箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

(続)子どもにとってのSDGsとは

2022年08月31日 07時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ

子どもたちにとって、SDGsは自分たちが進むべき道を示してくれるものです。

SDGs学習を始めるときには、いきなり17の目標に入る前に、まずは課題を解決しようとするのは何をめざすからなのかを考えることを、学習の導入にもっていきたいものです。

「私たちが担う未来とはどんなものなのだろう」。「一つの地球で共に生きていくうえで、何を大切にするのだろうか」。

日本ユニセフ協会は、学校でのSDGs学習に活用してほしいという願いで、ウェブサイト「SDGs CLUB」を設けています。

SDGsが生まれてきた背景やどんな世界をめざすのかが理解できるようになっています。

さて、その「SDGs CLUB」には、児童生徒が行動宣言を書き込めることができる投稿ページがあります。

それを見る限りにおいては、子どもたちの行動宣言は、身近なことで、「プラスチックゴミを減らすため、マイバッグ・マイボトルをもつ」「飢餓で苦しむ人を助けるため、フードロスをなくしていく」などの書き込みが多くなっています。

このような自分の気づきは価値のあるものです。世界を変えるはじめの一歩です。

ただし、マイバッグをもつ、食べ残しをしないだけでとどまってしまったら、その先の課題解決にはたどり着かないでしょう。

そこで、指導者(学校の先生)は、次の発問をできるかどうかが手腕を問われます。

「日本でプラスチックゴミを減らすことが、どのように地球温暖化を止めることになるのだろう」とか「どのように海の豊かさをまもることになるのだろう」。

「フードロスをなくせば、なぜ飢餓で苦しむ外国の人を助けるのだろう」

フードロスの場合なら、自分がフードロスをなくしたとしても、そのことで直接飢餓で苦しむ人の食事が変わるわけではない。

では、世界で食料はどのように生産されて、どう分配されているのか。どうして食糧危機が起きているのか。

学びはさらにその先の学びにつながり、食料にかかわる課題の構造が見えてきます。

この構造やしくみを明らかにすることがSDGs学習のポイントです。、課題解決のために考えたり、行動するところまで高まった学習をして、身近に痔ることを考え実行する。

こういうSDGs学習が必要になるのです。

持続可能な世界とは

2022年08月30日 08時25分00秒 | 教育・子育てあれこれ

3年目に入るコロナ渦の中で、今年2月に起こった唐突なウクライナ危機は、世界がいかに不安定な状況にあるのかを、私たちに知らしめました。

国連事務総長グテーレスは、「ウクライナへの攻撃は、もっとも厳しい状況の下で暮らす人びとへの攻撃になる」という声明を出しました。

これはどういうことでしょうか。じつは後発の開発途上国の国は、小麦の3分の1以上をウクライナかロシアから輸入していますが、その輸入がストップすることなのです。

ウクライナ紛争前から厳しい条件に置かれていた、とくに貧しい国々は、食料、燃料などの急激な高騰に対応できません。

そうなると、最貧困層の人びとの生活・生命が直撃されるのです。

紛争だけでなく、気候変動、感染症も国境を越えて広がります。その際、もっとも影響を受けるのは、弱い立場にある人であるのが常です。

そのような状況の中で、私たちは何をめざしているのでしょうか。マクロな視点で大きな目標に立ち返るべきです。

その大きな目標の一つがSDGs(持続可能な開発目標)でしょう。

SDGsは、世界がめざすたんなる目標ではありません。

二度にわたる世界大戦を通して人類がやっとたどり着いた世界人権宣言や国連憲章の理念を受けています。

すべての人びとの尊厳と人権が尊重され、自然と調和しながら、人間が人間らしく生きることのできる世界が、持続可能な世界であると謳っています。

「だれひとり、とり残さない』(No one will be left behind.)という打ち出しや,SDGsがめざす世界の姿など、SDGsを理解するうえでとても大切なことが書かれています。

(次回のブログに続きます。)

マイノリティのもつ孤立感は、マジョリティの問題

2022年08月29日 06時30分00秒 | 教育・子育てあれこれ

10年ほど前と比較すると、LGBTQなどの性的少数者の課題の認知度は上がりました。

しかし、当事者の生きづらさは変わっていないというのが現状です。

そこでこの4月に、性的少数者が安心して集うことができる場所として、大阪市に「プライドセンター大阪」が開所されました。

このセンターはNPO法人の虹色ダイバーシティが開設しました。

新型コロナウイルスで、孤独感を強める人が増えていますが、性的少数者の当事者たちが本来の自分の姿で過ごせる場所になることが期待されます。

関連書籍を置いたミニ図書館を併設し、誰でも訪問できます。

また、相談機能をもちます。当事者やその保護者の相談にものります。

LGBTQや性的少数者の問題は、本人たちの問題と多くの人が考えます。

しかし、そうではなく、多数派の人たちの問題です。

少数者が感じる孤立感は、多数派の人びとの無理解や無関心ががあるからです。



日本の学校の特色をいかして

2022年08月28日 10時38分00秒 | 教育・子育てあれこれ


学校教育について、日本には国としての発展の歴史がありますので、単純に外国や欧米諸国の学校教育と比較はできません。

しかし、世界でいま求められる学力はどこの国も共通していますので、外国と比較することも必要です。そこからわかることもあります。


新型コロナウイルス感染防止対策として、学校ではGIGAスクール構想が大きく推進され、いまは全国の学校でコンピューターやタブレットの児童生徒一人1台が実現しました。

そこで、学習アプリをもっと利用すればいいと思います。

それにより、教育の幅が広がります。また、学習の楽しさも増えると思います。

また、授業の研究と改善は進んでいますが、外国諸国と比較した場合、自分で考える習慣づけとその考えたことを表現する学習を重ねていくべきです。

知識を覚えさせることだけに注力した授業が、日本の学校では何十年も続いてきましたので、その習慣のなごりが残っています。

ただ、日本の学校は、社会へのかかわりを児童生徒に考えさせる学習はよくやりますが、外国の学校の教員ははおもに教科授業を教える「学習指導」だけが仕事です。

しかし、日本の学校では「生徒指導」も大きな仕事です。いじめへの対応、非行への対応や児童生徒同士の人間関係をたいへん重視し、集団づくりもにも傾注します。

児童生徒と教師の人間関係も必要で、子どもは先生の言うことをよく聞きます。

日本は、こういった特色を活かしながら、さらに学校教育を発展させていくべきです。

「安全基地」をもつこと

2022年08月27日 07時05分00秒 | 教育・子育てあれこれ

私は子どもの頃、家の下の坂道で姉に背負われるとき、落っこちて額をすりむきました。

まだ両親は帰宅しておらず、家でおじいちゃんとおばあちゃんが手当てをしてくれました。「ほら、もう血が止まったで。大丈夫や」と。

後に帰宅した母は、「そうやったんや。痛かったやろ」となぐさめてくれ、ホッとしたというか、安堵感を覚えました。

子育てで、親は子どもにとっての「安全基地」であるのが理想です。

安全基地とは、いつでも戻ってこれる場所で、安全が確保される場所です。

子どもが、傷ついたときや自信をなくしたりしたとき、なぐさめてくれたり、つらさを共感してくれる場所です。

出かけた先でころんで泣いて帰ると、手当てをしてくれたり、なぐさめてもらったりすると、気持ちが落ち着いて、また元気になることができます。

中学校教育を通して思いますが、中学生でも、安全基地は必要です。

学校の先生でも、生徒の安全基地になることはできます。安全基地にたるだけの信頼関係を深めればいいのです。

では、大人になったからといって、安全基地がもういらないかと言えばそうではないでしょう。

今の時代は生きづらく、人間関係でのストレスがたまりやすいので、傷つく人も多いからです。

人間は、そんなに強くはありません。というか人間は弱い存在です。大人になっても心のよりどころになれる安全基地が必要です。

パートナー、職場の同僚、友人など、つらい気持ちを受けとめ。共感してくれる人がいれば、傷ついた心は癒やされます。また元気になれます。

ただし、今の時代は、人と人の距離感をどう保つかが難しいのです。

べったりとした距離感を望む人がいます。.

ちょっと距離のあるあっさりとしたゆるやかな人間関係を望む人もいます。

後者を望む人の方が、いまは多いかもしれません。それが昔とちがう点です。

人によって望む距離感が異なることを理解した上で、相手との関係を築き、安全基地をもつこと、安全基地になることを心がけたいと思います。 

改善が必要 技能実習制度

2022年08月26日 07時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ

日本に来ている外国人労働者のうち、技能実習生の扱われ方は結構な問題があります。

借金をして技能実習生として来日した人も多いのですが、労働環境はよくなく、長時間労働に従事している場合も多いです。

また低賃金で働かされることも多いようです。

技能実習生の方も「残業が多い仕事に就いて、ちょっでも多くのお金を稼ぎたい」というニーズがあり、雇用する側はそのニーズに乗っかり、厳しい労働条件を突きつけることもあるようです。

いま、政府は制度の見直しを考え始めました。

せっかく日本にきて仕事に就きたいという外国人労働者を失望させないような制度に改善していくことが望まれます。

台風後の「大丈夫でしたか?」

2022年08月25日 11時43分00秒 | 教育・子育てあれこれ

わたしが子どもの頃、台風とはとてつもなくこわいものでした。

おそらく第2室戸台風(1961年)だっと思いますが、真夜中に家の裏の土手が崩れ、おじいちゃんが「水が出ている」と大騒ぎしていたのを思い出します。


日本では、水害は昔からあったもので、気象変動による台風被害はいまに始まったことではないのです。

台風が過ぎてから、親類の人から「どうもなかったですか」と連絡がありました。

いまでは、LINEでお見舞いの言葉が届きます。

ただし、今の台風は昭和の頃よりも、地球温暖化のため規模がずっと大きくなっています。

たとえば、1998年9月3日の夜に大阪を襲った台風では、わたしは勤務の中学校にいましたが、猛烈な風とともに、隣接する小学校の敷地からポプラの木が根元から折れ、フェンスの上に倒れ込んでくるのを目撃しました。

風と水、風害と水害。風水害の場合もあるでしょうが、台風後のお見舞いは「大丈夫だっただろうか」という気遣い、知り合いの人を想う気持ちの表れであり、人を大切に思う心情の表れです。

「こんな親に出会ってきました」

2022年08月24日 07時35分00秒 | 教育・子育てあれこれ

私の娘が幼い頃は、よく「ガチャポン」の自販機をしたいとせがまれ、何度か300円(安いものもあります)を入れて、カプセル玩具を購入しました。

ガチャポンは何が出るかはわからない、それは運次第という楽しさがありました。

ところで、いま、若い人は「親ガチャ」という言葉をよく口にします。

子どもは親を選ぶことはできないのです。子どもがどんな親に出会うかは運次第という意味の使われ方をしています。

たしかに、いまは子どもにとって「いい親」でないケースが散見されます。

虐待を繰り返す親や放任、過干渉の親(「毒親」といいます)がいます。

そのような親による子育てを通ってきた若い人が、「親ガチャに失敗したんですよ」と言うこともあります。

このように、事実としてはたいへん重くて、過酷な子ども時代を過ごした人が、自立できる年齢になり、敢えて軽く受け流すこともあるようです。

このつぶやきを匿名でSNSにあげれば、リアルタイムで反応がある。

ただ、ネット上をとびかうつぶやきは、いっときに多く集まりますが、過ぎ去っていくのも早いのです。

その人が子ども時代に経験したことは、軽く通り過ぎていくような軽いものではないのです。

親からの愛情を受けることができなかった事実は、教育関係者や誰かに、つらかった過去として語ることができ、それを受けとめてくれる人が必要です。

研究者を大切にしたい

2022年08月23日 05時49分00秒 | 教育・子育てあれこれ

日本では大学院に進み、研究を続ける人はさほど少なくはないです。

大学の学部を修了してから大学院に入学し、前期課程(修士課程)後、博士課程で研究を続けます。

アメリカでは、大学院の博士課程に進むと、授業料が免除になり、生活費が支給される場合が多いのです。

そのため、研究に集中しやすい環境が整います。


研究に集中できれば、論文も質の高いものが生み出せるでしょう。

さらに、博士号をもった学生は就職先がたくさんあるという現状です。

一方、日本では博士号をとるとかえって就職口が狭くなると聞きます。



いま、小中学校では理科教育の充実が望まれています。

全国学力・学習状況調査の理科の結果を見ても、とくに中学理科では学力上の課題がはっきりと出ています。

小学生のうちから科学に興味関心をもち、科学を研究するすそ野をを広げることで、日本の科学技術力を向上させることにつながります。

そもそも、日本では研究とか研究者といえば、遠いところにあると思う児童生徒が多いように思います。

自分の身近に課題があり、その課題について思考し、調査をする。そして分析を行うことで課題解決の糸口を手に入れていく。

研究のきっかけは自分の身近にあることを知らせていく理科教育が必要だと考えます。

また、博士号取得の人がその研究成果をいかすことができる制度を整えるべきです。

プロセスを大事にするとは

2022年08月22日 09時00分00秒 | 教育・子育てあれこれ
今の時代、「結果」で評価や判断されることがふつうになってしまいました。

だから、自分のことを自己評価するときも、結果だけで自分をみてしまうようになりがちです。

そこで、結果が出せなかった人に、「過程」について、「あなたはよくがんばってきたよ。結果は出せなかったけど、努力のプロセスが大切だから」と、慰めるときに過程をひきあいに出します。

しかし、プロセス(過程)に目を向けるとき、結果と対比させる限り、「いくら過程が大切といっても、結果が出ないとね」となってしまいます。



でも、ここでいう過程を見るとき、結果は関係ないのです。

3年間部活をしたけれど、レギュラーになることなく終わった。

でも、しんどい状況でもなんとか3年間休まずに参加した。

これは、ほんとうにすごいことだと思います。

このように過去を振り返って、「過程」に目を向けると、「自分ってなかなかよくやってきたよなあ」と思えることがあると思います。

いろいろな事情がある中で、「なんとか3年間過ごした、自分もなかなかやるよ」と自己評価することがプロセスを大事にするということです。


減っていく語り部

2022年08月21日 07時41分00秒 | 教育・子育てあれこれ
戦後77年となり、戦争体験者が高齢化しています。

戦争体験者のなかには、当時の戦争のようすやどう生き延びたかを、戦争を知らない世代に語ってくれる人がいます。

児童生徒にとっては、戦争の「生き証人」として語る話を聴くことができ、平和学習の重要な取り組みになっています。

学校教育では、その活動をふつう「聞きとり」とよんでいます。

その聞きとりで、戦争体験を語ってくれる人は
一般的に「語り部」と呼ばわれます。

沖縄では、「証言者」と呼ばれることが多いようです。

戦争体験を語れる人が亡くなっていき、あと5年ほどすると、戦争体験者からの「聞きとり」はできなくなるというのが、いまの課題になっています。

そこで今、AI語り部の試みが始まっています。

事前に語り部本人に何時間も語ってもらい、AI語り部の映像をつくります。

そして聞きとりのときには、生徒がみるモニターの画面にAI語り部が映し出されます。

その聞きとりで、生徒が質問をすると、AI語り部が答える。

戦争体験者が次々亡くなる今、AI語り部からの聞きとりは、今後の平和学習の一つになるかもしれません。








被爆地に立って

2022年08月20日 11時29分00秒 | 教育・子育てあれこれ


私は教員をしている頃、長崎を修学旅行の下見で初めて訪れました。

29年前のことです。

そのときの原爆資料館での衝撃はあまりにも大きなものでした。

展示されている写真の前で、わたしはしばらく動けないほどでした。

それから爆心地公園へ行きました。

この上空から1945年に原爆が投下された当時の状況を思い浮かべました。

修学旅行にくるときには、生徒たちが原爆の悲惨さを知り、原爆や核兵器のない、平和を希求する人になってもらえることを、教育にかかわる自分の使命だと思いました。

長崎の被爆者たちの願いは、「どんなことがあっても、核兵器を使ってはならない」という全身全霊の魂の叫びです。

そのことを世界に訴えることが、唯一の被爆国日本の役割であり、日本だからこそできることです。



吹奏楽部の地域移行は教員頼み?

2022年08月19日 07時29分00秒 | 教育・子育てあれこれ
中学校の部活の地域移行は、2025年度から土日の活動を地域に移行して地域の人が指導できる体制づくりがいま、進められています。

その際、文化部の動向が気になるところです。

その文化部の中でも、吹奏楽部は部活をする生徒の約1割が所属し、文化部所属の生徒の約半数を占めています。

吹奏楽部は、土日の活動時間は3時間以上になることが多く、運動部よりも長くなっている場合が多いという部活です。

さて、わたしが危惧していたのは、指導者が地域にいるかどうかです。

確かに吹奏楽経験者は一定数地域にいるでしょう。

しかし、その人たちは多くの場合、たとえばホルンならホルンの演奏、打楽器なら打楽器が専門であり、吹奏楽部全体を指導するのには難しさがあります。

事実、現在も多くの吹奏楽部が地域の演奏家を外部指導者として招き入れていますが、「この楽器を指導をしてください」と依頼されている場合が多いようです。

思春期の感情の起伏が大きい生徒たち30〜50人の生徒を束ね、心を一つにしてチームとして演奏を率いるのはやはり、教員だからこそできることです。

多くの場合、コンクールなどでは、顧問が指揮者になり、演奏を支えているのです。

また、コンクールに出場する際は、楽器を運ぶのは業者に頼んだり、ほかの教職員が手伝って運んだりしているのが実情です。

土日に地域で練習するようになると、大きな楽器を地域の練習会場まで運ばなければならない。それをどうするかという問題が出てきます。

そのような課題をどう解決するかと危惧していたのでした。

すると、このたび、文化庁の「文化部の地域移行に関する検討会議」が提言をまとめ、発表しました。

やはり、指導者確保の課題や楽器運搬の課題を検討されたようです。

提言は、土日の指導者は顧問が兼職兼業の手続きを簡素化して、指導にあたる。活動場所も学校を候補にするというものでした。

どうやら吹奏楽部は、教員が指導を担っていく現状からすっきりとは抜け出せないようです。





みんなが見送ることしかできなかった

2022年08月18日 07時08分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしは13年前、鹿児島県の知覧特攻平和会館へ行きました。

第二次世界大戦末期には、知覧に特攻隊の基地がありました。

特攻の飛行機は片翼に燃料、反対側の翼に爆弾を積み、沖縄付近にいたアメリカの艦隊に体当たりしました。

特攻隊の隊員は出撃までの限られた日を知覧で過ごしました。

若い人ばかりで構成された特攻隊は、出撃すると二度と帰ってくることはなかったのでした。

誰もが悲しい思いをしながら、見送るしかなかったのでした。

当時の知覧には、「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさんがいました。

富屋食堂で特攻隊員のお母さんがわりになって旅立つ隊員の思いを聴きました。

明日飛立つ若者には、食べたいものを料理をして出しました。

手紙(遺書)を彼らから直接預かり、 家族の元へ届けました。

トメさんは1992年、89歳でなくなりました。



出撃した特攻隊員の胸中はいかほどのものだったでしょうか。

見送る人はただ見送ることしかできなかった。

みんなが悲しい思いをしなければならない歴史は二度と繰り返してはならない。平和会館を訪れわたしは強く思いました。

夜間中学とは

2022年08月17日 08時24分00秒 | 教育・子育てあれこれ
第二次世界大戦の敗戦時、日本国内は焼け野原が広がり、その後日本はめざまし復興を遂げた。

一般的にはそう考えられています。

便利で平和な社会を実現したように見えます。

しかし、学校教育を見てみると、学びの機会はすべての人びとに開かれていたかというと、そうではなかったという事実に突き当たります。

2020年の国勢調査では、義務教育を修了していない人が約90万人いることがわかりました。

その人たちの年齢は10代から90代に広がっています。


夜間中学は、その人たちの再学習を保障する場になっています。

たとえば、大阪府の場合、現在夜間学級は11あります。

全国では、15都道府県に40校あります。

もとは、戦後の混乱や貧困により義務教育を受けられない子を受け入れたのが夜間中学の始まりです。

その後、厳しい差別がもとで学ぶ機会に恵まれなかった大人や在日韓国・朝鮮人が通うようになりました。

1980年代になると、不登校で学校に通えなかった人や外国にルーツをもつ人の日本語学習の機関としての役割を果たしてきました。

それらの中には「非識字」(文字が読めない、書けない)の人もいます。

それらの人びとの中には、駅で切符が買えない、銀行で口座が作れなくてつらい思いをした人たちもいます。

夜間中学で学び、読み書きを覚えた人がその実感を次のように語ってくれたことがあります。

「よみかき」で字をならうと、字が体の中に入ってくるんですわ。

今の時代、字が読めて、書けるのは当たり前と考える人が多いと思います。

しかし、実際はそうではないのです。

そもそも救育を受ける権利をすべての人びとが有していることは、基本的人権の一つです。

人は学ぶことで自己を確立します。自由に意見を表明できるのです。

学ぶ機会を十分にもてなかった人たちに学ぶ機会を保障する。

それが夜間中学なのです。