本とインターネットはどこが違うのか。
インターネットは登場した当時、他のメディアとは違って双方向のメディアであることが注目されていた。
もちろん、今でも双方向であることには変わりない。
しかし、実質的に双方向ではない、という点も既に自明のことであるように思う。
当初描かれていた、教科書のようなインターネットでは、人と人が活発に議論交流できるような、真の意味での双方向性を掲げていた。
現在、そういう意味においての双方向性はあまり重要視されない。
むしろ、双方向的なコミュニケーションの手段というよりは、やはり一方向的なメディアになりつつある。
本が、多くの人にとって「読む」ものである一方、インターネットでは多くの人にとっては「書く(発信する)」ものであるという点において、一方向的なメディアになりつつある。
インターネットは匿名性が高く、また時間的空間的自由性が高い。
よって議論が始まったとしてもそこに止まっていなければならない制約はほぼない。
気にくわなければ、見ないように、避けることができる。
その意味で、「言いっぱなし」が通用するメディアだ。
だから、人々は「読む」や「受ける」ことよりも、「書く」「発する」ことができるメディアとして特化しつつある。
もちろん、情報である以上誰かが発信したことを「受信」することが前提ではある。
そしてわからないことがあれば即座に誰かに聞いて、答えてもらえるという双方向性も、だから「受信」がないとは言わない。
けれども、日々どれくらいの情報が垂れ流され、そして受けとめられているかを考えれば、送信過多になっていることは自明であろう。
現にこの文章も、誰かに読まれて欲しいと投稿者は切に願いながらも、おそらくは情報の宇宙の中にだれからも顧みられることなくbyteをbiteすることが予見されている。
だから、本は読むもの、インターネットは書くもの、という棲み分けがされつつある。
そう考える、もう一つの観点についてはまたの機会に示そうと思う。
インターネットは登場した当時、他のメディアとは違って双方向のメディアであることが注目されていた。
もちろん、今でも双方向であることには変わりない。
しかし、実質的に双方向ではない、という点も既に自明のことであるように思う。
当初描かれていた、教科書のようなインターネットでは、人と人が活発に議論交流できるような、真の意味での双方向性を掲げていた。
現在、そういう意味においての双方向性はあまり重要視されない。
むしろ、双方向的なコミュニケーションの手段というよりは、やはり一方向的なメディアになりつつある。
本が、多くの人にとって「読む」ものである一方、インターネットでは多くの人にとっては「書く(発信する)」ものであるという点において、一方向的なメディアになりつつある。
インターネットは匿名性が高く、また時間的空間的自由性が高い。
よって議論が始まったとしてもそこに止まっていなければならない制約はほぼない。
気にくわなければ、見ないように、避けることができる。
その意味で、「言いっぱなし」が通用するメディアだ。
だから、人々は「読む」や「受ける」ことよりも、「書く」「発する」ことができるメディアとして特化しつつある。
もちろん、情報である以上誰かが発信したことを「受信」することが前提ではある。
そしてわからないことがあれば即座に誰かに聞いて、答えてもらえるという双方向性も、だから「受信」がないとは言わない。
けれども、日々どれくらいの情報が垂れ流され、そして受けとめられているかを考えれば、送信過多になっていることは自明であろう。
現にこの文章も、誰かに読まれて欲しいと投稿者は切に願いながらも、おそらくは情報の宇宙の中にだれからも顧みられることなくbyteをbiteすることが予見されている。
だから、本は読むもの、インターネットは書くもの、という棲み分けがされつつある。
そう考える、もう一つの観点についてはまたの機会に示そうと思う。
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