評価点:83点/2009年/イギリス
監督:ダンカン・ジョーンズ
僕たち自身が月に囚われた者たちだ。
近未来、月の裏側で発見された新エネルギーを発掘し、地球に送るため、一人の男サム・ベル(サム・ロックウェル)が3年契約で駐在していた。
同居者はおらず、一台のコンピューターとともに三年過ごしていた。
もうじき契約を終えようとしていたとき、サムは脇見運転をしていて、事故を起こしてしまう。
目覚めるとそこは医務室だった。
デビッド・ボウイの息子が監督したという話題作。
日本ではミニシアター系で公開されて、その手の映画が好きな人たちの間で話題になった。
僕は結局みられず仕舞いになっていたので、DVDで借りることになった。
全く何の予備知識も知らなかったので、おもしろかった。
ほとんど一人芝居のサム・ロックウェルも大変すばらしい。
まだ見ていない人は、ぜひどうぞ。
▼以下はネタバレあり▼
現代人が感じている閉塞感はどんなものだろうか。
それは孤独でどこまでも監視されていて、生きるレシピなんかないと歌われながらも、誰かが作ったレールの上をただ歩かされているようなイメージ。
孤独であっても、人のつながりを信じずにはいられないけれども、それは何万キロも離れたところからメールを送っているようなものなのかもしれない。
この「月に囚われた男」はそんな現代人を象徴するかのような物語だ。
邦題も見事で、原題「MOON」よりも遥かによくできたタイトルだと思う。
「ルナ産業」という企業に囚われた男、サム・ベル。
イギリス映画らしい、ウィットに富んだ作品だ。
僕はこの映画を見ながらどこか「CUBE」に似ているという印象を受けた。
そういったなぜか感じる閉塞感を楽しむ映画だ。
前置きはこれくらいにして本題に入ろう。
ざっくり言えば「月に囚われた男サム・ベルが地球へ帰還する物語」である。
もう少し言い方を換えれば、「ルナ産業に搾取されていた男が、その闇を暴く物語」である。
事故を経験したサム・ベルは、医務室で目覚め、コンピューターのカーディ(声:ケヴィン・スペイシー)の受け答えに対して不信を抱く。
おそらく映画を見ていた人も思ったはずだ。
事故を起こしたサム・ベルをどうやって医務室に運んだのか。
あるいは、なぜサム・ベルは事故を経験したはずなのに、右の眉を切っていないのか。
カーディを欺いて外に出たサムは、自分そっくりの人間がトラックにいるのを発見する。
サム・ベルは二人いたのだ。
真相から書こう。
要するに、サム・ベルは採掘させるためのクローンであり、人間としての判断が必要な部分を任せるための道具にすぎなかったのだ。
サム・ベルは何十体も用意されていて、三年ごとに「契約が切れ」死ぬことになっていた。
おそらく遺伝子をいじったのか、食べているものに変なものを混ぜていたのか、ちょうど三年で死ぬように設定されていた。
そしてまた新しく目覚めたサムは、自分がクローンだと気づかず、また三年間勤勉に働くのだ。
完全に隔離するために、地球と直接的にやりとりできない状態を作り、偽りの電子メールで家族とやりとりしているように錯覚させていた。
なぜこんなことをルナ産業はしたのだろうか。
理由は単純だろう。
「そのほうが安上がりで安定的にエネルギーを採掘できるから。」
彼らの実態は劇中で描かれないが、その手口から全く悪気がなく、合理的なシステムを作り出したにすぎないことが分かってくる。
そもそも、サム・ベルは別にいて、そこにいるクローンたちは人間として認識されていないのだ。
その一つが、誰も彼と直接的にやりとりしようとしないという点に顕れている。
人間ではない。
だから、そこに人権なるもの存在しないし、そもそもその命を生み出し、管理しているのはルナ産業なのだ。
そこに人間に対する配慮は必要がない。
誤解があるかも知れないが、僕はこの企業がそれほど悪意をもっていたとは思えない。
むしろ、優良企業だったのだろうと予想する。
だからこそ、この映画はおもしろいのだ。
この企業はサムが地球に降り立ち告発したことによって、やがて倒産や業績悪化へとつながっていく。
だが、本当に批判されるべきは、そのエネルギーを安定して、そして安価に供給されてきた消費者なのだ。
あるいは、それを良しとしてきた社会全体の問題なのだ。
だから、この映画が揶揄していることが怖く、そして背筋が凍る思いと肝を冷やす思いを持つのだ。
もう一度言うが、ルナ産業はただ利益を追求していた結果、合理的なシステムを考え出したに過ぎない。
その利益とは、単に自社だけの利益を指すのではない。
社会全体の利益をも指すのだ。
これがまさに資本主義という考え方だし、功利主義という考え方だし、自由経済、エネルギー問題、すべての問題を含んでいる。
そこでは搾取する側とされる側に明確な線引きなどできない。
ルナ産業を批判する人たち(世論・世間)こそが、最も利益を享受してきた人たちなのだ。
そしてまたその多くの人たちが、同じように知らぬ間に搾取されていたのだ。
それは一見すると人間的で、人道的で、人権が保障されているような形で。
この作品は多くの人の心を打つだろう。
なぜなら、自分たちもまた誰かに何かを搾取され、管理されているという閉塞感を持っているからだ。
唯一の信用できるパートナーは、AIのカーディだけだ。
僕がルナ産業がそれほど悪意をもっていないと感じるのは、彼の存在があるからだろう。
カーディは人間に寄り添うようにプログラミングされている。
もっとドライでクールなAIだったなら、きっとこの「問題」が問題化することはなかっただろう。
脱出にはカーディの協力がなければ成り立たなかったからだ。
だが、それでも僕たちの感じた閉塞はぬぐえない。
なぜなら、電車でも、公園でも、学校でも、会社でもとにかくPSPをもってモンハンをすることでしかつながれない現代人を目の当たりにしているからだ。
どこまでも現代人を象徴しているような、笑えないジョークの固まりのような映画だ。
監督:ダンカン・ジョーンズ
僕たち自身が月に囚われた者たちだ。
近未来、月の裏側で発見された新エネルギーを発掘し、地球に送るため、一人の男サム・ベル(サム・ロックウェル)が3年契約で駐在していた。
同居者はおらず、一台のコンピューターとともに三年過ごしていた。
もうじき契約を終えようとしていたとき、サムは脇見運転をしていて、事故を起こしてしまう。
目覚めるとそこは医務室だった。
デビッド・ボウイの息子が監督したという話題作。
日本ではミニシアター系で公開されて、その手の映画が好きな人たちの間で話題になった。
僕は結局みられず仕舞いになっていたので、DVDで借りることになった。
全く何の予備知識も知らなかったので、おもしろかった。
ほとんど一人芝居のサム・ロックウェルも大変すばらしい。
まだ見ていない人は、ぜひどうぞ。
▼以下はネタバレあり▼
現代人が感じている閉塞感はどんなものだろうか。
それは孤独でどこまでも監視されていて、生きるレシピなんかないと歌われながらも、誰かが作ったレールの上をただ歩かされているようなイメージ。
孤独であっても、人のつながりを信じずにはいられないけれども、それは何万キロも離れたところからメールを送っているようなものなのかもしれない。
この「月に囚われた男」はそんな現代人を象徴するかのような物語だ。
邦題も見事で、原題「MOON」よりも遥かによくできたタイトルだと思う。
「ルナ産業」という企業に囚われた男、サム・ベル。
イギリス映画らしい、ウィットに富んだ作品だ。
僕はこの映画を見ながらどこか「CUBE」に似ているという印象を受けた。
そういったなぜか感じる閉塞感を楽しむ映画だ。
前置きはこれくらいにして本題に入ろう。
ざっくり言えば「月に囚われた男サム・ベルが地球へ帰還する物語」である。
もう少し言い方を換えれば、「ルナ産業に搾取されていた男が、その闇を暴く物語」である。
事故を経験したサム・ベルは、医務室で目覚め、コンピューターのカーディ(声:ケヴィン・スペイシー)の受け答えに対して不信を抱く。
おそらく映画を見ていた人も思ったはずだ。
事故を起こしたサム・ベルをどうやって医務室に運んだのか。
あるいは、なぜサム・ベルは事故を経験したはずなのに、右の眉を切っていないのか。
カーディを欺いて外に出たサムは、自分そっくりの人間がトラックにいるのを発見する。
サム・ベルは二人いたのだ。
真相から書こう。
要するに、サム・ベルは採掘させるためのクローンであり、人間としての判断が必要な部分を任せるための道具にすぎなかったのだ。
サム・ベルは何十体も用意されていて、三年ごとに「契約が切れ」死ぬことになっていた。
おそらく遺伝子をいじったのか、食べているものに変なものを混ぜていたのか、ちょうど三年で死ぬように設定されていた。
そしてまた新しく目覚めたサムは、自分がクローンだと気づかず、また三年間勤勉に働くのだ。
完全に隔離するために、地球と直接的にやりとりできない状態を作り、偽りの電子メールで家族とやりとりしているように錯覚させていた。
なぜこんなことをルナ産業はしたのだろうか。
理由は単純だろう。
「そのほうが安上がりで安定的にエネルギーを採掘できるから。」
彼らの実態は劇中で描かれないが、その手口から全く悪気がなく、合理的なシステムを作り出したにすぎないことが分かってくる。
そもそも、サム・ベルは別にいて、そこにいるクローンたちは人間として認識されていないのだ。
その一つが、誰も彼と直接的にやりとりしようとしないという点に顕れている。
人間ではない。
だから、そこに人権なるもの存在しないし、そもそもその命を生み出し、管理しているのはルナ産業なのだ。
そこに人間に対する配慮は必要がない。
誤解があるかも知れないが、僕はこの企業がそれほど悪意をもっていたとは思えない。
むしろ、優良企業だったのだろうと予想する。
だからこそ、この映画はおもしろいのだ。
この企業はサムが地球に降り立ち告発したことによって、やがて倒産や業績悪化へとつながっていく。
だが、本当に批判されるべきは、そのエネルギーを安定して、そして安価に供給されてきた消費者なのだ。
あるいは、それを良しとしてきた社会全体の問題なのだ。
だから、この映画が揶揄していることが怖く、そして背筋が凍る思いと肝を冷やす思いを持つのだ。
もう一度言うが、ルナ産業はただ利益を追求していた結果、合理的なシステムを考え出したに過ぎない。
その利益とは、単に自社だけの利益を指すのではない。
社会全体の利益をも指すのだ。
これがまさに資本主義という考え方だし、功利主義という考え方だし、自由経済、エネルギー問題、すべての問題を含んでいる。
そこでは搾取する側とされる側に明確な線引きなどできない。
ルナ産業を批判する人たち(世論・世間)こそが、最も利益を享受してきた人たちなのだ。
そしてまたその多くの人たちが、同じように知らぬ間に搾取されていたのだ。
それは一見すると人間的で、人道的で、人権が保障されているような形で。
この作品は多くの人の心を打つだろう。
なぜなら、自分たちもまた誰かに何かを搾取され、管理されているという閉塞感を持っているからだ。
唯一の信用できるパートナーは、AIのカーディだけだ。
僕がルナ産業がそれほど悪意をもっていないと感じるのは、彼の存在があるからだろう。
カーディは人間に寄り添うようにプログラミングされている。
もっとドライでクールなAIだったなら、きっとこの「問題」が問題化することはなかっただろう。
脱出にはカーディの協力がなければ成り立たなかったからだ。
だが、それでも僕たちの感じた閉塞はぬぐえない。
なぜなら、電車でも、公園でも、学校でも、会社でもとにかくPSPをもってモンハンをすることでしかつながれない現代人を目の当たりにしているからだ。
どこまでも現代人を象徴しているような、笑えないジョークの固まりのような映画だ。
自分も映画が大好きでいつもDVD借りるときmenfithさんのサイトを見て次借りるモノを決めたりしています
サイトをみてからただ面白い.つまらないだけでなく映画の見方が変わりました´`*
それでまた見たい映画が増えました゜∪゜!
私の好きな映画は天使にラブソングです。
見たことあると思いますがトピになかったので。。。
オススメです!そして個人的には2の方が好きです''*
ストーリーより歌唱力に感動しちゃいます´`!!
あとファミリーゲームも面白いですよ。。!
また来年もたくさんこのサイト見させて貰いますね^^
よいお年を。。。*゜.+゜
今年もよろしくお願いします。
>あ さん
書き込みありがとうございます。
去年の暮れに初めて「インセプション」をブルーレイで買いました。
いちおうプレステはもっていますが、近所のGEOは品揃えが悪くて、DVDで借りることが多いのです。
鑑賞環境もDVDでもブルーレイでも大差ない状態ですし…。
>mayaさん
書き込みありがとうございます。
褒めていただき、本当に励みになります。
今年もゆるりと頑張ります。
「天ラブ」はDVDが家にあったとおもいます。
僕も好きで、何度も見ているので、あらためて見る機会がないだけです。
またそういうテンションの時に、批評にしたいと思います。
「ファミリーゲーム」は見たことがないですね。
また探してみます。