ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

ジンジャー・ベイカー

2019年10月07日 | ミュージシャン

【Live Information】



 10月6日、ドラマーのジンジャー・ベイカーが亡くなりました。
 80歳でした。


 この世には音楽を生業として一生を終える、ぼくからするとある意味とても羨ましい人々がいます。
 華やかな世界的なミュージシャンから場末の酒場でわびしく弾き語るミュージシャンまで、古今東西有名無名を問わず音楽で生計を立てた人はどれくらい存在したのでしょう。
 多種多様な音楽の種類の中でも、まだわずか70年足らずの短い歴史しかないロック・ミュージック。
 「ロック・ミュージシャンって、何歳くらいまでロック・ミュージシャンでいられるのだろう。」
 これが高校くらいのぼくが抱いていた、素朴な疑問のひとつです。
 当時のロック・スターの主だったところといえば、ポール・マッカートニー、ジョン・レノン、ミック・ジャガー、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ロッド・スチュワート、ジミー・ペイジら、30歳台を超えたばかりか、せいぜい30歳台の半ば。あとはほとんどが20歳台でした。
 そのなかで、ジンジャー・ベイカーは数少ない40の坂を越えたロック・ミュージシャンでした。


     
     ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース時代


 当時のぼくは、もしかすると無意識に「ロックなんて若い時だけの、一時の情熱」みたいに思っていたのかもしれないし、60歳や70歳の人間があんな大音量の派手な音楽を演奏するなんて全くイメージできなかったんです。(もちろんジャズやブルース、クラシックの世界には人生の終わりまで音楽を続けた人はいましたが)
 

 いまでは、70歳台になっても情熱衰えず、現役で活動しているミュージシャンは珍しくありません。
 反面、ここ数年ロック・ミュージシャンの訃報を目にすることが多くなってきたように思います。
 グレ・フライ(イーグルス、2016年67歳で没)、ポール・カントナー(ジェファーソン・エアプレイン、2016年74歳で没)、デヴィッド・ボウイ(2016年69歳で没)、リック・ライト(ピンク・フロイド、2008年65歳で没)、グレッグ・レイク(エマーソン・レイク&パーマー、2016年69歳で没)、ジョン・ウェットン(キング・クリムゾン、エイジアetc、2017年67歳で没)、クリス・スクワイア(イエス、2015年67歳で没)。。。
 「ロック・ミュージシャン」として一生を終える人が徐々に出てきたわけですね。
 20世紀後半になって出現したロック・ミュージックはビジネスとしても成熟、巨大化し、ミュージシャンたちも長期に渡って経済的な恩恵を受けることができるようになったことの表れでもあります。
 そして、ジンジャー・ベイカーも、(クリームの中ではジャック・ブルースに次いで)ロック・ミュージシャンとして一生をまっとうしたわけです。
 (もちろん純粋にロックだけしか関わっていなかったというわけではなく、ジャズやワールド・ミュージックなど幅広く音楽と関わり続けていました)


 ぼくがロックに夢中になったのは、1970年代の半ば。
 当時のロック・ドラム・ヒーローといえば、なんといってもジョン・ボーナム(レッド・ツェッペリン)、イアン・ペイス(ディープ・パープル)、そしてこのジンジャー・ベイカーでした。
 まだロジャー・テイラー(クイーン)もカール・パーマー(エマーソン・レイク&パーマー)も若かったなあ。サイモン・フィリップスやジェフ・ポーカロの名前がちらほら聞かれはじめたのもこの頃だったかもしれません。


     
     クリーム再結成(2005年)


 ジンジャーのドラムのバックボーンはジャズによるところも大きいですが、エリック・クラプトン、ジャック・ブルースと組んだあの伝説のロック・トリオ「クリーム」で聞かせるドラミングは、のちのハード・ロックにも大きな影響を与えています。
 ジンジャーといえば、ぼくにとっては「床とほぼ水平にセットされたツイン・タム」と「ツイン・バス・ドラム」いうイメージが大きいです。
 そして、どこか原始的な響きのする独特の音色やフレージング。
 のちにアフリカン・リズムに傾倒したのもうなづける感じがします。


 ジンジャーのドラムをよく聴いたのは、やっぱり「クリーム」の作品を通してです。
 クラプトンとブルースの火花を散らすような激しいインタープレイに、さらなる燃料を投下するかのようなエネルギッシュなドラミングは理屈抜きに興奮させられました。
 そして「ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース」。
 「エア・フォース」は、ジンジャーの師であるフィル・シーメンとのツイン・ドラム、アフリカ音楽に影響されたどこか原始的・呪術的で熱いグルーブ、インプロヴィゼイション中心のクリエイティヴな演奏、などなど見どころ聴きどころがいっぱいの、魅力のあるユニットでした。


     
     晩年のジンジャー・ベイカー

 
 この日は、いずれも日本プロ球界で唯一である400勝と4000奪三振を記録した、球史に残る大投手・金田正一さんも亡くなりました。
 音楽と野球、そのどちらも大好きなぼくにとっては、ふたりのスーパー・スターの訃報に接した、寂しい思いのする日になりました。


 ぼくはクリーム、ブラインド・フェイス、ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォースなどを通してジンジャーのドラムを聴いてきました。
 1980年代以降はジンジャーのドラムを聴くことも減りましたが、2005年にクリームの再結成のニュースを聞いた時は、やはりワクワクしました。


 ぼくは、ドラマーとしてのジンジャーを逐一追ってきたわけではありませんが、ジンジャー・ベイカーはロック・ドラムの源流を創りだした偉大なドラマーのひとりであると思っています。
 そして、人間が「ロック・ミュージック」で生活の糧を得て一生を終えるという、それまでに存在しなかった道を切り拓いた偉大な先人のひとりである、とも思っています。



☆ジンジャー・ベイカー(Peter Edward "Ginger" Baker) 1939年8月19日生~2019年10月6日没
 
 



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