評価点:60点/2018年/アメリカ/149分
監督:アンソニー・ルッソ ジョー・ルッソ
なんだこれ。
サノス(ジョシュ・ブローリン)は宇宙創成から誕生するというインフィニティ・ストーンを集めて回っていた。
ソー(クリス・ヘムズワース)が持っていたスペース・ストーンを手に入れたサノスは、残る三つの石を求めて地球に使者をやる。
一つはドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)が持っていて、もう一つはヴィジョン(ポール・ベタニー)が持っていることが分かっていたからだ。
その危機を伝えに来たハルクことブルース・バナー(マーク・ラファロ)は、トニー(ロバート・ダウニー・Jr)とドクター・ストレンジを訪れるが、すでにサノス一味が地球を襲来してきた。
その頃、襲撃され瀕死のソーと出会ったギャラクシー一味は、ガモーラ(ゾーイ・サルダナ)の育ての親がサノスであることを知り、サノスを倒すべく武器を手に入れるために出発する。
「アベンジャーズ」がいよいよその役割を終える。
最新作にして、最終作となる映画の鑑賞の前に、とりあえず何から見て良いのかわからなかったので、この「インフィニティー・ウォー」をレンタルショップに行って借りてきた。
私が「アベンジャーズ」シリーズを見なくなってしまって、「スパイダーマン」、「アントマン」などもう数え切れないほどの作品が公開されてしまい、何がメインなのかわからない。
時系列で見ていった方がよいのは分かっているし、そういうファン層をターゲットにおいているのもわかっているが、全部見ている時間はない。
そういうファンだかファンでないのだかわからない立場の人からのレビューということで。
にわかファンお断りの雰囲気が随所に漂っている。
あまり興味がないならスルーするのが一番だし、実際そうするだろう。
もし手を出したいなら、とりあえず「アイアンマン」と「ソー」、「キャプテンアメリカ」、そして「アベンジャーズ」のシリーズを見ないとだめなのだろうと見終わって知った。
並べてみると、めっちゃ見ないとあかんやん、と思ってげんなりする。
▼以下はネタバレあり▼
見始めて、私が借りたのがもしかしたら「スター・ウォーズ」なのかもしれないと思って思わずDVDを取り出したくなった。
しかし、どうやらそうではなかったようだ。
私が知らない間に、このシリーズの世界観が、ほとんど「スター・ウォーズ」と同じになってしまったことを酷く悲しんだ。
ストーリーの考察などは必要がないだろう。
そもそも全シリーズを見ているわけではない私にとって、状況をなんとなく整理するだけで終わっていった。
それでもある程度理解できるように作られているのは、この映画のシナリオが秀逸であることを認めさせる。
特に、これまでのシリーズを見ていなくても、ヒーロー側にフォーカスせずに、ヴィランすなわち悪役にフォーカスさせたのがうまかった。
だから、物語が一本筋の通った格好になった。
サノスの理屈は、全世界が人口過多に陥っているので、それを半分に減らしましょう。
それをするためには大きな犠牲があっても仕方がない、真の幸せのためには全ての人間(宇宙人)の人口を減らしましょう、というのだ。
その選別は、自分が行うのではなく完全なランダムだ。
富める者も、飢える者も、等しくその峻別を受ける。
これほど平等な選別はこれまでにはなかっただろう。
彼の志は非常に清く、そして彼自身にとっても辛い。
その覚悟のすごさがわかるように、この映画のシナリオは仕組まれている。
アベンジャーズを初めとして、石をもつものは、すべて身内の仲間のために、石の破壊や秘匿を諦めてしまう。
ソーの兄、ロキも、ドクター・ストレンジのジョン・ハリソンじゃなかった、カンバーバッチも、仲間のために石を差し出す。
ヴィジョンを愛するために破壊まで躊躇してしまう。
彼らは人種(人なのか宇宙生命体なのかこの際どうでも良い)を超えて、仲間を思う気持ちに石を差し出してしまうのだ。
それに対して、サノスは最も愛していた娘ガモーラを石のために、自ら犠牲にする。
その犠牲が単なる「他者のいない行為」ではないことは、それまで丁寧に彼の内面を描くために理解できる。
むしろ、ほとんど唯一愛している娘を差し出すほどに、彼の志は堅い。
アベンジャーズが負けたとすれば、解散していたからとか、力が足りなかったからとか、そういうことではない。
最後の最後に、自分のやるべき仕事を徹底できなかったのだ。
その善悪はわからない。
この映画では、史上稀に見る、ヒーロー大虐殺が行われるが、ここで完結しない。
最大の危機を迎えた世界がどのような答えを出すのかは、次の作品を見るしかないだろう。
公開当時、大きな話題になり、賛否両論になったのはうなずける。
これだけの大量死が映画で行われるのは、勇気の要る決断だったのだろう。
それでも見られた映画になったのはヴィランの妙のためである。
だが、もう一つ、この映画のバッドエンディングがそれほどバッドではないのにはわけがある。
それは、あまりにも世界が狭いということだ。
宇宙のあっちこっちに移動することになるが、その移動が大きければ大きいほど世界は縮小されていく。
ヒーローがヒーローでなくなったとき、彼らは単なる兵士になる。
ちょっと良い武器をもっている兵士だ。
兵士がどれだけ死んでも、残念ながら物語のなかでは大きな力(感情の起伏)にならない。
最後のワカランダ? ワカンダ王国の襲来のチープさといったらない。
陳腐と言い換えてもいい。
縮小された世界で、ありきたりな敵の動機、埋没する「ヒーロー」。
その損害の大きさは、結局これまでどれほどこのシリーズに期待と時間とお金をかけてきたかによって決まる。
どれだけたくさんの登場人物を出しても、結局は物語だ。
新しさが、大量のヒーローの死であるならば、私は映画としての価値はそれほどでもないと思ってしまうのだ。
監督:アンソニー・ルッソ ジョー・ルッソ
なんだこれ。
サノス(ジョシュ・ブローリン)は宇宙創成から誕生するというインフィニティ・ストーンを集めて回っていた。
ソー(クリス・ヘムズワース)が持っていたスペース・ストーンを手に入れたサノスは、残る三つの石を求めて地球に使者をやる。
一つはドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)が持っていて、もう一つはヴィジョン(ポール・ベタニー)が持っていることが分かっていたからだ。
その危機を伝えに来たハルクことブルース・バナー(マーク・ラファロ)は、トニー(ロバート・ダウニー・Jr)とドクター・ストレンジを訪れるが、すでにサノス一味が地球を襲来してきた。
その頃、襲撃され瀕死のソーと出会ったギャラクシー一味は、ガモーラ(ゾーイ・サルダナ)の育ての親がサノスであることを知り、サノスを倒すべく武器を手に入れるために出発する。
「アベンジャーズ」がいよいよその役割を終える。
最新作にして、最終作となる映画の鑑賞の前に、とりあえず何から見て良いのかわからなかったので、この「インフィニティー・ウォー」をレンタルショップに行って借りてきた。
私が「アベンジャーズ」シリーズを見なくなってしまって、「スパイダーマン」、「アントマン」などもう数え切れないほどの作品が公開されてしまい、何がメインなのかわからない。
時系列で見ていった方がよいのは分かっているし、そういうファン層をターゲットにおいているのもわかっているが、全部見ている時間はない。
そういうファンだかファンでないのだかわからない立場の人からのレビューということで。
にわかファンお断りの雰囲気が随所に漂っている。
あまり興味がないならスルーするのが一番だし、実際そうするだろう。
もし手を出したいなら、とりあえず「アイアンマン」と「ソー」、「キャプテンアメリカ」、そして「アベンジャーズ」のシリーズを見ないとだめなのだろうと見終わって知った。
並べてみると、めっちゃ見ないとあかんやん、と思ってげんなりする。
▼以下はネタバレあり▼
見始めて、私が借りたのがもしかしたら「スター・ウォーズ」なのかもしれないと思って思わずDVDを取り出したくなった。
しかし、どうやらそうではなかったようだ。
私が知らない間に、このシリーズの世界観が、ほとんど「スター・ウォーズ」と同じになってしまったことを酷く悲しんだ。
ストーリーの考察などは必要がないだろう。
そもそも全シリーズを見ているわけではない私にとって、状況をなんとなく整理するだけで終わっていった。
それでもある程度理解できるように作られているのは、この映画のシナリオが秀逸であることを認めさせる。
特に、これまでのシリーズを見ていなくても、ヒーロー側にフォーカスせずに、ヴィランすなわち悪役にフォーカスさせたのがうまかった。
だから、物語が一本筋の通った格好になった。
サノスの理屈は、全世界が人口過多に陥っているので、それを半分に減らしましょう。
それをするためには大きな犠牲があっても仕方がない、真の幸せのためには全ての人間(宇宙人)の人口を減らしましょう、というのだ。
その選別は、自分が行うのではなく完全なランダムだ。
富める者も、飢える者も、等しくその峻別を受ける。
これほど平等な選別はこれまでにはなかっただろう。
彼の志は非常に清く、そして彼自身にとっても辛い。
その覚悟のすごさがわかるように、この映画のシナリオは仕組まれている。
アベンジャーズを初めとして、石をもつものは、すべて身内の仲間のために、石の破壊や秘匿を諦めてしまう。
ソーの兄、ロキも、ドクター・ストレンジのジョン・ハリソンじゃなかった、カンバーバッチも、仲間のために石を差し出す。
ヴィジョンを愛するために破壊まで躊躇してしまう。
彼らは人種(人なのか宇宙生命体なのかこの際どうでも良い)を超えて、仲間を思う気持ちに石を差し出してしまうのだ。
それに対して、サノスは最も愛していた娘ガモーラを石のために、自ら犠牲にする。
その犠牲が単なる「他者のいない行為」ではないことは、それまで丁寧に彼の内面を描くために理解できる。
むしろ、ほとんど唯一愛している娘を差し出すほどに、彼の志は堅い。
アベンジャーズが負けたとすれば、解散していたからとか、力が足りなかったからとか、そういうことではない。
最後の最後に、自分のやるべき仕事を徹底できなかったのだ。
その善悪はわからない。
この映画では、史上稀に見る、ヒーロー大虐殺が行われるが、ここで完結しない。
最大の危機を迎えた世界がどのような答えを出すのかは、次の作品を見るしかないだろう。
公開当時、大きな話題になり、賛否両論になったのはうなずける。
これだけの大量死が映画で行われるのは、勇気の要る決断だったのだろう。
それでも見られた映画になったのはヴィランの妙のためである。
だが、もう一つ、この映画のバッドエンディングがそれほどバッドではないのにはわけがある。
それは、あまりにも世界が狭いということだ。
宇宙のあっちこっちに移動することになるが、その移動が大きければ大きいほど世界は縮小されていく。
ヒーローがヒーローでなくなったとき、彼らは単なる兵士になる。
ちょっと良い武器をもっている兵士だ。
兵士がどれだけ死んでも、残念ながら物語のなかでは大きな力(感情の起伏)にならない。
最後のワカランダ? ワカンダ王国の襲来のチープさといったらない。
陳腐と言い換えてもいい。
縮小された世界で、ありきたりな敵の動機、埋没する「ヒーロー」。
その損害の大きさは、結局これまでどれほどこのシリーズに期待と時間とお金をかけてきたかによって決まる。
どれだけたくさんの登場人物を出しても、結局は物語だ。
新しさが、大量のヒーローの死であるならば、私は映画としての価値はそれほどでもないと思ってしまうのだ。
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