箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

大阪市内で見つけたクリスマスツリー

2022年12月07日 17時44分24秒 | エッセイ
今日はクリスマスツリーの日だと聞きます。

きのうは「職免」をとり、一日人間ドックへ行きました。

その医療機関の正面玄関内ホールに据えられたクリスマスツリーはとても高さがあり、スッキリとしたオーナメントで飾られていました。🔽


人間ドックが終わってからは、大阪市北区梅田の地下街でクリスマスプレゼントとクリスマスツリーをコラボさせたデコレーションを見つけました。🔽



次にHEP NAVIOの館内ではブルーライトのクリスマスツリーを見つけました。🔽



地下街から外へ出ると、HEP FIVE前の広場では、約10メートルの高さの生木のモミのツリーが据えられていました。
赤やゴールドに輝く大きなラメの装飾とポーランド製のボールオーナメントで彩り、ヨーロピアンテイストを醸し出していました。🔽







青空を見つめると

2021年11月11日 09時02分00秒 | エッセイ


こころが疲れてしまったら
澄みきった青空を見なさい
さわやかに大空を吹き抜ける
風になりなさい
(『風にきいてごらん』より)

葉祥明さん〔絵本作家)の言葉です。

現代人は多忙です。忙しかったり、ものごとがうなくいかなくて、こころが疲れたりしたら、空を見上げてみましょう。

きのう近畿では午後から雨でした。

一夜明けて、今日は晩秋から初冬にかけての青空が広がっています。

青色は心理学的にも、血圧を下げたり、早く打つ鼓動を下げ、リラックスした気持ちにしてくれます。

流れる雲をボーと眺め、風になったつもりで青空に身をまかせてみましょう。

また、有名な詩ですが、谷川俊太郎さんは、青空について次のように書いています。

空の青さを見つめていると

私に帰るところがあるような気がする


みなさんには、こんな経験がないでしょうか。

私は子どもの頃から緑の多い自然豊かな環境で育ちました。

野原に寝転がり天を見ると、どこまでも青い空が広がっています。じっと眺めていると、あたかも自分が青空に吸い込まれていくような感覚をもったものでした。

自然と自分が一体になるというか、自然のなかに自分がいる。

こんなふうに感じた少年の頃を思い出します。


その人にとっての特別な日

2021年08月15日 06時22分00秒 | エッセイ

お盆には、ご先祖が家に戻ってくると言います。

だから、日本ではお盆には、仏壇を掃除して、お供物をして帰りを迎えるのです。

わたしの父は、7年前の12月14日に病院で亡くなりました。

その日のことは、今でもはっきりと覚えています。

また、11月24日は結婚記念日で、これもわたしにとってのspecial dayです。

さらに、6月25日は初めての子どもが生まれた日で、義理のお父さんが訪ねてきて孫の誕生を喜び合ったことを覚えています。

それから買い物をしに、二人で外へ出かけたとき、初夏の青空がきれいだったのを思い出します。

わたしにとっては、それらの日はspecial dayでした。

生涯忘れることのない大切な一日です。


ただ、それらの日は世の中のほとんどの人にとっては、日常のありふれた、ふつうの一日だったことでしょう。

誰もが、おそらくそのようなspecial dayをもっているのではないでしょうか。

それが楽しいことであろうが、悲しいことであろうが、自分にとって特別な日を重ねていくと、その人の人生を生きるということであり、自分のstoryを生きるということなのだと考えます。

きっと、今日も世の中の誰かにとっては、生涯忘れられなくなる大切な一日であることでしょう。

それは、楽しい日ではなく、その人にとっての悲しい日かもしれません。

それでも、かけがえのない一日を積み重ねていくことを大切にしたいのです。その人もわたしも。



インタビューは選択できるように

2021年08月03日 05時48分00秒 | エッセイ
オリンピックでは、メダルを取るとか勝つことに世間の注目が集まります。

それは仕方のないことかもしれません。

ただし、そのムードでは、選手には国民の期待が集まり、相当なプレッシャーがかかります。

最近、こういった選手が受ける重圧を告白した人もいます。

メディアは試合後に選手に駆け寄り、インタビューをしようとします。

あたかも、「選手なんだから、答えて当然だ」というモードでマイクを向けます。

インタビューでは、話す専門ではない選手が気の利いた話やコメントをしなければならないのです。

うまく言えなかったときには、「あのときこう言えばよかった」と後悔する人もいます。

これは、やはりおかしいのではないかと思います。

これはメディアの圧力です。

本業でいい結果を出すことに重圧がかかるうえに、インタビューでもいいコメントをしなければならないのは重すぎます。

インタビューに答えるのを当然とせず、応じたい選手にはマイクを向け、ちょっと控えたい人にはインタビューを止めるなどの配慮があっていいのだと思います。

花のようにひたむきに

2021年07月14日 12時10分00秒 | エッセイ
最近のハイビスカスは、赤色、黄色、ピンクなどさまざまな色の花が出回っています。

それでも、定番はやはり赤色の花ではないでしょうか。

人は花を見てなぜ美しいと思うのでしょうか。

それは、花がただひたすらに、ひたむきに咲いているからです。

人も花のように生きていきたいと思います。

花はなぜ美しいのか。それは一筋の気持ちで咲いているから。(八木重吉)

エレベーターの乗り方に成熟度がみえる

2021年06月09日 07時07分00秒 | エッセイ


国内では、エスカレーターの右か左のどちらかを空ける習慣・マナーは、1970年ごろに始まりました。

阪急電鉄が梅田駅で「エスカレーターは右側に立ち、お急ぎの方のため左側を空けてください』とアナウンスしました。

その後、ときは大阪万博(1970年)の頃で、当時は万博施設内で平面式のエスカレーターである「動く歩道」(ムービング・ウォーク)が活躍しました。

その後、そのムービング・ウォークは、阪急梅田駅と阪急百貨店を結ぶ通路に取り付けられました。(その後40年ほどたちましたが、いまもあります。)

そのときのアナウンスが、まさしく「エスカレーターは右側に立ち、お急ぎの方のため左側をお空けください』でした。

当時は高度経済成長下の「モーレツ社員」の時代でした。とにかく関西の人は歩くのが速い人が多いのです。

「速いことは美徳だ」のような価値観が加わり、関西ではエスカレーターの左側を空けるのが定着しました

これは関東圏では逆になり、エスカレーターの右側を空けるのが普通になって今にいたっています。

ところが、1990年代後半には「エスカレーターは歩かずに止まってお乗りください」というアナウンスが聞こえてくるようになりました。

これは高齢化が進む日本で、歩く人がいるとひっかけられ、転倒する高齢者がいるという事故を意識してのことだったと推測します。

でも,考えてみると、そもそもエスカレーターは歩くことを前提に設計されたものではなく、立ち止まり手すりを持って乗るものだと考えます。

しかし、一度身についた習慣を変えるのは、なかなか難しいのです。わたしなどは右側で立ち止まろうとすると、マナーを守らない人が右側で後ろから急かすように近づいてきます。

そのときに感じる雰囲気は「みんなが急いでいるのだから、立ち止まるなよ!」です。

とくに、新型コロナウイルス渦ではっきりしたように、日本では同調圧力がはたらき、「みんなが自粛しているのに、なぜ店を開けているのだ」となり、「まわりにしたがえ」という無言の圧力を感じます。

だから、じっと立ち止まっているのには少々勇気がいることもあるのです。

いまは、高度成長期も終わり、モーレツに働く価値観も昔の遺物となりました。
成熟時代には「エスカレーターは右に立つ、左に立つとかではなく、歩かない』という行動に価値を見いだすべきでないかと思います。

効率ばかり優先するのではなく、エスカレータに乗りながら転倒の危険を感じている人に思いをはせることができる成熟したおとなでありたいと思います。

ふるさとの美しさに想う

2021年05月21日 06時25分00秒 | エッセイ


私が小学生の頃、学校行事として「写生会」がありました。児童が郊外へ出て、深まった秋の風景を画板につけた画用紙に絵の具で写生するというものでした。

どの場所を選ぶかは子どもが自由に決めました。

ある子はお寺にそびえ立つ、葉が黄色に染まった銀杏の木とお寺を写生しました。
また、ある子は遠くから眺めた自分の学校を写生していました。

わたしは、茶色や赤色、黄色に染まった里山を描くことにきめました。

なぜ、それを選んだのか。

初夏や夏には青々としていた山々(「山したたる」といいます)が、さまざまな色をつける(「山装う」といいます)ようすが、ほんとうにきれいさと見事さに惹きつけられ、ぜひそれを絵にしてみたいと思ったのでした。

ただし、そこは絵を描く卓越した技能が自分に備わっていないため、わたしが見ているもの描かれたものの間には大きな隔たりを自ら感じていました。

ただし、私が見ているものは、まぎれもなく生まれ育ったふるさとの息をのむような美しい里山であり、私の体をつかって表現する絵との間の隙間を埋めることは、子ども心にも簡単でないことも感じていました。

そして、同時にその隙間は埋めることができずいまに至っています。

そして、いまや「美しいいう思い・心情に意味がある』とわりきり、過ぎていった長い年月を受け止め、ふるさとに生きることを続けています。


デカ盛り野菜のラーメン

2021年05月07日 20時08分00秒 | エッセイ
JR神戸駅の近くに、ラーメン「神起」があります。

注文すると、「ニンニク入れますか?」と聞かれます。

モヤシとキャベツの野菜、カツオなどの盛り方は、「ちょい増し」、「増し」、「増し増し」を選びます。

スープはわりとあっさりで、麺はかなり太めです。

野菜をたくさんとりたい人におすすめです。



社会に貢献する企業

2021年03月24日 07時24分00秒 | エッセイ



今は、高度経済成長期のように、いい製品を作り、大量生産して利益を得るやり方で企業が存続できる時代ではありません。

常に顧客からのフィードバックを受け、顧客のため、世の中のためになる製品やサービスに改善していかないと続かないのです。

社会全体がこのようになっているので、企業はその使命を明確にした方針を持つべきであり、働く人はその使命に賛同して、仕事のなかでその方針を実現します。

その方針に共感できる人たちが集まった組織では、職場満足度が上がります。

ところが、会社の方針を理解しない組織では、お互いの考えにすれ違いが起こり、「何か違うんだ」という違和感を感じるなです。

企業なので、利益はあげなければならない。

でも、自社の利益だけを追い求め、顧客や社会の利益を求めない組織は成長が見込めない。

そんな時代です。



不滅の逸品 カツサンド

2021年03月13日 11時16分00秒 | エッセイ
大阪府の千里中央にある喫茶「ニューアストリア」は長年地元で愛される店です。カフェとは言わずに、あえて喫茶です。ここのカツサンドは美味しくて、有名です。

揚げたてのトンカツにソースを仕込ませ、レタスなどを挟んだ、いわゆる正統派のカツサンドです。カツは分厚く、柔らかいです。

食品ロスをなくすために

2021年02月21日 08時19分00秒 | エッセイ

ほんの少し前まで、大阪にはたくさんの外国人観光客があふれていました。

地下鉄に乗ると大きなスーツケースをもった外国人がたくさんいました。

ホテルでエレベータに乗ると、同乗した人が中国語を話している。

大阪ミナミの繁華街は、外国人の買い物客でごった返していました。

新型コロナウイルスの1回目の緊急事態宣言以降、街からは外国人観光客が消えました。

関西に来た外国人は2012年が273万人、2019年には1321万人へ急増していたのです。しかし、2020年春以降は、ほぼゼロ人になったのでした。

観光地では外国人が来なくなり、食品がたくさん売れ残りました。

食品業界では、賞味期限までの期間が3分の1を過ぎると販売にまわすのを中止し、廃棄してしまうことが多いようです。

このような事情も加わり、食品ロスをどう減らすかがいまの大きな課題です。

そこで最近は、賞味期限内の余剰食品を事情の説明したうえで、ネット販売する商法が出てきています。

飲食店向き高級品が割安で買えるので、消費者もお買い得感があります。黒毛和牛、ホタテなどに人気があります。

ただし、ネット販売に出されるのはほんの一部で、日本全体の食品ロスは年間で600万トンを軽く超えます。

食品ロスは日本だけの問題ではありません。国連で定めたSDGs(持続可能な開発目標)では「つくる責任 つかう責任」として、食品ロスの問題をとりあげています。

国内で食品ロスの問題に取り組む例があります。

たとえば週3日の午後だけ店を開け、4種類のパンのみを打っているパン屋さんがあります(広島県)。

この店は、5年後に流行が終わるパンではなく、長年残るパンを売っていきたいという思いで、日もちしない具材を使わずシンプルなパンを販売することで食品ロスを解消しています。

飢餓の危機に瀕している国がある一方で、食品ロスの問題は人類の課題です。

その課題解決を図るのがSDGsです。

SDGsの推進に効果を上げる新しい産業を、日本は創出しなければならないのです。

ずっと前には、企業の使命は営利追求のみでよかったですが、その後社会貢献という価値が加わり、さらにSDGsがプラスされています。

時代は、いまやSDGsに取り組む企業こそが社会から認められる流れになっています。

ショコラ+ラズベリーのハーモニー

2021年02月04日 18時20分00秒 | エッセイ
【ポムポムプリンのチョコレートケーキ】
チョコレートの濃厚なおいしさの後、ラズベリーの甘酸っぱい味が口いっぱいに広がるケーキでした。
トップと両サイドはヒョウ柄でチョコレートを引き締めています。

大阪梅田にあるSeason&Co.の「ポムポムプリンカフェ」で賞味できます。TAKE OUTもできます。



水たまりに映る青空

2021年01月25日 08時24分00秒 | エッセイ
最近の日本では、道路のアスファルト舗装があたり前になり、水たまりはめったに見かけなくなりました。

私の子どもの頃は、道路に凹凸があるのが多く、くぼんだところには雨水がたまり、しばしば水たまりができていました。

道端を母親と歩いていると、大きなダンプが前からやって来て、水たまりを水を跳ね上げ、全身に泥水をかぶってたのを思い出します。
 
今では水たまりを見かけることはほとんどありません。



ところが先日、久しぶりに水たまりを見つけました。

近づいてみると、その水面には空の青空が映っていました。

妙に新鮮な感じがしました。

以前はふつうだったかもしれませんが、今では「ハッ」とする日常の光景です。

青空は天を見上げると見えるもの。でも、ここでは下をみても青空がくっきりと見えるのです。

明鏡止水」は、落ち着いた静かな心境という意味だと思います。

慌ただしい現代社会で、忘れたくはない心もちだと思います。


いつかは春になる

2021年01月21日 09時09分00秒 | エッセイ


なかなか出口が見えない新型コロナウイルス感染症です。

もう、うんざり。

この思いが、緊急事態宣言が出ても、人びとに不要不急の外出を控える気にさせなくするのかもしれません。

たとえば、神戸市三宮や元町などのたくさんのスポットでの人出は、緊急事態宣言(1月13日)が出された翌日には、前の週の7日より増えました。

ワクチンが使えるようになるのも、まだ不透明です。

自分が原因で起こったトラブルなら、気を取り直して前を向くこともできるでしょう。

自分の力ではどうすることもできないときは、心が重くなります。

さらに、世界中に広がってしまい、逃げる場所もありません。

こんなとき、人は前向きな気持ちになるのは、かなり難しいのです。

まして、今の季節は冬です。それもかなり寒さが厳しい今年の冬です。

周りの景色も冬枯れで、殺風景です。風が冷たい上に、歩いても、歩いても、どこにもたどり着けないような気分になります。寒さが身に染みてきます。

そんなとき、わたしは中学校の卒業式前の、明るい光を想像します。だんだんまわりが暖かくなってきて、校庭の木々も芽吹く瞬間を「いまか、いまか」と待ち望みます。

どんな長い冬にも、必ず終わりが来ます。季節は必ず巡るのです。殺風景な景色は必ず変わり、緑色に変わります。

それを信じて、いまは自分にできる限りの、目の前のことを一つずつ片づけるしかないのでしょう。