secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ウィンド・リバー(V)

2020-04-13 08:46:22 | 映画(あ)
評価点:81点/2017年/アメリカ/107分

監督:テイラー・シェリダン

最後のテロップで、物語が「完結」される。

アメリカのワイオミング州のウィンド・リバーでハンターとして生計を立てるコリー・ランバート(ジェレミー・レナー)は依頼されたコヨーテをトラッキングしていくと、女性の遺体を発見する。
彼女は裸足で倒れていた。
あまりに住宅地から離れていたために、FBIに捜査を依頼、来たのは新人捜査官のジェーン・バナー(エリザベス・オルセン)だった。
司法解剖すると、死因は肺が凍結したための窒息死だった。
亡くなったのはコリーが自分の娘のようにかわいがっていた女性だった……。

アマゾン・プライムでの鑑賞。
やはり予備知識なしで、よくわからないまま再生した。

どのような読み方をしても良いのが映画だが、この映画は歴史的社会的な視座を余裕する映画である。
そういう読み方をしなければ、スリラーとしてもサスペンスとしても凡作だっただろう。
だが、この話が(その程度はわからないが)事実に基づいている、ということが、この映画の価値を高めている。

その重みをしっかりと受けとめることで、学ぶべきところが見えてくるだろう。


▼以下はネタバレあり▼

真実か事実か史実か、そういうことはレトリックに過ぎない。
どんな話であっても、それが事実かどうかで映画としての面白さは変わらない。
私はそう考えている。

だが、この映画は最初と最後のテロップによって、映画の重みを与えている。
言い方を変えれば、ある一定の読み方を促す効果があるような、テロップになっている。

ウィンド・リバーがどこにあるのか私は知らないが、インディアン(アメリカ先住民)の居住地区になっている。
人々はこの雪と岩山だけがある地域で、細々と生きている。
ここにあるのは厳しい自然と、僅かな産業だけである。

そんな厳しい環境の中で、一人の女性の遺体がみつかる。
ナタリーは何者からレイプされ、命からがら逃げてきた様子だった。
しかし、あたりには民家らしい民家もない。
一番近いところで5㎞は離れている。

第一発見者であるランバートは、妻と息子と離れて暮らしている。
妻は新しく都会に引っ越して新しい生活を送ろうと考えていた。
息子と会うのは久しぶりで、冬の山を楽しもうとしていた。
しかし、そんな矢先、ランバートは自分の過去を思い出すような悲惨な事態に遭遇する。

ランバートの娘は16歳の時、30㎞も離れた雪山で遺体で発見された。
その晩何が起こったのか、だれもわからない。
ただ、無残に獣についばまれた娘の遺体があっただけだった。

ランバートが離婚しようとしていたのは、この事件によるものだろう。
そしてまた、ナタリーが殺される。
彼にとっては娘のような存在だった。

ランバートがFBIの捜査に協力しながらも、強い憎悪をもって犯人を捜そうとするのは、「真相が分からないまま殺される」という痛ましい事件を、繰り返さないようにするためだ。
いや、もっと言えば、真相を明らかにできなかった娘の敵を、友人の娘ナタリーの事件を解決することで、復讐しようとするのだ。

真相はナタリーの恋人マットとの逢瀬が終わったとき、マットの同僚が帰ってきた。
マットはエネルギー局の警備員で、その同僚たちといざこざになり、マットは殺される。
命からがら逃げたナタリーは、追っ手から逃れるために、10㎞も裸足で、軽装備で走り続け、絶命した。

そして最後に、テロップが流れる。
「現在でもネイティヴアメリカンの行方不明者の統計はない」

これは、ネイティヴアメリカンは、アメリカの司法システムから外れたところにあり、犯罪は捜査されないことを意味している。
なぜ、ランバートの娘は、「何が起こったかわらない」と結論づけられたのか。
その夜にあったパーティーで何があったのか、丁寧に捜査すればすぐに真相は明らかにされたはずだ。
けれども、ネイティヴアメリカンであるということだけで、司法による捜査は行われなかったことを意味する。

この映画はこのテロップによって、単なる物語、スリラー、サスペンスといった範疇に含まれない視座を与えることになる。
この物語全体が、ネイティヴアメリカンの現状そのものであるという、1つの読み方を突きつける。

ナタリーは、何でもない理由でレイプされ、殺された。
通常なら、そんなことは起こりえないし、起こったとしても、正規の捜査があり刑罰が下されるはずだった。
しかし、雪山をしらないFBI捜査官が若干の行きすぎた捜査をしなければ、おそらく全く顧みられることなく「真相は不明」だったことだろう。
ネイティヴアメリカンがいかにアメリカという国から無視され、蹂躙され、蔑ろにされているかを、最もよく表す出来事である、という現実を突きつける。

ウィンド・リバーという地の他からの描写も、他の描写も一切ない、閉じられた世界で物語は進行する。
この出来事すべてが、ネイティヴアメリカンの現状そのものなのだ。
「生き残ったものは強いものだ。運なんてこの土地に存在しない。だから生き残った君は、強かったからだ。」
法律や権利、人種といった人間がこれまで積み上げてきた「神話」は通用しない。
そこにはまだ依然として弱肉強食の世界が広がっている。

ランバートはだから人生を悲観していない。
後悔と罪悪と、悲哀を抱えながら生きている。
ナタリーが殺されてから、彼は一直線にハンターとしての行動を貫く。
徹頭徹尾、他者に期待しない生き方をしている。
「徹底的に悲しめ。悲しんでいるときにだけ、娘を感じられる。
悲しみから逃れようとしたら、娘は失われてしまう。」


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