バブル崩壊後の20年間は、わが国にとって大きなターニングポイントであったと、私はいまつくづく感じます。
1980年代のバブル崩壊前、土地の価格は上昇し、日本の社会は高度消費社会となりました。世の中には大量かつ多種類の品物・製品が商店に並ぶようになりました。
テレビ番組では「男女7人夏物語」や「男女7人秋物語」などが、高視聴率をあげ、高度消費社会のありさまを象徴していました。
ちまたの女性は、ボディコンのドレスを身にまとい、ブランド品を身につけ退社後のオフタイムを謳歌していました。
そして、バブルが消えてしまった1990年代、ビジネス界では「自己実現」が一つのキーワードとなり、「やりたいこと探し」、自分の夢実現が教育の分野にも、影響を与える時代となったのでした。
時代を体現したようなアーティストDREAMS COME TRUE・ドリカムがリスナーから支持されたのも納得がいきます。
じつは、中学校の職場体験学習もある意味、生徒の自己実現の流れを受けて始まったという経過があります。箕面市の中学校では二中が初めて実施したのが、1994年の秋、2年の学年でした。私が学年主任をしていた学年で始めました。
その後、自分の中の可能性を引き出し、開花させる方向に「自己実現」は向かいました。人は成長してオンリーワン=かけがえのないわたしに近づくことに、人々は価値を見いだす時代となったのでした。
それを象徴したのが、SMAPの「世界で一つだけの花」だったのではないでしょうか。「ナンバーワンにならなくていい、もともと特別なオンリーワン ♬ ♪」
このCDが爆発的に売れ、大衆に支持されたのは、自己実現を求める人々がたくさんいたから、つまり時代の要請を反映した曲だったからというのが、私の見解です。
しかし、SMAPはまもなく解散します。
解散とともに、一つの時代が終わろうとしています。そして、私たちは自己実現の時代を振り返ろうとします。
私たちは、いまという時代をどう捉えればいいのでしょうか。
この20年間で、自己実現をバックボーンにして、一人ひとりのがんばりや努力が認められる社会になったのでしょうか。
残念ながら、そうはなっていません。いや、さらに努力を強いられる世の中になっていると思います。
社会は、個人の努力には目を向けず、その結果ばかりに目を向けるようになっているのではないでしょうか。
役に立たない人は排除していく社会になってきていると、私たちは感じます。
「一億総中流社会」と言われた時代にかわって、この20年間で進行したのは、老人の単身世帯と母子世帯の増加です。さらに子どもの貧困化です。箕面市では見えにくいですが、働いても食べれない世帯が増えてきました。
そして、「自己実現」に代わって、「自己責任」が幅をきかせるようになっています。
貧しいのは本人のせいだ。自分の責任だから国や周りは面倒をみる必要はない。このような考えや価値観がはびこってきているように感じるのは、私だけでしょうか。
もしこんな風潮で、学校も教育活動がまわっていくとするならば、私は強い違和感と危機感を覚えます。
貧困問題は、社会のしくみが生み出したものです。社会が生み出したのなら、社会で面倒をみていくべき、国がみていくべきなのです。
今の社会が求めているのは、強さと正しさ。
強いことはいいことで、弱くなるのは自分のせい。正しいのはこの道で、外れるのは誤りにされてしまいます。
すべてのものごとを勝ち負けのように、クロかシロかで色分けしているのではないでしょうか。
しかし、人間の人生は、もっと多様なものであり、さまざまな人がいて、それぞれの人生を一生懸命歩んで生きています。
勝っているか、負けているかは一つ基準かもしれませんが、それだけで人を判断するのはぜったいに違うと、私は思います。
このような時代背景を踏まえた上で、三中の生徒たちには、多様な人の中で生き、自らも自立した上で、人に優しく他者と共生していく人になってほしいと願っています。学校の存在意義は、他者との共生を学習することにあると考えています。