評価点:70点/2021年/アメリカ/155分
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
月に照らされ目を閉じてそっと絡まる……。
レト・アトレイデス公爵(オスカー・アイザック)は、砂の惑星DUNEの統治を皇帝から任命される。
皇帝の底意に気づきながらも、DUNEに住む原住民フレメンとの交渉を念頭にその任務を受け入れる。
レトの息子ポール(ティモシー・シャラメ)は、母親レディから声による相手のコントロールの術を習得しつつあった。
統治の任務について数日後、元々DUNEを統治していたハルコンネン男爵(ステラン・スカルスガルド)は、皇帝の命によりDUNEを侵攻する……。
「灼熱の魂」や「メッセージ」で有名なドゥニ・ヴィルヌーヴ監督のSF作品。
映画好きならデビット・リンチが監督した1984年の同名作品を知っていることだろう。
SFとして有名な原作を、デビット・リンチが映画化し、そしてその不本意さからクレジットから消すように要請したほどの曰く付きの作品である。
そのあたりのゴシップネタは枚挙にいとまがないほどの、呪われた作品である。
だが、ヴィルヌーヴ監督は、だからこそ映画化したいと思っていたようだ。
そして出来上がったのはこの作品というわけだ。
アメリカ人なら皆が知っているだろうこのSF小説も、日本ではそうもいかない。
ま、私が読んでいないからそう書くわけだが、SFのなかでもそれほど有名な作品ではないだろう。
だから余計に重要なのは、この作品は2部構成になっているという点だ。
私は劇場に行って最初のタイトルを見るまでその話を知らなかった。
確かにタイトルには「PART ONE」とある。
よってこの映画は、原作を知らない人にとっては消化不良になる可能性が高い。
単純にキャストや雰囲気だけで惹かれた人は、「なんだこれ!」となるだろう。
しかも監督はあの「プリズナーズ」や「複製された男」などを撮ってきた映像や隠喩を多用するヴィルヌーヴなのだ。
まだ完結していないということを念頭に、音響施設が整っている環境で、重厚な155分を味わおう。
▼以下はネタバレあり▼
例によって全く予備知識を入れずに見に行ったので、それはそれは、登場人物を理解するだけで手一杯だった。
カタカナの文字を追って、人間関係を理解して、設定を理解して。
原作が有名なこともあって、そういう余計な説明は不要だと考えたのだろうが、日本の多くの観客にその英断が受け入れられるかどうかは不透明だ。
だが、最初の30分ほどの展開をとにかく乗り切ることができれば、あとはわかりやすい。
映像の重厚さと、音楽(担当はハンス・ジマー)の深みによって、世界に没頭できるだろう。
SFを何度も撮影してきた監督の手腕が見事に発揮されている。
これはストーリー云々を越えて、映像体験として素晴らしい。
また、主人公を初めとしてキャスティングも素晴らしい。
謎の少女をゼンデイヤを演じてミステリアスな雰囲気を出し、フレメンの首長にハビエル・バルデムなど荒野の大地で人物がしっかりと自律している。
コロナの影響でどうしても巣ごもりで、何でも家で済ませてしまう習慣がつきつつある昨今において、映画館で鑑賞する意味を印象づけることになるだろう。
少しでも興味があるなら、映画館で見ることをお勧めする。
って、ネタバレ以降なのでここを読んでいる人は鑑賞した人だろうけれど。
特に映像が暗くなる物語後半では恐らくよほどいい環境でなければ状況が掴みづらいと思われる。
「砂は本作の重要なキャラクターの一つだ」と言う監督の話に偽りはない。
さて、登場人物は多いし設定もわかりにくいが、DUNEがハルコンネン男爵に襲われるあたりまでみれば非常に分かり易い。
皇帝はアトレイデス公爵にDUNEの統治を任せることで、遺恨をもつハルコンネンにアトレイデスを襲わせる口実を作った。
二人をぶつけて、両者とも殺すことで、皇帝の覇権をますます強固なものにしようとしたのだ。
寝返った医師は、彼自身の意志で男爵を討たせたのではなく、皇帝の入れ知恵によるものだろう。
だが、ハルコンネン男爵は生きていたわけだ。
ポールは父親を失ってしまったが、父親が目指していたフレメンらと手を携えるという遺志を受け継ぐためにフレメンたちに会いに行く。
スパイスと呼ばれる貴重な物質を生む唯一の惑星のDUNEは、石油を生み出す中東を比喩している。
フレメンは原住民であるから、イスラム諸国を初めとした近代化されていない先住民たちを比喩するだろう。
では、皇帝は何者なのか。
第1部ではそれが明らかにされずに、ただ強大な権力と権威をもつ者として示唆されているにとどまっている。
よってこの映画の評価は、物語をいかに着地させるかによって変わってくるだろう。
また秘密結社であるベネ・ゲゼリットの存在や、母親であるレディ・ジェシカが身ごもることがどのような意味をもつのか。
そういう伏線はまだ回収されていない。
ほとんど原作の内容から外さないように展開されているとのことだが、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督のことだから、それも定かではない。
とにかく今多くを語れることはない。
「PART TWO」がどのようなタイミングで、どんな結末になるのかを待つしかない。
コロナの影響もあり、どれだけ興行収入を伸ばせるかが、重要だろう。
ちなみに、DUNEというタイトルを聞いて、ずっと頭にあったのはL'Arc-en-Cielの楽曲だった。
二人は砂になるのかどうなのか。
全然関係ないと思うけど、是非ラルクも聞いてください。
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
月に照らされ目を閉じてそっと絡まる……。
レト・アトレイデス公爵(オスカー・アイザック)は、砂の惑星DUNEの統治を皇帝から任命される。
皇帝の底意に気づきながらも、DUNEに住む原住民フレメンとの交渉を念頭にその任務を受け入れる。
レトの息子ポール(ティモシー・シャラメ)は、母親レディから声による相手のコントロールの術を習得しつつあった。
統治の任務について数日後、元々DUNEを統治していたハルコンネン男爵(ステラン・スカルスガルド)は、皇帝の命によりDUNEを侵攻する……。
「灼熱の魂」や「メッセージ」で有名なドゥニ・ヴィルヌーヴ監督のSF作品。
映画好きならデビット・リンチが監督した1984年の同名作品を知っていることだろう。
SFとして有名な原作を、デビット・リンチが映画化し、そしてその不本意さからクレジットから消すように要請したほどの曰く付きの作品である。
そのあたりのゴシップネタは枚挙にいとまがないほどの、呪われた作品である。
だが、ヴィルヌーヴ監督は、だからこそ映画化したいと思っていたようだ。
そして出来上がったのはこの作品というわけだ。
アメリカ人なら皆が知っているだろうこのSF小説も、日本ではそうもいかない。
ま、私が読んでいないからそう書くわけだが、SFのなかでもそれほど有名な作品ではないだろう。
だから余計に重要なのは、この作品は2部構成になっているという点だ。
私は劇場に行って最初のタイトルを見るまでその話を知らなかった。
確かにタイトルには「PART ONE」とある。
よってこの映画は、原作を知らない人にとっては消化不良になる可能性が高い。
単純にキャストや雰囲気だけで惹かれた人は、「なんだこれ!」となるだろう。
しかも監督はあの「プリズナーズ」や「複製された男」などを撮ってきた映像や隠喩を多用するヴィルヌーヴなのだ。
まだ完結していないということを念頭に、音響施設が整っている環境で、重厚な155分を味わおう。
▼以下はネタバレあり▼
例によって全く予備知識を入れずに見に行ったので、それはそれは、登場人物を理解するだけで手一杯だった。
カタカナの文字を追って、人間関係を理解して、設定を理解して。
原作が有名なこともあって、そういう余計な説明は不要だと考えたのだろうが、日本の多くの観客にその英断が受け入れられるかどうかは不透明だ。
だが、最初の30分ほどの展開をとにかく乗り切ることができれば、あとはわかりやすい。
映像の重厚さと、音楽(担当はハンス・ジマー)の深みによって、世界に没頭できるだろう。
SFを何度も撮影してきた監督の手腕が見事に発揮されている。
これはストーリー云々を越えて、映像体験として素晴らしい。
また、主人公を初めとしてキャスティングも素晴らしい。
謎の少女をゼンデイヤを演じてミステリアスな雰囲気を出し、フレメンの首長にハビエル・バルデムなど荒野の大地で人物がしっかりと自律している。
コロナの影響でどうしても巣ごもりで、何でも家で済ませてしまう習慣がつきつつある昨今において、映画館で鑑賞する意味を印象づけることになるだろう。
少しでも興味があるなら、映画館で見ることをお勧めする。
って、ネタバレ以降なのでここを読んでいる人は鑑賞した人だろうけれど。
特に映像が暗くなる物語後半では恐らくよほどいい環境でなければ状況が掴みづらいと思われる。
「砂は本作の重要なキャラクターの一つだ」と言う監督の話に偽りはない。
さて、登場人物は多いし設定もわかりにくいが、DUNEがハルコンネン男爵に襲われるあたりまでみれば非常に分かり易い。
皇帝はアトレイデス公爵にDUNEの統治を任せることで、遺恨をもつハルコンネンにアトレイデスを襲わせる口実を作った。
二人をぶつけて、両者とも殺すことで、皇帝の覇権をますます強固なものにしようとしたのだ。
寝返った医師は、彼自身の意志で男爵を討たせたのではなく、皇帝の入れ知恵によるものだろう。
だが、ハルコンネン男爵は生きていたわけだ。
ポールは父親を失ってしまったが、父親が目指していたフレメンらと手を携えるという遺志を受け継ぐためにフレメンたちに会いに行く。
スパイスと呼ばれる貴重な物質を生む唯一の惑星のDUNEは、石油を生み出す中東を比喩している。
フレメンは原住民であるから、イスラム諸国を初めとした近代化されていない先住民たちを比喩するだろう。
では、皇帝は何者なのか。
第1部ではそれが明らかにされずに、ただ強大な権力と権威をもつ者として示唆されているにとどまっている。
よってこの映画の評価は、物語をいかに着地させるかによって変わってくるだろう。
また秘密結社であるベネ・ゲゼリットの存在や、母親であるレディ・ジェシカが身ごもることがどのような意味をもつのか。
そういう伏線はまだ回収されていない。
ほとんど原作の内容から外さないように展開されているとのことだが、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督のことだから、それも定かではない。
とにかく今多くを語れることはない。
「PART TWO」がどのようなタイミングで、どんな結末になるのかを待つしかない。
コロナの影響もあり、どれだけ興行収入を伸ばせるかが、重要だろう。
ちなみに、DUNEというタイトルを聞いて、ずっと頭にあったのはL'Arc-en-Cielの楽曲だった。
二人は砂になるのかどうなのか。
全然関係ないと思うけど、是非ラルクも聞いてください。
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