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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

LAギャングストーリー

2013-05-28 20:34:28 | 映画(あ)
評価点:75点/2012年/アメリカ/118分

監督:ルーベン・フライシャー

久々に勧善懲悪の物語を見た気がする。

第二次世界大戦が終わってすぐのアメリカ、カリフォルニア州ロス・アンジェルス。
ギャングの攻勢が強まり、一人の男が裏の世界も表の世界も取り仕切ろうとしていた。
元ボクサーのミッキー・コーエン(ショーン・ペン)である。
シカゴのギャングのボスさえも意に介さないコーエンは、警察や判事までも巻き込んで権力を拡大していた。
その状況を見かねた市警本部長、パーカーは、ミッキーの首をとるために、非合法な組織を立ち上げる。
そのリーダーに据えたのが、ジョン・オマラ(ジョシュ・ブローリン)という向こう見ずな退役軍人の刑事だった。
ジョンは、身重の妻に責められながら、新しいそのギャング刑事軍団の組閣を考え始めるが……。

久しぶりに劇場でショーン・ペンを観ることになった。
あの「ミスティック・リバー」、「21グラム」の、ショーンである。
「ミルク」など話題作もたくさん発表されていたが、あまり観る機会がなかった。
シーシェパードの支持者であることでも有名である。

それはおいておいて、題材はギャングの抗争である。
しかも、あのミッキー・コーエンをもろに描いている。
え? コーエン知らないの?
「LAコンフィデンシャル」でも出ていたじゃん。
え? わからない?

……そんな人でも楽しめる映画になっている。
時代背景が古いからではなく、物語のパターンが古いものになっているので、非常にわかりやすく、安心感がある。
法やルールでがんじがらめになっているアメリカのフラストレーションを一気に吹き飛ばしてくれるような、そんな映画だ。
史実かどうかはそれほど問題ではない。
特に、日本に住む私たちにとって、ミッキーが何者であるかはそれほど重要ではない気もする。
ちなみに、米国在住経験のある人に聞いてみると、「ミッキー公園? 知らんなぁ」
「ああ、そっちのコーエンね。そこそこ有名じゃない? カポネほどではないけれど」という話だった。

▼以下はネタバレあり▼

ギャングの抗争、という側面で描かれていても、結局はオーソドックスな勧善懲悪のヒーロー映画と考えて良い。
刑事がバッヂを置いて、悪を成敗するというのはいかにもアメリカが好きそうな題材だ。
自分たちが正しいという信念がもてない、あるいは貫けない時代だからこそ、こんな映画が求められる。
この映画を観た人はどうしても「アンタッチャブル」を思い出してしまう。
だが、決定的にそれと違うのは、人の記憶に残るだけの名シーンを撮れなかったことだろう。

ミッキー・コーエンは、ギャングの一時代を築いた男だった。
麻薬や売春では飽きたらず、賭博、賭博に関わる「情報」まで牛耳ろうと考えた。
彼がそこまで強大な勢力を得たのは、法まで巻き込んでいったからだ。
判事や警察内部までも彼の息のかかる人間が入り込み、彼に反抗する者は、息を潜めるかもしくは息の根を止められるかどちらかだった。
コーエンが勢いづくことで、街は正しさを失い、荒廃していく。
正しさが、権力に屈する状況だったわけだ。

ミッキーは「不条理」の象徴である。
高度に社会が成熟したアメリカ(日本でもいいが)では、物事はほとんどんが合理的に、システマティックに動いていく。
けれども、その中でも私たちはなぜか不条理さを感じている。
ばれなければ不正をしても生き残れる。
お金持ちは、人をだました人間の数が多い者であったり、犯罪は依然として後を絶たない。
これだけ便利になったというのに、全くその恩恵を受けられているような実感はない。
「TIME」という映画で描かれたのはそうした閉塞感からくる未来像だ。

平然と悪行をやってのけるミッキーは、不条理の塊である。
けれども、誰もが手出しできない。
合理的な社会である現代も、同じような不条理さを感じている。
決定的に違うのは、不条理が目に見える形であるか、その原因すらわからないかどうかにある。
この映画がおもしろいのは、史実に裏打ちされた物語である、という点と、目に見えない不条理さを目に見える形で示してくれたという点にある。
この映画が懐かしいのは、時代が古いからだけではない。
不条理が目に見えなくなった時代に突入してしまったからだ。

それに対抗するチームは、法にがんじがらめになってしまった警察ではない。
盗聴も、殺人も、強奪もすべて何でもありになった「ギャング刑事」たちだ。
目に見えない不条理と対峙する私たちができる対抗は、実はほとんどない。
お金を少しでも稼いで、少しでも良い家に住み、安心した暮らしを目指すしかない。
不条理と対峙していても、不条理そのものを打ち壊す手段は持たない。
だって、何と闘えばいいのかさえもわからないのだから。

暴力という最もわかりやすい、直接的な対抗手段を持たせたこのチームはだから人々の心とらえる。
しかも彼らは等身大の人間たちだ。
もしかしたら、逆に反抗されて自分や家族が殺されてしまうかもしれない。
そういう血の通った人間たちが大勝負に出る。
自分にはできない一つの夢を叶えてくれる物語なのだ。
いくらギャングが相手とはいえ、いきなり押し入ってライフルをぶっ放し、放火するのはむちゃくちゃだ。
それで法に問われないはずはない。
だからこそ、この映画はおもしろい。
あり得ないことを、正義という名の下にやってのけてしまう。
しかも、この話は史実に基づいているのだ。

痛快。
まさに痛快な物語だ。

観客が嫌な気持ちになる要素はほとんどない。
仲間から裏切られることもないし、ラストで「違法な捜査」として捕まえられることもない。
一人仲間が死んでしまうが、その犠牲に対して、捜査(?)へのモティべーションは逆に上がる。
より自分たちのほうが正しいのだという気持ちにさせられる。
この映画は、観客はとても安心できる物語なのだ。
自分たちへの自己肯定感が強く打ち出されている。
不条理に対する、不正に対する抵抗への肯定は、正義を口にするのがためらわれるわたしたちにとっては 何よりも大きなカタルシスだ。

歴史に基づいた重厚そうなギャングの抗争という予告編から受けるイメージは、むしろ軽快な勧善懲悪ヒーロー映画へと変わっていく。
その一方で、私たちが取り巻く世界の複雑化を突きつけられているようで、痛々しい。
これほどオーソドックスな映画がおもしろいと感じるのは、私たちの身の回りが、あまりにも複雑怪奇となり、快刀乱麻を断つような現実はあり得ないからだろう。
単純明快のおもしろさを改めて突きつけられたわけだ。

もう少し深く様々なものをえぐってくれると期待していた私にはちょいと物足りないかな。


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