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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

アベンジャーズ エンドゲーム

2019-05-02 09:10:11 | 映画(あ)
評価点:80点/2019年/アメリカ/181分

監督:アンソニー・ルッソ、ジョー・ルッソ

ヒーロー映画から、SF映画に昇華した日。

世界がサノス(ジョシュ・ブローリン)の指ぱっちんによって半数が失われた。
宇宙に漂うトニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr)は残りわずかな空気を見て死ぬことを覚悟していた。
目を覚ましたトニーは、目の前の光に驚いた。
そこにはまばゆく光る、キャプテン・マーベル(ブリー・ラーソン)が現れ、地球に戻ることができた。
それから5年後、トニーは新しい家族を得て悲しみを断ち切ろうとしていた。
そんなとき、あるレンタルスペースの中から、アントマンこと、スコット・ラング(ポール・ラッド)が目覚めた。
状況を理解していなかったスコットだが、ある確信が彼を突き動かす。

インフィニティ・ウォー」から約一年、私は約1日、待ちに待った最新作にして最終作が公開となった。
前作から一年も待たされたファンは、きっと気が狂いそうになりながら、この日を待っていたのだろう。
私は連休の真ん中に、レイトショーでIMAXシアターで見た。
それほど人はいないだろうと踏んで、ただ逃してしまうと永遠に見られないので珍しく席を確保しておいた。
具体的な入り具合は暗くてわからなかったが、連休ということもあり、かなりの人が入っていた印象だ。
エンドロール後すぐ席を立った人もいたので、恐らくリピーターなのだろう。

パンフレットも売り切れていた。
公開数日でこの人気ぶりなのだから、これだけ多くの関連作品があり敷居は高いはずなのに、人気は高いようだ。
この作品で言うなら、私は日本人のために作られた映画ではないかと思うほど、今の日本にマッチすると感じた。
やはり自立性は低いので、少なくとも「アイアンマン」、「ソー」、「キャプテン・アメリカ」、そして前作は見ておかないと理解できないだろう。
登場人物の能力などのプロフィールなど全く描かれない。
私は各映画のトレーラー程度の知識でしか、細かい設定はわからなかった。
特に、小さくなるやつとか、スーパーマンとかの知識は全くない。
「え? だれ?」と思いながら見た。

それでもこの映画は私の心を捉えた。
一つの世相を反映した、「SF映画」であることは間違いなさそうだ。

▼以下はネタバレあり▼

仕事帰り、前日に「インフィニティ・ウォー」を見ていてかなりの寝不足で、レイトショー。
映画を見る環境(状況)としてはよろしくなかった。
しかもトレーラーなどを合わせると3時間をゆうに超える。
不安に思いながら映画館に座った。
今年初めての映画館(厳密に言うとその前に「おしりたんてい」を見ていたのだが)での鑑賞だった。

ほとんど集中力を切らさずに見られたのは、この映画の魅力を象徴しているだろう。

前作で人類の半数を失った全宇宙は、ようやく主犯のサノスを見つけ出す。
しかし、彼の手にはすでにインフィニティ・ストーンはなく、破壊されていた。
もはや指ぱっちんはできない。
失ったことの大きさをかみしめながら、残された者は生きていた。

アントマンが5年ぶりに覚醒し、「タイムトラベル」ができるかもしれないという情報をもってくる。
悲しみから前を向き始めたトニーにとって、新しく生まれた家族まで「元に戻される」ことは耐えがたい。
5年という歳月は、ある者にとっては長すぎて、ある者にとっては時が止まったままの時間だった。
このタイムトラベルという設定が、非常に秀逸だった。
サノスに視点が置かれた前作から、この作品は「過去の自分たちと向き合う」というヒーロー側にフォーカスを当てられているからだ。

会いたかった人、失ってしまった人、有り得たかもしれないあの人との未来。
過去の作品を辿りながら、さらに今は変わってしまった自分との邂逅を果たすことで、ヒーローたちは自分と向き合う。
181分もある作品の大半は、この「物語」に費やされる。
特にネビュラ(カレン・ギラン)は、変わってしまった自分と変われずにいた自分との対比がうまかった。
過去の自分を殺すことで、父親に依存していた自分と決別を果たす。

その流れは、本当にありきたりだ。
タイムトラベルはとても便利な「夢」だし、観客にもわかりやすい。
けれども、私にとってそれが「ありきたり」だとは思えない必然性を感じるのは、やはり私が日本人だからだろう。
あのとき失われたものと、再会できたら。
3.11だけではない。
愛する人と、もう一度再会できたら。
一言、声をかけることができたら。
もう一度触れることができたら。

その思いが溢れてきて、揺さぶられた。
それは誰にでも経験があることだろう。
ある人は9.11かもしれない。
ある人はイラク戦争かもしれない。
ある人は震災かもしれない。
けれども、そう思わせるだけの物語が、私たちとともに、マーベルは紡いできたのだ。
この10年あまりで、私たちは彼らと同化し、彼らと生きてきた。
商業主義と言われようとも、やはりしっかりとした物語を紡いできたのだろう。

そういう思いが、この過去との再会は溢れている。
だから、この映画はたんなるヒーロー映画ではない。
ある時代の、私たちの何かを象徴する、SF映画になったのだと思う。

過去にとらわれた私たちが、過去と向き合いながら、未来を志向できるのか。

これまでたくさんのシリーズが撮られてきて、それぞれがある程度の自立した一つの作品でありながら、最後の二つで大きな物語を終幕させ、「これを思い描いていて撮られてきたのか」と思わせる必然性だ。
あらを探せばあるのかもしれない。
けれども、終幕にふさわしい映画だった。
手放しですべてを褒めちぎるつもりはないが、それでも一つの歴史を刻んだことは確かだろう。


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