KYは、空気を読めない人として、一般的には支持されません。
①相手の気持ちを察する
②その場に合わせ、適切な言動をとる
これができないと、空気が読めない人と失笑を買うことになると考えられています。
とくに、日本人の行動様式は伝統的にハイ・コンテクスト(High Context)と言われ、いわゆる「文脈を読む」ことに価値が置かれます。
黙っていても、目と目が合えば通じ合う、に代表されます。
これが、KYを揶揄する根拠にもなっていると思います。
一方、英語圏の人びとは、一般的にLow Contextの世界で生きています。直接言葉ではっきりと自分の意見や考えを主張します。
言葉にして言わないと、相手には通じないという考えかたが根づいています。
では、日本の社会では、KYの人は迷惑な存在なのでしょうか?
私は、決してそうとは思いません。他人を気にせず、自分の信念をつらぬいて行動する人は、一方的に迷惑がられる人ではないはずです。
私は朝礼など、生徒の前で話すときは、基本的に自分の信念で話します。
かりに、聞いている生徒が、私たちの日常からみれば、それは理想だ、私たちの実際の生活と離れていりと思うこともあるでしょう。
しかし、周りを読み、無難な商品を作って売れる時代ではありません。
まして、いまの生徒たちは、グループから浮かないように、自分だけがかわったことをしないように、場の空気を読み、お互いに気をつかい、学校生活を送る傾向が強いのです。
したがって、KYになりたくないという意識が常に働くのです。
もちろん、一人よがりはいけないです。しかし、あまりにも空気を読みすぎるのは、その子らしさがなくなります。
空気を読まない子も、一員として認める。そんなクラスは誰にとっても居心地がいいはずです。
(写真と本文の内容は関係ありません。)