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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

誰のための仕事か。

2018-03-15 21:28:45 | 毎日コラム
私たちは誰のために生きているのだろう。
古くは自分自身のために人類が生きていた時代があっただろう。
やがて家族のために、集落のために生きていく、はたらく時代が訪れる。
その集団が大きくなるつれ、地域の君主のためにはたらく時代が長く続く。

あるいはそれが宗教であったりした。
やがて近代が訪れると、それは国民国家が形成されたことによって、国家というものに対してはたらくのだという理念が示される。
それにつれて、個人という概念が定着し、均一化された国民を育成するために、制度化された教育が行われていく。

その時代までは人々はある程度自分が生きていく理由や目標が明確だった。
だが、近代という時代の行き詰まりとともに、今度は、多国籍企業のためにはたらく私たちを発見するようになる。

私たちは大学にいく理由を、ほとんど就職のためだと思っている。
仕方ない。
私の会社も、大学の新卒者を獲得したいと躍起になっているのだから。

私たちは誰のために、はたらくのか、という点についてますます自認しにくくなってきてはいないか。
目の前の人のため、だったのに、国のためだったのに、今では誰かあったこともないCEOのためになってきた。
小さい企業は、大きい企業に包括され、多国籍企業が富大半を独占する。
搾取された労働力は、新しい投機のために費やされて、格差を生む。

資本主義や経済が問題だと言いたいのではない。
より抽象的もののためにはたらく私たちは、より危うい生き方を迫れているのではないか。
その世界でアイデンティティを見出すことは雲をつかむような話だ。
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