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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

東浩紀「動物化するポストモダン」

2024-02-27 18:57:15 | 読書のススメ
言わずと知れた、東浩紀を論壇の舞台にあげた新書である。
当時としては、オタクやギャルたちを論じている者は少なかった。
オウム真理教やバルブ崩壊など大きな事件や出来事が続く中で、ゲームやアニメ、マンガといったサブカルチャーに没頭する者たちを、俎上に載せるということ自体が「価値がない」とみる考えが支配的だった。
しかし、いち早く彼らに注目したのが、大塚英志であり、東浩紀だった。

書かれた当時は懐疑的だったのかもしれないが、現在ではオタクと呼ばれる人たちのエートスはむしろ日本においても支配的になってきた。
特に、新型コロナを巡る騒動(狂騒)によって、アニメやゲームがより多くの日本国民に親しみのあるものになったようだ。

彼らの精神性に早くから注目した評論として、東浩紀はその地位を確固たるものにしている。
それもすべてはこの「動物化するポストモダン」から始まったと言える。

私はおおよその内容は知っていたが、佐々木敦「ニッポンの思想」が文庫化されたのを機に、読んでみようと書斎にあったものを引っ張り出してきた。
奥さんも、サブカルについての新書や評論を長く追ってきたためずいぶん前に購入したものが眠っていたのだ。

▼以下はネタバレあり▼

当時としては、非常に詳細に、現時点では半ば常識になりつつあることも、丁寧に触れられている。
大きな物語を失い、データベースをあさり、二次創作にエモーショナルな感覚を覚える。
こうした精神性はすでに当たり前になりつつある。
ここで繰り返し述べられているのは、「現実と虚構の区別が付かなくなっているのではない。虚構を虚構として楽しむのがオタクの精神性である」ということだ。

そのスタンスは、幼児などでも見られるごく普通の人間的なものだろう。
それを成熟や未熟といった切り口で論じるのはもはや誤謬である。
少なくとも、正しく論じるためにはもっと深く切り込まなければ実態は見えてこない。
当時としてさげすまれているようなオタクを、思索の対象にしたというのは慧眼であるというほかない。

オタクという名前の通り、内と外という二項対立や、現実と虚構という二項対立でもない、まさに色眼鏡を外したところで見つめなければ、ただ旧態依然の論評しか繰り返すことができない。
そのことを教えてくれる古典とも言える新書だ。

思想なんて大それたものを、年中読んでいるわけにはいかないが、主要なもの、キーとなるものはやはり読んでおくべきなのだろう、と反省しながら読んでいた。

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