評価点:46点/2020年/アメリカ/97分
監督:テイト・テイラー
ちぐはぐな映画。
エヴァ・フォークナー(ジェシカ・チャステイン)は父親との関係もあって若くして薬物とアルコールの依存症だった。
どうしようもなくなった彼女は、軍隊に入隊し、父親が亡くなったことを機に除隊した。
しかし、トラブルを起こして窮地に立たされ、軍隊の時よしみだったデューク(ジョン・マルコヴィッチ)に救われる。
彼はエヴァを暗殺者に仕立て上げ、40人もの要人を殺害させた。
そんなある日、彼女にサウジアラビアの軍人将校を病気に見せかけて殺すという指令が出される。
何の問題もない簡単な仕事だったはずだが、トラブルが起きてしまう。
いわゆる女アサシンのアクション映画。
古くはリュック・ベッソンの「ニキータ」あたりから同じようなジャンルは撮られている。
「ソルト」や少し前に批評にもした「アナ」なども同じ系譜だと私は考えている。
そんなジャンルがあるのかないのか、あまりどうでもいいのだけれど。
主人公は、「ゼロ・ダーク・サーティー」でも話題になったジェシカ・チャステイン。
他にも、コリン・ファレルやマルコヴィッチも出ている。
たいした映画でもないので、まあ、時間があれば見ればいいんじゃあないでしょうか。
▼以下はネタバレあり▼
もちろん、期待などせずにとりあえず短めの映画を、と思って見た。
幼少期からの影響もあって、エヴァは暗殺者になった。
仕事は完璧だったが、情緒が不安定でアルコールへの興味を捨てることができなかった。
彼女は、自分がなぜターゲットを殺すのかということにこだわっていて、暗殺する前に話しかけてその理由を問いただすのが日課になっていた。
そのことを「不安定さ」と捉えた組織は、彼女を抹殺することを決める。
仕事を指令するのはデュークだったが、その上にはサイモンという男がいた。
だから、対立として、エヴァ・デューク対、サイモンという構図になっている。
映画の主題は、むしろエヴァの内面にある。
凄腕の殺し屋でありながら、家族との関係性を修復したいと思っている。
しかし、「ふつう」を求めれば、仕事との乖離が大きくなり、仕事への意義を問うことになる。
このあたりの葛藤がわかりやすく描かれている。
いわば、それは仕事と家庭をいかに両立させるかという悩みであり、殺し屋という特殊な仕事でなくも感じる、普遍性がある。
それが、普遍性や哀しみといったところまで昇華しきれなかったのは、この葛藤のあり方があまりにも説得力がないということだろう。
命が狙われるかもしれないという仕事をしているはずなのに、自分の弱みである家族と頻繁にあう。
そのことが、観客としてどのように受け取れば良いのか迷ってしまう。
殺し屋というものがそういうものなのかはわからない。
けれども、命が狙われているのがわかっているのに、家族と頻繁にあって自分を見つめ直す、というのはいかにも暢気な気がするのだ。
また、彼女が窮地に陥っていく経緯がわかりづらい。
ターゲットに向かってその死の意味を聞くことが、組織にとってどれくらいのリスクなのだろう。
心配するのはたしかだが、他にそれほどの殺し屋がたくさんいるのだろうか。
最後にサイモンが直々に手を下そうとしたところをみると、それほど充実した人員がいるわけでもなかろう。
だったら、ターゲットに話しかけるというリスクと、どのように天秤にかけたのだろう。
さらには、その敵(組織)の実体もよくわからない。
サイモンはあくまで仲介役のようだが、その先がどのようになっているのか不透明なままだ。
おそらく「96時間」や「ジョン・ウィック」のようなシリーズ物にしたかったのだろうが、個が巨大組織と対峙する、という構想もこの展開ではうかがいしれない。
戦っている相手が常に不透明なまま、アクションだけはやたらとキレキレで、アンバランスなのだ。
そして戦う舞台は自分の地元でハイリスク。
対峙する組織の追っ手もいかにも中途半端なエージェントが差し向けられて、抹殺することが本気なのかどうなのか。
特殊な殺し屋という職業を主人公に選んだのだから、ある程度その説明的な描写も必要だった。
唐突にはじまって、唐突に過去を吐露されて、唐突に命が狙われる。
短い上映時間だったが、もう少し丁寧さがあってもよかった。
コリン・ファレルは、ちょびひげが似合わない、ということが最大の学びである。
監督:テイト・テイラー
ちぐはぐな映画。
エヴァ・フォークナー(ジェシカ・チャステイン)は父親との関係もあって若くして薬物とアルコールの依存症だった。
どうしようもなくなった彼女は、軍隊に入隊し、父親が亡くなったことを機に除隊した。
しかし、トラブルを起こして窮地に立たされ、軍隊の時よしみだったデューク(ジョン・マルコヴィッチ)に救われる。
彼はエヴァを暗殺者に仕立て上げ、40人もの要人を殺害させた。
そんなある日、彼女にサウジアラビアの軍人将校を病気に見せかけて殺すという指令が出される。
何の問題もない簡単な仕事だったはずだが、トラブルが起きてしまう。
いわゆる女アサシンのアクション映画。
古くはリュック・ベッソンの「ニキータ」あたりから同じようなジャンルは撮られている。
「ソルト」や少し前に批評にもした「アナ」なども同じ系譜だと私は考えている。
そんなジャンルがあるのかないのか、あまりどうでもいいのだけれど。
主人公は、「ゼロ・ダーク・サーティー」でも話題になったジェシカ・チャステイン。
他にも、コリン・ファレルやマルコヴィッチも出ている。
たいした映画でもないので、まあ、時間があれば見ればいいんじゃあないでしょうか。
▼以下はネタバレあり▼
もちろん、期待などせずにとりあえず短めの映画を、と思って見た。
幼少期からの影響もあって、エヴァは暗殺者になった。
仕事は完璧だったが、情緒が不安定でアルコールへの興味を捨てることができなかった。
彼女は、自分がなぜターゲットを殺すのかということにこだわっていて、暗殺する前に話しかけてその理由を問いただすのが日課になっていた。
そのことを「不安定さ」と捉えた組織は、彼女を抹殺することを決める。
仕事を指令するのはデュークだったが、その上にはサイモンという男がいた。
だから、対立として、エヴァ・デューク対、サイモンという構図になっている。
映画の主題は、むしろエヴァの内面にある。
凄腕の殺し屋でありながら、家族との関係性を修復したいと思っている。
しかし、「ふつう」を求めれば、仕事との乖離が大きくなり、仕事への意義を問うことになる。
このあたりの葛藤がわかりやすく描かれている。
いわば、それは仕事と家庭をいかに両立させるかという悩みであり、殺し屋という特殊な仕事でなくも感じる、普遍性がある。
それが、普遍性や哀しみといったところまで昇華しきれなかったのは、この葛藤のあり方があまりにも説得力がないということだろう。
命が狙われるかもしれないという仕事をしているはずなのに、自分の弱みである家族と頻繁にあう。
そのことが、観客としてどのように受け取れば良いのか迷ってしまう。
殺し屋というものがそういうものなのかはわからない。
けれども、命が狙われているのがわかっているのに、家族と頻繁にあって自分を見つめ直す、というのはいかにも暢気な気がするのだ。
また、彼女が窮地に陥っていく経緯がわかりづらい。
ターゲットに向かってその死の意味を聞くことが、組織にとってどれくらいのリスクなのだろう。
心配するのはたしかだが、他にそれほどの殺し屋がたくさんいるのだろうか。
最後にサイモンが直々に手を下そうとしたところをみると、それほど充実した人員がいるわけでもなかろう。
だったら、ターゲットに話しかけるというリスクと、どのように天秤にかけたのだろう。
さらには、その敵(組織)の実体もよくわからない。
サイモンはあくまで仲介役のようだが、その先がどのようになっているのか不透明なままだ。
おそらく「96時間」や「ジョン・ウィック」のようなシリーズ物にしたかったのだろうが、個が巨大組織と対峙する、という構想もこの展開ではうかがいしれない。
戦っている相手が常に不透明なまま、アクションだけはやたらとキレキレで、アンバランスなのだ。
そして戦う舞台は自分の地元でハイリスク。
対峙する組織の追っ手もいかにも中途半端なエージェントが差し向けられて、抹殺することが本気なのかどうなのか。
特殊な殺し屋という職業を主人公に選んだのだから、ある程度その説明的な描写も必要だった。
唐突にはじまって、唐突に過去を吐露されて、唐突に命が狙われる。
短い上映時間だったが、もう少し丁寧さがあってもよかった。
コリン・ファレルは、ちょびひげが似合わない、ということが最大の学びである。
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