく、自分自身にもその問いかけを行うことになるのだ。
だからこそ、この映画は「一人の女性をいつまでも愛し続ける完璧な愛の物語」でもある。
言い方を変えるなら、それは「異常な愛」だ。
ラスト、アメリカに帰ったのは現実だったのだろうか、それともまだ夢を見ているのだろうか。
回り続けるコマに、「そんなことが問題?」と監督からいわれているようだ。
解釈は分かれるだろうが、僕には一つだと思える。
夢という無限の可能性を得た世界では見せ場が連続する。
あり得ないけれども、夢ならあり得る、という誰もが体験したことがあるが、形にしなかった物語が展開される。
引き延ばされる世界と、重力を失ったホテル、そして自身の深層心理の扉を開けるというカタルシス。
重低音が印象的なホラーのような音楽に、完璧なキャスティング。
現代人の世界観を思わせるような、異国に満ちた夢の世界。
すべての要素を兼ね備えたこの映画に、文句のつけようもない。
この映画を見た後では、見る前とは世界が異なって見える。
理解できたか、できなかったかは、もはや問題ではない。
問題は、僕たちは見る前にはもう戻れないということだ。
この映画そのものが、監督によるインセプションに他ならないのだから。
僕はもう一度劇場に行こうと思う。
誰かさんが、ほんとにおススメだということを信じ、とても期待していました。
え~・・・
おもしろい。けどしんどい。
すごく頭が疲れた。
いろんなことを考えさせられましたが、なんかすっきりしない終わり方。
私の脳がパニックを起こし、自分の理解能力のなさが浮き彫りになりました。
やっぱ勧善懲悪が好きです。
セガール万歳。
「ソーシャル・ネットワーク」の二回目に行ってきました。
やはりおもしろい。
より描写の巧みさにうなりました。
もう一回いってもいいかな(笑)
「グリーンホーネット」「RED」「ウォールストリート」などなど、気になる作品が目白押しですね。
本業が忙しいのですが…。
>せがーるさん
複雑な話がすきというわけではありませんが、この作品はひじょうに革新的です。
たとえば無重力でのアクション、スローモーションの使い方などなど、一度みるともはや前の自分に戻ることはできません。
なぜなら僕たち観客も「インセプション」されてしまうからです。
「キックアス」をぜひおすすめします。
DVDで是非ご鑑賞ください。
クリストファー・ノーランの作品はダークナイト、インセプションしかまだ観ていませんが、どちらも非常に考えさせられました。
僕は読書が本当に苦手なのですが、2時間でいろんな世界を体験できる映画に、どうしてもっと早く興味を持たなかったのかと、悔やんでも悔やみきれません・・・
プレステージも今借りてきているので、めちゃめちゃ楽しみです!
これからもこのブログやいろんな批評を参考にしながら映画を楽しんでいこうと考えているので、よろしくお願いします!
一つ仕事が一段落しました。
同時に僕は体調不良が悪化中です。
明日の仕事もほっぽり出して今日は少しだけ早く帰宅しました。
前の職場よりも遥かに人間的な生活をしているはずなのに、いっこうに楽にならない……。
環境の変化で僕自身がぬるま湯につかっていたという事なのかも知れません。
>地デジさん
返信遅れました。
はじめまして、書き込みありがとうございます。
僕も全くの素人です。
映画を見ている数もそれほど多くもありません。
年間50本以上見ている人もたくさんいます。
まあ、ゆっくりと気長に楽しみましょう。
次は「ヒアアフター」が気になっています。
ノーランも良いですし、イーストウッドもおすすめです。