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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

火垂るの墓(V)

2008-08-24 16:09:08 | 映画(は)
評価点:81点/1988年/日本

監督・脚本:高畑勲

神戸に住む少年は、大空襲に見舞われ家と母親を亡くしてしまう。
幼い妹を連れて田舎の親戚の元を訪ねるが、居候の身である少年と少女は、不遇の扱いを受ける。
仕方なく親戚の家を出て、橋の下で生活しはじめる兄妹だったが、食べものも尽き、飢えが忍び寄る。

神戸を舞台とした戦争の悲劇。言わずと知れた名作映画だろう。

アニメの批評を書きたいな、と思って最初にこのタイトルを選んだ。
最近思うことも多い作品だということもある。

この映画は日本人なら一度は見ているだろう。
それが半強制であろうと、だ。もちろんそれは平和学習においてだ。

▼以下はネタバレあり▼

このすばらしさを今更語る必要もないほど完成度が高い。
僕ならワンシーンでも泣くことができる。
ヴィジュアルのきれいさも、さることながら、ストーリーや設定にもその完成度はうかがえる。

タイトルにある「火垂る」とは昆虫の蛍という意味だけではなく、「闇の中に光る小さな光」というニュアンスもあるそうだ。
つまり、夜の闇、空襲のなかの真っ赤に光る炎を連想させる。
それに加えて僕は、希望の死、という風にも考えた。
暗い戦争下にあって清太の唯一の希望であった
節子がなくなってしまう。それは、その前にあった、死んでしまった蛍に墓を作ってやるシーンと重なる。
すぐ死んでしまう存在であった節子の死が「墓」と交錯するのだ。

臨時の保護者であった「おばさん」の設定もうまい。
比較的金持ちであった清太(の家族)への仕打ちは、田舎で暮らす彼女にとって戦争下という状況を超えた「嫉妬心」があったように読み取れる。
都市への空襲とバランスが取れた設定だ。

感情に訴えてくるこの映画の完成度は、「たられば」の不可能性にある。
「もしこうであったなら」という考えを吹き飛ばしてしまうほど、「どうにもならなかった」状況というのが描き出されている。
そこには戦争の悲惨さを訴える力以上の何かを感じる。
どうにかして救ってやりたい。
どうにかして戦争をなくしたい。
という自身や社会への問いまで発展させる力がある。
悲惨というにはあまりに悲惨すぎるのだ。

製作者の思想的な表現や描写が殆んどない。
ずっと淡々と描かれていく。この客観的な視点が観客を揺り動かすのだ。

観れば「もう二度と見たくない」といつも思う。
けれど観たくなる周期がやってくる。
あらゆる意味において、後世に残しておかなければいけない作品であることは言うまでもない。

(2002/06/22執筆)

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