目撃者も、証拠もないーーー
あるのはただ「疑惑」だけ。
ダウトとは、疑惑という意です。
3月9日、京都シネマにて鑑賞。2009年の第81回アカデミー賞で、メインの出演者が賞候補にノミネートされましたが、残念ながら受賞されず・・・・・。
予告編から凄く気になっていたこの作品。メリル・ストリープとフィリップ・シーモア・ホフマンの激しいバトルを心の中で期待してドキドキしていたんですけど。想像ほどの凄いものではありませんでした。(ちょっと拍子ぬけかな?)
元々は舞台劇だそうで、監督したジョン・パトリック・シャンリーの作品。2004年、2005年連続してブロードウェイで公演され、トニー賞とピュリッツァー賞をダブル受賞した傑作作品らしいです。その作品が待望の映画化となり、映画のキャスト陣もかなり豪華なんですよね。
メリルといえば、「マンマ・ミーア!」。先日遅まきながらこの作品も鑑賞しました。でも彼女は、やっぱり「ダウト」のシスター役の方がイメージ的にはいいのではないでしょうか?数年前の「プラダを着た悪魔」もそうだったけど、最近の彼女は性悪おばさんってイメージが強い!今回の意地悪なシスターもなかなか似合っていましたしね。
それにしても、証拠もなく、目撃者もいないのに、何故フリン神父を悪者に仕立てあげたのでしょうか?シスター・アロイシスの性格にも問題があります。そのためフリン神父という存在がかなり邪魔だったのだというのも手に取るように見え見え。
何か神父に弱点や欠点がないか?と臭いを嗅ぎまわっているシスターの姿がなんともいえません。
シスター・アロイシスは、物事を“疑惑”の目で見なければならないことを、シスター・ジェイムズに断固として告げる。
伝統と風紀を厳守するカトリック学校の校長シスター・アロイシス(メリル・ストリープ)、それに対して新しい時代のカトリック学校のあり方を模索する画期的なフリン神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)、そして二人の間で揺れ動く若いシスター・ジェイムズ(エイミー・アダムス)。カトリック学校に限らず、こういうのってよくある人間模様だと思います。
シスター・アロイシス、彼女はシスターという神職にありながら、高慢で優しみのない顔つき。生徒に対しても優しさのかけらも感じられない。生徒もそんな彼女には恐れている。態度が悪いとピシャッだ。
フリン神父、それに比べておおらかで、自由な発想を持っている。人当たりもいいし、誰が見ても好ましい。カトリックの教えを広めながらも、その枠に縛れることはないと教える。寛容な心の持ち主。
誰が比べても、神父に軍配があるのは見えている。
ユーモアあり、優しさあり、寛容で自由な発想のフリン神父。
そんなキャラを演じたフィリップ・シーモア・ホフマンですが、ちょっとね。今までの役柄からするとイメージ的には何か裏でやらかしそうな?感じがするようにも見える。だから、シスター演じるメリルが疑ったわけではありませんが。
確かにシスターアロイシスは、生徒の行動を見極める力はあった。
例えば、鼻血を出した生徒が早退したいと申し出たのを心配するシスター・ジェイムズに、早退したいからわざとやったのだと断言する。案の定、その生徒は早退後タバコを吸っている場面が見られる。そのあたりは教育者として現場を良く把握しているようである。女性特有の傲慢な言葉のように思うが、結構冷静な観察と判断をしていることがわかるのだが・・・・。
そうなるとシスターアロイシスが強く疑いを持っているフリン神父の黒人生徒に対する少年愛疑惑も、もしかして本当なのでは?ないかと思える。
1964年代のアメリカでは、カトリック学校だけではなく、社会的に同性○は許されておらず、見つかればえらいことになる状況だった。
ことの始まりは、シスター・ジェイムスがフリン神父とドナルド・ミラーとのことだった。フリン神父が学校で唯一の黒人生徒ドナルド少年に強い“関心”を示しているとシスター・アロイシスに報告していた。
フリン神父が唯一関心を示す黒人生徒ドナルド・ミラー。ドナルドは礼拝の待者に選ばれていたが。
ある日、シスター・ジェイムズの授業中に、フリン神父が、ドナルドを呼び出し、酒臭い息とともに教室へ帰して寄こした。このことでジェイムズは疑惑を持つ。その疑惑を持つことによって、神が遠のくと恐れるジェイムズだが・・・・。
しかしシスターアロイシスはこう説く。悪事に立ち向かおうと一歩踏み出せば、神から一歩遠ざかることになる。しかし、それは神のために成す行為なのだと・・・・。
校長室にフリン神父を呼び、真実を問いただす。しかし、彼はドナルドがミサ用のワインをこっそり飲み、そのスキャンダルから生徒を守ろうとしたのだと説明。
フリン神父の言葉を信じ、ホッと息をつくジェイムズ。
一方アロイシスは何の証拠もないまま、欲望に忠実なフリン神父の嘘を強く確信していく。「校長先生は、神父のことが嫌いなだけです」とジェイムズは抗議する。
※疑惑を持たれたフリン神父が必死に否定するのは当然だ。もしかしてその疑惑が間違いならば、無実の人に罪を負わせることになる。ましてや、神に仕えるものがおかしてはならぬ大きな罪になる。
フリン神父の説教
祭服をまとい、大聖堂で説教をおこなっていた。“ナイフで切り裂いた枕から風に飛ばされていく羽を、噂にたとえた寓話”である。説教の真意を尋ねるジェイムズに、神父は孤独なドナルドを真に守ろうとしているのは自分だと、あらためて主張!
今度はシスター・アロイシス、ドナルドの母親であるミラー夫人(ヴィオラ・デイヴィス)に会って詳しく事情を聞くことにする。
ところがミラー夫人はこう語る。“見守ってくれるのはフリン神父だ”と。ドナルドとの不適切な関係をほのめかすシスターに向かって、涙を流して激しく抗う。“どんなことがあろうと、息子には誰か気にかけてくれる人が必要なのだ”と・・・・・。
ミラー夫人と別れた後の校長室に、彼女を呼び寄せたことに激昂したフリン神父が入ってくる。自分への根拠のない反対運動は止めるように強く迫る神父。
しかしシスター・アロイシスは揺るがぬ自信を持って、彼に辞任を要求する。
二人の信念を賭けた闘いは、いよいよ最後の局面に・・・・・。
人間がいかに罪深い存在であるか知り尽くしているアロイシス、だからこそ神にすがり正しい人間社会を作らねばならないという使命感に燃えているが、本当にそのことは正しいのか?
フリン神父が本当に神聖な学校にふさわしくない人物だったのか?決め付けそのもはどうも違うことがわかってくる。
結局彼はこの学校を去ることに・・・・・。
するどい観察力で、すべてがわかるという彼女の考えは本当に正しい選択だったとは思えない。ましてや証拠も、目撃者もないわけだ。憶測だけでの判断なんて、空恐ろしいものがあるなあと実感した。
身近にもそんな人がいますね。その状況をかってに想像して決め付ける人。事実関係を把握していないのに。それを公にいかにもそうだと話す人。絶対いけませんよね。多分相手を嫌っていると思われても仕方ないのでは?と思います。
STORY もう少し簡潔に(バラエティージャパンより抜粋)
1964年、ニューヨーク・ブロンクスにあるカトリック学校セント・ニコラス・スクールの厳格な校長シスター・アロイシス(メリル・ストリープ)は、旧来の道徳観と篤い信仰心を持っている。一方、司祭を務めるフリン神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、現代的な開かれた教会を目指すべきだという持論を展開していた。アロイシスは新人教師シスター・ジェイムズ(エイミー・アダムス)に、物事は疑惑の目で見なければならないと指導する。ジェイムズは、フリンが学校で唯一の黒人生徒ドナルド・ミラーに特別な関心を寄せているとアロイシスに報告する。礼拝の侍者役に選ばれ、司祭館に連れて行かれたドナルドが、酒臭い息で戻ってきたのを目撃したのだ。アロイシスはフリンを校長室に呼び、真相を追求する。フリンは、祭壇用のワインを盗み飲んだ生徒を守っただけだと反論する。ジェイムズはフリンの言葉を信じるが、アロイシスは疑惑を持ち続ける。アロイシスはドナルドの母親ミラー夫人(ヴァイオラ・デイヴィス)を学校へ呼び、事情を聞き出す。フリンは大聖堂で説教を行う。その説教の真意を尋ねるジェイムズにフリンは、ドナルドを守ろうとしているのは自分だけだと主張する。そのころミラー夫人は、息子を見守ってくれるフリンへの感謝をアロイシスに語っていた。ミラー夫人が帰ると、フリンが校長室へ入ってくる。夫人を呼んだことに激昂し、自分への根拠のない反対運動はやめるよう、アロイシスに強く迫る。しかしアロイシスは動じず、フリンに司祭の職を辞すよう要求する。
ジョン・パトリック・シャンリー | ||
『ダウト 疑いをめぐる寓話』 |
メディア | 映画 |
上映時間 | 105分 |
製作国 | アメリカ |
公開情報 | 劇場公開(ディズニー) |
初公開年月 | 2009/03/07 |
ジャンル | ドラマ/ミステリー |