secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

オブリビオン

2013-07-01 20:28:26 | 映画(あ)
評価点:67点/2012年/アメリカ/124分

監督:ジョセフ・コシンスキー

疎外された「個」は何によって保証されるのか。

ジャック・ハーパー(トム・クルーズ)は、地球外生命体スカヴとの戦争によって破壊された地球を監視する業務を担っていた。
しかし、数年前にこの任務に派遣される前、自分が何者であるか記憶が消されていた。
パートナーは、通信担当のヴィクトリア(アンドレア・ライズボロー)。
あるとき、スカヴに襲撃されたパトロール機ドローンの回収のために訪れた地で、本を見つける。
ジャックは自分の隠れ家でその本を読んでいると、いきなり爆発音があり、急行してみると明らかに旧型の宇宙船が不時着した様子だった……。

ずいぶん前から予告編が流れていたが、結局どんな話なのかよくわからないというSF作品。
トムが出ている時点で、ちょっと危険な香りがするけれども、それでも映画館に足を運ばせるのはすごいといえる。

映像はおもしろいし、話の展開も上手くできている。
お気軽に楽しむぶんにはそれほど嫌悪感を抱かずに映画館を後にできるだろう。
ただし、他にもおもしろそうな映画が多いこの時期に、あえて時間を割いて見に行くべき作品かと言われればそうでもない。
いちいち頭に残る「オブリビオン」というタイトルを「忘却」するために、見に来ますか?
SFとしては凡庸な、目新しくはない、そんな映画。

▼以下はネタバレあり▼

ほとんどストーリーを紹介できないのは、この映画の中盤から先はネタバレすると極度におもしろみがないからだ。
特に、キャスティングにあるように、モーガン・フリーマンが出てくる時点までストーリーを明かすとほとんど見に行く価値がなくなる。
それを踏まえてか、予告編は映画の魅力を上手く伝えていたような気はする。

ただし、この映画はSFとしては凡庸だ。
話の濃淡(遠近と言おうか)のバランスが悪い。
これもネタバレになるので書きたくないけれど、「月に囚われた男」のほうがおもしろいし、バランスが良い。
こちらのほうはあまり有名ではないので、ぜひ見て欲しい。
アイデアじたいはおもしろいのに、その活かし方を間違えた気がする。

物語はいきなり不自然さと謎に満ちている。
2077年の現在では、エイリアンの侵略によって地球は大戦争の舞台となり、地球は住めなくなった。
そのため、土星の衛星(月みたいなもんね)のタイタンにその多くは移住し、地球との中継点として「テット」という宇宙基地から派遣された、地球の監視員がジャックたちだった。
ジャックたちは数年前からの記憶がなく、いつからこの任務に就いているかもわからない。
記憶喪失のなのは、任務を円滑に遂行するため、という説明しか受けていない。
人間らしい人間はジャックとそのパートナーのヴィクトリアだけ。
コントロールルームからは逐一報告と連絡が行われるが、不自然きわまりない。

地球が核兵器によって汚染されて住めないという説明がされているのに、ジャックは悠々と防護服もなしに地上に降りている。
密室劇ともいうのにふさわしいほど、人間関係が狭い。
ジャックが謎めいたリアルな夢を見ている、というのが伏線となっているが、それ意外にも不自然さはたくさんある。
だが、彼を支えているのは、大いなる使命感だ。
地球を知的地球外生命体から守る(監視する)のだという大きな使命感によって、彼は自分の仕事に誇りと使命感をもっている。
だから、自分が置かれた状況の不自然さに気づかない。

思えば組織的な破壊活動なども、大義名分がしっかりしている。
ナチスのユダヤ人迫害も、ゲルマン人の権利を守るためという大義名分があった。
人は使命感が強ければ強いほど、盲目になるものなのかもしれない。
自己肯定感はなければ生きていけないが、強くなりすぎれば単なる盲信となり、暴走となるのだろう。

彼に決定的な疑問を抱かせるのは、宇宙船に乗ったクルーがパトロール機のドローンに攻撃された時だ。
ここからどんどん真相が明らかにされていく。
スカヴと思われていた者たちは、実は人間たちで、人間を監視させるために、ジャックを量産(クローン生産)していたのだ。

ジャックはここで大きなアイデンティティの揺らぎを経験する。
自分は一人で、自分には大きな使命があると思っていた自負は、実は人間を苦しめる「敵」そのものだったという事実を突きつけられる。
この問題提起は、非常に現代的だ。
シックス・デイ」や「アイランド」でも書いたけれども、自分のクローンがいたらどうしよう、ではなく、自分がクローンだったらどうしようという問いはとてもコワイ。
自分自身らしさを確立させるのが難しい現代においては、とてもうまい比喩となる。
しかも、ジャックの場合、そのクローンは「人類の反抗を監視する」という人類の敵なのだ。
よかれと思っていたことが、全く逆の行動だったという転倒は、まさにアメリカが2000年代に突きつけられていた問いだ。
「おまえの正義はおまえ自身を苦しめる」というやつだ。

この映画のおもしろさは、そうしたシナリオに説得力を持たせるための、デザインにあると私は思う。
ジャックが乗るバブルシップも、パトロール機のドローンも、ジャックが住むタワーも、どこか近未来的ではあるものの、異世界のようなデザインである。
人間のために開発されたといわれても納得できるが、エイリアンがデザインしたものだと言われた方が、よりなるほどと思える。
球体を主たるデザインのモティーフにしているのも、宇宙では自然なもののようにみえる。
このデザイン性は、非常にうまい。

だが、これだけ上手いアイテムやアイデアがあるにもかかわらず、終わらせ方がまずい。
壊滅的な打撃を与えたあと、ジャックにテットに戻ってくるように指示し、そのまま何のチェックもせずにジャックをテットに入れてしまう。
明らかに不自然だし、その程度のブラフでだまされるスカヴなら、きっと60年もの間、地球人を蹂躙できなかっただろう。
そして、まんまとテットを爆破されてしまい、地球人たちが勝利してしまう。

アイデンティティの崩壊というきわめて示唆に富んだ課題を提起しておきながら、解決方法が爆破でドカン、では納得できない。
すっきりできない。
アイデンティティの確立は、自分が真の英雄として死ぬことで完遂するのだろうか。
倫理的な、心理的な、問題提起に対して、結局物理的な破壊を選んでしまったことは、旧態依然な解決方法で、逆行しているようにしか思えない。
「過去に戻れ」では解決ではない。

そして、ラストのシークエンスでは、49号に伸された52号がさわやかな笑顔でジュリア・ルサコヴァを迎える。
「おいおい、おんなじ顔ならだれでもいいかい!」と突っ込まざるを得ない。
アイデンティティにますますの不安を駆られるのは、私だけではあるまい。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 愛さえあれば | トップ | エンド・オブ・ホワイトハウス »

コメントを投稿

映画(あ)」カテゴリの最新記事