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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

エルヴィス

2022-07-12 19:10:27 | 映画(あ)
評価点:76点/2022年/アメリカ/158分

監督:バズ・ラーマン

言語化できない読後感。

大佐とよばれたトム・パーカー(トム・ハンクス)はベガスの病院で死の淵にいた。
今際の際の彼が思い出すのは、世界一と言われたロック歌手エルヴィス・プレスリー(オースティン・バトラー)のことだった。
無名歌手だった彼の歌声をラジオで聞いた第一印象がよみがえる……。

エルヴィスのことを全く知らない私は、この映画も見過ごそうと思っていた。
が、映画仲間から「絶対見るべき」と勧められたので、無理に時間を作って映画館に飛び込んだ。

監督はあの「グレイト・ギャツビー」のバズ・ラーマン。
趣はそのまま「ギャツビー」のそれと思って誤解はないだろう。
ほとんどエルヴィスの半生を描いてくれるので、それほど予備知識は必要ない。
むしろ映画なので、史実かどうかはどうでもいい。
映画として楽しめるかどうかだと思う。
エルヴィスを知っているほうが、かえって映画としての鑑賞を妨げるかもしれない。

マーヴェリック」もアメリカだったが、こちらも「アメリカ」だ。
音楽がやはりいいので、大きな映画館で鑑賞するべきだ。

▼以下はネタバレあり▼

え? そんなことも知らずに映画館に行ったの?という突っ込みは不毛である。
私はエルヴィスがどんな人物なのか、何を歌っていたのかさえ知らないし、時代ももちろんタイムリーではない。
いきなり映画館に行ったので予備知識もないし、大佐がどんな人物かも知らなかった。
そういう前提で続きの文章を読んでほしい。
きっとそういう人もこの映画を見に行っているかもしれないから。
そうだといいな。

世界で最も売れたソロアーティストとして知られるエルヴィスは42歳でその生涯を閉じている。
その死因は諸説あるそうだが、輝かしい記録とは裏腹に、晩年はかなり体調を崩していたことは間違いなさそうだ。
彗星のように登場して、世界を席巻し、そして流れ星のように消えていったエルヴィスを、その育ての親でもあり相棒でもあるプロデューサーのトム・パーカーの目線で描かれる。

この映画がいかにもアメリカ的で、そしてこの2022年に公開されたことはそれほど違和感がないだろう。
というのは、このエルヴィスが生きた時代も徹頭徹尾、分断の世界であり、ビジネスがすべての解を提示していたからだ。
だから、この映画を過去のこととして見ながら、どこか現在を生きる私たちへの強烈な批判でもあり、日本にいる私に対しても動揺を誘う映画になっている。

エルヴィスは黒人が多く住む地域で育ち、黒人の音楽に触れて生きてきた。
白人である彼がデビューしたとしても、黒人のような歌い方、黒人のような音楽を好んだ。
当時は黒人と白人との線引きがより明確であり、明確であることが文化だった。
それなのに、白人が黒人のような歌を歌う。
これは恐ろしいことであり、最大の禁忌だったわけだ。

スタジアムで指一本も動かすな、とすごまれたときの抑圧は、私たちが今感じている、富む者と持たない者との分断に酷似している。
もちろんそれほど明文化された分断ではないにしても、目に見えない分断はおそらくもっと深刻だろう。
だからこそ、今このシーンを見て私たちは胸がすく思いをもちながら、そして「今でも変わらないじゃないか」という不穏さを感じるのだろう。

シークエンスは前後するが、パーカーがその才覚を見いだしたとされる最初のコンサート。
こちらは音楽が聞くものから、見るもの、体験するものに変わったという見方もできる。
それは、ガガが動画サイトによって新曲を発表することが当たり前になった現在では、その転換は驚愕をもって受け入れられたという空気感も理解できるだろう。
この点でもいかにも現代的だ。

しかし、こういう音楽を通しての新しい潮流は、これにとどまらない。
ビジネスとして成功することがすなわち、音楽で成功することである、という芸術と経済が密接な関係を結ぶ、そのきっかけとなったのはやはりエルヴィスに違いない。
彼が未だにソロアーティストとして最も稼いだ人であることは、それと無関係ではない。
もちろんそれまでにも経済としての音楽は存在したのだろう。
けれどもショウビジネスとしてこれほど成功させ、そしてそれが音楽それ自体に影響を与えた最初の人だろう。
今では売れるか売れないかが良い音楽かどうかを決めていく。

その点でも、非常にアメリカ的なのだ。

だが、この映画の肝は、ストーリーではない。
この奇跡のような、そしてあり得ないおとぎ話を、実際にあり得たのだと説得力を持って描いたのは、監督の手腕によるところが大きい。
典型的なのはやはり最初のコンサートのシークエンスだ。
人々がエルヴィスの演奏を見て狂っていく姿を、あれだけ衝撃的に描けるのは希有なことだ。
おそらくほとんどの監督はあれは撮れない。
あのシーンに、エルヴィスの奇跡のすべてがあるし、この映画のすべてがある。

トム・パーカーは、エルヴィスを誰が殺したのか、という語りで、聴衆の愛だと結論づける。
私はその言葉が意外に感じたし、そのときすぐには理解できなかった。
しかし、映画館を後にしたとき、私が感じたことは一人の人生を追体験したかのような大きな疲労感と寂寥感だった。
いや、この二つの言葉だけでも足りない。
人生の悲哀を感じ、人間の最上の喜びを知った。
けれども、私はそこにむなしさを感じ、自分自身の人生のむなしさを突きつけられた。
こういう読後感は、他の映画ではあまり経験がない。

聴衆のまなざしがまぶしければまぶしいほど、スポットライトが激しいければ激しいほど、後ろにできる陰は濃く、深いものになる。
そのまぶしさに目がくらむけれども、一度その光を見てしまったものは、その光から逃れることはできない。
たった2時間程度でこれほど私の胸を焦がしたのだから、おそらくエルヴィスが舞台で経験したものはもっとすごかったのだろう。
まさに彼はファンの愛と、ステージのライトによって焦がされ続けたのかもしれない。

 

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