secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

リーグ・オブ・レジェンド(V)

2009-01-03 10:37:14 | 映画(ら)
評価点:23点/2003年/アメリカ

監督:スティーヴン・ノリントン

ヒーロー×7、イコール、駄作。

1900年を目前に控えたヨーロッパ各地で、新兵器を駆使して、何者かに銀行や研究所が襲われた。
それを受けてイギリス政府は、世界各地にいる英雄達で同盟を組ませ、解決を図ろうとする。
アラン・クォーターメイン(ショーン・コネリー)は、イギリス政府の要請に否定的だったが、
自身が住んでいたアフリカをも標的にした非道な敵に、ようやく立ち上がる。
そして、七人の英雄達が結成し、一向はベネチアに向かう。
しかし、そのノーチラス号の中で、七人の中に裏切り者がいることがわかる。。。

▼以下はネタバレあり▼

イギリスやアメリカで有名な小説の主人公をモティーフにして、一つの作品に七人の英雄を登場させている。
安易で強引、いかにもアメリカンな発想である。
透明人間、冒険家、ドラキュラ夫人、船長などなど、その誰もが一つの作品で主役を張れるほどの能力をもっている者たちである。

これだけ聞くと、歴代のウルトラマンをすべて見られるような興奮を抱くのだが、
問題は、それが日本人にとって有名かどうか、である。
率直に言って、「微妙」な人選ではないだろうか。
元ネタの話をすべて知っている(慣れ親しんでいる)日本人はまずいないだろう。
よって、その時点で、僕は既に楽しめなかった。

とはいえ、問題は映画自体の出来の良し悪しである。
元ネタを知らなくても、面白い作品はそれなりに楽しめる。
スパイダーマン」だってきちんと映画として成立させているのである。
この映画の致命的な失敗は、むしろそっちのほうにある。

それぞれの作品がコンテクストとして存在するためなのか、人物設定がきちんとなされない。
よって、7人ものキャラクターが登場するものの、観客が感情移入できる相手が誰もいない。
元の作品に「甘えた」展開なのである。
これでは、どんなにいいアクションがあったとしても、物語の魅力は半減してしまう。
コンテクストを知っている者も、知らない者も、ある程度楽しめる見せ方をしてくれないと、取り残されていく一方なのである。

もちろん、それは外側の設定だけではない。
むしろ、元ネタがあるこうした作品は、外側の設定をきちんと描くよりも、どんな性格なのかが分かりやすければ十分楽しめる。
細かい設定は、原作を読めば補えるからである。
性格さえ知ることができれば、感情だけで同化することは可能になる。
この映画には、それすらない。
だから、映画としての自立性がほとんどなくなってしまっている。
これで楽しめ、というのは酷である。

ここで新たな疑問が生まれる。
なぜ元々キャラクターの魅力に依存しているような映画設定であるのに、キャラクターの形象がおろそかなのか、ということである。
それは、ストーリーのヒネリによるところが大きい。
ストーリーに変化をつけるため、
序盤から裏切り者の存在をにおわせる。
これをサスペンス効果を生み出させ、観客を釣ろうとしているのである。

しかし、これが全く逆効果になっている。
ストーリーに黒幕と裏切り者という「真相」を作るため、キャラクター設定を見せる時間がほとんどない。
ストーリーを中盤で「真相」という形で見せるためには、序盤に「真相」への伏線と、観客を惑わすための偽の伏線を張る必要がある。
よって、必然的にキャラクター設定を見せる時間が削られてしまうのである。

もちろん、その「真相」なるものが観客の膝を打つような、劇的なものであれば、それでもかまわなかった。
しかし、その「真相」は、僕でも思いつけそうなほど陳腐なものである。
(しかもそれ以外の設定などの伏線は皆無に近い)

Mという英国の使いが英国を救うためとして、七人の伝説の英雄達を集める。
しかし、実際は、そのMが黒幕で、英雄達の能力を奪うために集めさせた偽の計画だったということが、
物語中盤以降で明かされる。
そのために、スキナー(透明人間)を裏切り者と思わせるような演出を駆使したり、いかにも政府の要請があるようにMを立ち回らせる。

しかし、その「真相」は陳腐すぎて、物語の起伏にさえなっていない。
そもそも、英国政府が雇ったのではないということが分かってしまうことで、物語が自作自演の事件であることまで分かってしまい、逆にスケールがものすごく小さくなってしまう。
要するに、政府とは全く関係ないところで、「全世界を揺るがす新兵器」という大きなことを言っているにすぎない。
これでは、全世界が恐怖におののいているかどうかさえ、疑わしくなってくる。
そうなると、それに付き合わされてしまった六人の英雄達は、実はものすごくバカなんじゃないか、バカではなかったとしても、大してすごくないんじゃないか、と思ってしまう。

この物語自体が、矛盾に陥っているのである。
英雄達が呼ばれたのは、英国の危険が迫っていたからなのだ。
その危険が、実は自作自演の行為で、英雄達が呼ばれた事自体がウソだったとしたら、
もう英雄達は何のために来たのかわからない。
少なくとも、このシナリオでいくなら、英国政府が恐れおののくシーンを見せておく必要があった。
英雄達は、さんざん利用されて、結局自分たちで危険を招いただけになってしまう。

しかも、その英雄達のキャラクターは、最後の最後まで掴めないのである。
キャスティングもショーン・コネリー以外目玉がいない。
カッコいいのか、不細工なのか、綺麗なのか、単なるオバちゃんなのか、わからないキャスティングばかりだ。
それに感情移入しろというのが、無茶な話だ。

それでも、アクション・シーンがよければ、まだ救いがある。
この映画は、それすらない。
CGで爆発を見せれば、観客が喜ぶと思っている程度の演出しか出来ない。
ゲーム「ファイナル・ファンタジー」のムーヴィー・シーンを観ているほうが、よっぽど面白い。
CGは「リアル」だから面白いのである。
「リアル」さというものは、「生っぽい」かどうかだ。
CGとしか思えない爆発が、リアルさを生むはずがない。
一番おもしろいアクション・シーンは、序盤、ショーン・コネリーがアフリカのバーで戦うシーンだけだろう。
これは彼の生のアクションが見られるから、迫力がある。
しかし、これ以外のシーンは、まったく見せ場にもなっていない。

ノーチラス号の船長、ネモ船長。
彼だけがあのなかで唯一、濃いキャラクター性を放っていた。
彼が、ハイドのクスリを飲んで巨大化した敵に、憤然と立ち向かう姿は、――ビンラディンに似ていることを発見したからか――大爆笑だった。
雪山のアジトを見詰めるシーン、他のメンバーは白いコートに身を包んでいるが、
彼だけが一人青いターバンを巻いている。
そして次のシーンでは、白いターバンに白いコートになっている。
なぜいきなり白くなったのか、とても気になる。
もちろん、その白さが、あのビンラディンそっくりなんだけど。

何にせよ、製作陣は、幼児並みの知能しか持ち合わせていなかったことは、なによりも確かである。

註:敢えて原作の説明を一切しなかったのは、僕が殆んどの原作を知らなかったのもあるが、紹介したくなるほどのキャラクターが誰一人いなかったことによる…

(2004/11/4執筆)

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