評価点:66点/2020年/アメリカ/90分
監督:アニーシュ・チャガンティ
最後まで観客を逃がしてはくれない。
その子は超未熟児で生まれ、肢体不自由、糖尿病、ぜんそくなど先天的な疾患が数多くあった。
名前はクロエ(キーラ・アレン)と名付けられ、大切に母親に育てられてきた。
彼女が年齢的に大学を目指せるようになったころ、大学からの合格通知を心待ちにしていた。
しかし、返事はない。
糖尿病から、チョコレートを我慢できなかった彼女は、母親が見ていない隙に紙袋からチョコを探し出す。
そのとき、母親名義の薬が見つかり、小さな疑念を持つようになる……。
時間的に短い作品しか見られなかったので、とりあえず再生ボタンを押した。
やはり事前の情報をほとんど持たずに、本当はアクション映画が見たかったが、めぼしいのが見つからなかったので、こちらにした。
途中の展開は、まじで嫌な流れにしか感じられず、サスペンスの中でもストレスが高い作品だ。
気持ちいい作品を見たい人はあまりおすすめできない。
期待せずに、見るというのが精神衛生上よいのだろう。
▼以下はネタバレあり▼
基本的には母子という密室の状況の作品なので、だれが「悪役」なのかはすぐにわかる。
物語が進むにつれて明かされる、新しい、驚くような展開や事実というのは、その意味でも出しにくい。
だから最初から読めると言えば読める。
それでも楽しませられるかどうかは、本当に監督の演出によるところが大きい。
荒唐無稽な話を、説得力あるように、スリリングに描くというのは、じつはとても難しいのだということを、よく知らしめてくれる作品ではある。
小さな世界しか知らなかったクロエが、母親に疑念を抱き、さまざまな工夫をもとにどんどん真実を明かしていく。
肉体的なハンディが先に明かされているがゆえに、そのサスペンス効果は絶大だった。
結局、母親と思っていた女性は、実は本当の子どもを生後まもなくして亡くしていた。
その代替としてクロエを見つけ出し、そして自分の子どもになるべく、強度の依存性の高い「身体障害者」に仕立て上げた。
彼女はほんとうは健常者だったが、薬や教育などで歩けない子どもだと思い込ませ、自分の庇護の元で生きるように強要していた。
依存されることに依存していたわけだ。
怖いのは、こういう話がいかにもありそうな世の中である、という社会的コンテクストがある。
「そして父になる」や「八日目の蝉」も同じような題材を扱っていることからもわかるように、子どもが虐待で殺されるのと同じように、子どもを持ちたいと思う気持ちが逆に表れることもある。
クロエが地下室に閉じ込められたとき、その部屋にあった箱にはクロエの死亡届と、歩いている自分の写真があった。
さらに、新聞記事で幼い子どもが連れ去られたというものも。
そこからクロエが実はクロエではないということを知るのだ。
この展開がまずかった。
非常にまずかった。
どんな心境で母親のダイアン(サラ・ポールソン)は知らぬ子を誘拐したという新聞記事を大事に箱にしまっておいたのだろう。
実の子が死んでしまった、その届が残されているのは理解できる。
しかし、子どもが誘拐された記事は完全に不自然な証拠だ。
その展開に、私は一気に緊迫感が薄れてしまった。
これで、ある程度のところへ留まることが確定したようなものだからだ。
しかし、物語としての結末が読めたとしても、その展開には興味があった。
クロエ(と呼ばれた少女)はどんなふうに「自立するのか」という点がそのカタルシスの成否を決めるだろうと思っていたからだ。
病院に迷い込んで保護されたとしても、彼女自身が母親を超克しなければ、物語は「終わった」とはいえない。
しかし、母親はそのまま銃で狙撃されて、逮捕される。
7年が過ぎて、クロエと呼ばれた少女は、大人になり、刑務所を訪れる。
そこで誘拐犯だった女を訪れて、現状を報告する。
ラストだ。
隠し持っていた薬を、ダイアンに飲ませようとするところでエンドロールを迎える。
監督が用意したのは、自力で解決する娘の姿ではなく、母親だった女に同じ復讐をすることで克服するという結末を用意したわけだ。
それが物語の「自立」というわけだ。
最後の最後まで「怖い」感情を引き起こすラストと言えそうだ。
だが、私はあまりこのラストを評価しない。
この復讐をとったところで、ぜんぜんクロエだった「娘」が勝ったとは思えないからだ。
年老いていく母親はどうせ死んでいく。
それをわざわざ肢体不自由にしたところで、何の価値もない。
同じ絶望どころか、ダイアンが訴えればすぐに「娘」は窮地に立たされる。
薬を飲ませたのだから、立証するのは容易だろう。
あまりにも高いリスクだし、そもそもダイアンに拘泥している時点で、「娘」は負けているのだ。
それなら、実の両親と再会している場面や、大学の卒業証書を手にしている姿を最後に入れるだけで十分だった気がする。
とはいえ、結局あの地下室の箱で、真相をすべて明かしてしまおうとする無粋な展開が、すべてを壊してしまったのだ。
なんとも残念だ。
監督:アニーシュ・チャガンティ
最後まで観客を逃がしてはくれない。
その子は超未熟児で生まれ、肢体不自由、糖尿病、ぜんそくなど先天的な疾患が数多くあった。
名前はクロエ(キーラ・アレン)と名付けられ、大切に母親に育てられてきた。
彼女が年齢的に大学を目指せるようになったころ、大学からの合格通知を心待ちにしていた。
しかし、返事はない。
糖尿病から、チョコレートを我慢できなかった彼女は、母親が見ていない隙に紙袋からチョコを探し出す。
そのとき、母親名義の薬が見つかり、小さな疑念を持つようになる……。
時間的に短い作品しか見られなかったので、とりあえず再生ボタンを押した。
やはり事前の情報をほとんど持たずに、本当はアクション映画が見たかったが、めぼしいのが見つからなかったので、こちらにした。
途中の展開は、まじで嫌な流れにしか感じられず、サスペンスの中でもストレスが高い作品だ。
気持ちいい作品を見たい人はあまりおすすめできない。
期待せずに、見るというのが精神衛生上よいのだろう。
▼以下はネタバレあり▼
基本的には母子という密室の状況の作品なので、だれが「悪役」なのかはすぐにわかる。
物語が進むにつれて明かされる、新しい、驚くような展開や事実というのは、その意味でも出しにくい。
だから最初から読めると言えば読める。
それでも楽しませられるかどうかは、本当に監督の演出によるところが大きい。
荒唐無稽な話を、説得力あるように、スリリングに描くというのは、じつはとても難しいのだということを、よく知らしめてくれる作品ではある。
小さな世界しか知らなかったクロエが、母親に疑念を抱き、さまざまな工夫をもとにどんどん真実を明かしていく。
肉体的なハンディが先に明かされているがゆえに、そのサスペンス効果は絶大だった。
結局、母親と思っていた女性は、実は本当の子どもを生後まもなくして亡くしていた。
その代替としてクロエを見つけ出し、そして自分の子どもになるべく、強度の依存性の高い「身体障害者」に仕立て上げた。
彼女はほんとうは健常者だったが、薬や教育などで歩けない子どもだと思い込ませ、自分の庇護の元で生きるように強要していた。
依存されることに依存していたわけだ。
怖いのは、こういう話がいかにもありそうな世の中である、という社会的コンテクストがある。
「そして父になる」や「八日目の蝉」も同じような題材を扱っていることからもわかるように、子どもが虐待で殺されるのと同じように、子どもを持ちたいと思う気持ちが逆に表れることもある。
クロエが地下室に閉じ込められたとき、その部屋にあった箱にはクロエの死亡届と、歩いている自分の写真があった。
さらに、新聞記事で幼い子どもが連れ去られたというものも。
そこからクロエが実はクロエではないということを知るのだ。
この展開がまずかった。
非常にまずかった。
どんな心境で母親のダイアン(サラ・ポールソン)は知らぬ子を誘拐したという新聞記事を大事に箱にしまっておいたのだろう。
実の子が死んでしまった、その届が残されているのは理解できる。
しかし、子どもが誘拐された記事は完全に不自然な証拠だ。
その展開に、私は一気に緊迫感が薄れてしまった。
これで、ある程度のところへ留まることが確定したようなものだからだ。
しかし、物語としての結末が読めたとしても、その展開には興味があった。
クロエ(と呼ばれた少女)はどんなふうに「自立するのか」という点がそのカタルシスの成否を決めるだろうと思っていたからだ。
病院に迷い込んで保護されたとしても、彼女自身が母親を超克しなければ、物語は「終わった」とはいえない。
しかし、母親はそのまま銃で狙撃されて、逮捕される。
7年が過ぎて、クロエと呼ばれた少女は、大人になり、刑務所を訪れる。
そこで誘拐犯だった女を訪れて、現状を報告する。
ラストだ。
隠し持っていた薬を、ダイアンに飲ませようとするところでエンドロールを迎える。
監督が用意したのは、自力で解決する娘の姿ではなく、母親だった女に同じ復讐をすることで克服するという結末を用意したわけだ。
それが物語の「自立」というわけだ。
最後の最後まで「怖い」感情を引き起こすラストと言えそうだ。
だが、私はあまりこのラストを評価しない。
この復讐をとったところで、ぜんぜんクロエだった「娘」が勝ったとは思えないからだ。
年老いていく母親はどうせ死んでいく。
それをわざわざ肢体不自由にしたところで、何の価値もない。
同じ絶望どころか、ダイアンが訴えればすぐに「娘」は窮地に立たされる。
薬を飲ませたのだから、立証するのは容易だろう。
あまりにも高いリスクだし、そもそもダイアンに拘泥している時点で、「娘」は負けているのだ。
それなら、実の両親と再会している場面や、大学の卒業証書を手にしている姿を最後に入れるだけで十分だった気がする。
とはいえ、結局あの地下室の箱で、真相をすべて明かしてしまおうとする無粋な展開が、すべてを壊してしまったのだ。
なんとも残念だ。
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