ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

やさしい悪魔

2007年07月16日 | 名曲


  1977年7月17日。当時人気絶頂だったキャンディーズが日比谷野外音楽堂でのライヴで突然の解散宣言を行った日です。この時ランが口にした「普通の女の子に戻りたい」というセリフは、本人の真意をよそに一人歩きし、流行語になってしまいましたね。この解散宣言は世間に衝撃を与え、一種の社会現象にまでなりました。
 といっても、今キャンディーズを知っている世代といえば、30代以上になるのでしょうか。


 その頃にヒットしていたのが、この「やさしい悪魔」です。これはキャンディーズ13枚目のシングルで、作詞は「神田川」などで有名な喜多条忠氏、作曲はあの吉田拓郎氏です。この曲は拓郎氏が初めてキャンディーズに提供したもので、最終的にはチャート4位にまで昇り、約70万枚のセールスを記録しました。


     


 以前のキャンディーズといえば、明るくてキュートで、「清楚なお姉さん」といったイメージでしたが、「やさしい悪魔」では、曲もシャッフルのフォーク・ロック調という少し大人びたものになり、衣装もアン・ルイスがデザインした、レオタードに網タイツというとてもセクシーなものに変わりました。
 イントロの、ヒールが床を打つ「コツン、コツン」という音からして、今までと違った雰囲気を醸し出しています。
 また、親指と小指を突き上げる「デビルサイン」もファンの間で浸透したみたいです。


 大人っぽくなったキャンディーズの、ちょっとホロ苦いこの曲、ぼくはとても気に入っていて、今でもよく聴いています。


     


 吉田拓郎氏は熱烈なキャンディーズ・ファンだったようです。「やさしい悪魔」はとても音域が広く、歌うには少し難しい曲なのですが、それも拓郎氏がキャンディーズにレッスンをつけたいためにわざと難しく作曲した、という話がありますが、本当のところはどうなんでしょうね。
 この曲、拓郎氏も、アルバム「ぷらいべえと」でセルフ・カヴァーしています。


 当初は可愛いだけのアイドル・グループと見られていて、歌唱力なんて話題にもならなかったキャンディーズですが、きちんとしたレッスンを積み、キャリアを重ねるごとにコーラス・グループとしての力もつけていったようです。
 全盛期には、しっかりした音楽教育に裏打ちされた実力を持つミキがアルト、サウンドを包み込む音色と安定した歌唱力を持つスーがメゾソプラノ、リズム感がよくアルトからソプラノまでをカヴァーする広い声域を持つランがソプラノを取っていました。


     


 キャンディーズは1978年4月4日、超満員の55000人の観衆を集めた後楽園球場でのファイナル・コンサートを最後に解散しました。レコード・デビューからわずか4年半(もうちょっと長く活動しているのかと思ってました)、当時まだラン23歳、ミキ22歳、スー21歳という若さでした。以来キャンディーズとしての活動は一切行っていません。
 ちなみに、彼女たちは「解散宣言」はしましたが、「引退宣言」はしてなかったんですね。
 のちミキはシンガーとしていったん復帰しましたが、今では完全に引退、ラン、スーは現在でも女優として活動を続けています。(追記:「スー」こと田中好子さんは、2011年4月21日、がんのため55歳で亡くなりました)


[歌 詞]


やさしい悪魔
■リリース
  1977年3月1日
■作 詞
  喜多条忠
■作 曲
  吉田拓郎
■編 曲
  馬飼野康二
■歌
  キャンディーズ
   ・伊藤 蘭(ラン)
   ・田中好子(スー)
   ・藤村美樹(ミキ)
■収録アルバム
  キャンディーズ1½~やさしい悪魔
■チャート最高位
  1977年度オリコン週間チャート 4位
  1977年度オリコン年間チャート27位


キャンディーズ「やさしい悪魔」


コメント (16)
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