箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

自分を変える

2024年11月30日 08時55分00秒 | 教育・子育てあれこれ

私が子どもの頃は、大学生の学生運動(社会運動)が盛んでした。

「全学連」は、全国の大学の学生自治会が連合した組織をつくり、学問の自由や教育の民主化を要求する学生運動を展開しました

ところが、1970年代にはこれらの運動が行き詰まり、現実を変える難しさを思い知ることになりました。


変わって、大学生を中心に「三無主義」に傾注する動きもありました。


Ban Banの名曲「いちご白書をもう一度」は、その頃の若い世代の心情をあらわしていました。


僕は無精ヒゲと髪をのばして
学生集会へも時々出かけた

就職が決って髪を切ってきた時
もう若くないさと君に言い訳したね

君もみるだろうか「いちご白書」を
二人だけのメモリー
どこかでもう一度



そして、やがては社会を変えることを必要としながらも、人びとのめざす方向性は「自分自身を変える」という方向にシフトしていきました。


1990年代に「自分育て」が重視されるようになってきましたが、自分を変えることで自己実現をめざすことが、今を生きる人の大きな課題となり、現在にいたっています。






知識は体験に由来する

2024年11月29日 09時51分00秒 | 教育・子育てあれこれ

イギリスの哲学者ジョン・ロックは、教育心理の分野では、17世紀に経験論を唱導しました。

「人間の知識は経験に由来する」という考え方です。

その思想を表す彼の言葉が、「私たちの知識は、すべて経験に基づくものであり、知識は結局のところ、経験から生まれてくるものである」です。

何かにチャレンジしたり、新しいことをしてみたりして、そこから実体験として得られる知識は豊かで強いのです。


また、それは自分で行動してみて得られた自分ならではの経験と知識なのですから、すぐに自分の人生に役立てることができるのです。


学問で書物を読んで知識を得ることも大切ですが、いろいろなことを実際にやってみて、そこから得られる体験を通しての知識も大切にする学習が学校教育で行われる「体験学習」です。


ただし、体験するだけで放っておくと、知識にはなりません。

Do(実行する)→Look(観察する)→Think(考える)→Grow(成長する)というサイクルの学習を通して、経験はいかすことのできる知識となります。


子どもの身になって考えてみます。

子どものthinkには大人(教員)からの働きかけが必要になる場合があります。
 
つまり、「今回の体験は、こんな意味があるのでないかな。・・・・・」と、子どもが深く考え、気づきを促す手助けをするのです。

これを「体験の意味づけ」といいます。

そして、学んだことが、人間のもつ知識として蓄えられ、子どもの成長となっていくのてす。






プラごみを減らす

2024年11月28日 06時21分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしは大阪府を抜ける国道沿いに狭い山林を所有しています。

その山林を歩くと、側溝にけっこうな数の空きんやペットボトルが捨てられています。

車からのポイ捨てで、困惑しています。

なかには、今では販売していないかなり古いものもありますが、透明無色がくもった色になっている程度で、ボトルの原型はとどめています。

プラごみは腐ったり、朽ちたりしにくいので、環境に残っていきます。

さて、プラスチックゴミについてですが、メディアの報道によると、焼却や埋め立て、リサイクルといった適切な管理がされないプラスチックごみは2050年に世界全体で1億2100万となり、現状の2倍に達するとの試算があります。

こうしたごみは屋外に不法投棄されたり野積みされたりしており、環境に流出する恐れがあるとのことです。

プラスチック汚染を国際的に規制する条約づくりが現在進められています。


リサイクル材の使用などを国際的に義務付ければ適切に管理されないごみの9割を削減できるという見解もあるようです。


試算では、プラスチック製品製造の際に最低40%のリサイクル材使用を義務付けたり、石油などから新たに生産するプラスチック量を2020年並みに抑制したりすれば、年1100万トンにまで減らせると考えられるそうです。


わたしが覚えているところでは、1900年ごろからわれわれの日常生活にペットボトルが普及し始めたと記憶しています。


それ以前の1975年ごろに、コカコーラの1リットルのガラスびんが販売され、それがやがてペットボトルにとってかわりました。


空き缶、空き瓶、空きペットボトルは、適切に処理していきたいです。







「なすがままに」(Let It Be)

2024年11月27日 10時39分00秒 | 教育・子育てあれこれ

人は生きていくなかで、「痛み」や「心地よさ」は必ず起きてくるもので、誰もが避けることはできません

「痛み」には、たとえば暑さや寒気、空腹感、病気やケガなどによる身体的苦痛があります。

また、愛する人をを失った悲しみ、人に裏切られたときのつらさ、誰かに対する腹立ちといった心理的な痛みです。

「心地よさ」は、たとえば美味しいものを食べたときの喜びとか景色の美しさといった身体的な心地よさや、願いがかなった喜びや誰かに対する好意を寄せる気持ちなど心理的な快感です。

私たちは、痛みを感じるとき抵抗する力がはたらきます。

心地よさを感じるときには、手放したくないと執着します

そこで、抵抗と執着をすぐに手放すことができる人は、苦しみを増やさず、幸せを減らさないことができるのでしょう。


簡単ではないですが、「なすがままに」(Let It Be)は、そういう境地だと思います。


怒涛の思春期をのりきるには

2024年11月26日 06時00分00秒 | 教育・子育てあれこれ


人の一生のなかでも、思春期、とりわけ中2の時期が多いのですが、悩みが押し寄せ怒涛のごとく、心は揺れ動きます。


クラスでは「勉強ができる・できない」、部活では技能の差が顕著に本人に見えてきます。


第二次性徴とともに性的にも成熟してきます。


そして自我が形成されます。


自分がイヤになり、そんな自分をコントロールする難しさを感じます。


大人や親との葛藤や対立で反抗したくなる。


だからこそ、この時期はまわりからの支えが必要になります。


それは教師であったり、友だちであったり、保健室の養護教諭、また専門のスクールカウンセラーだったりします。



わたしは、それらの支えに加え、読書を勧めます。


つらく苦しい際、デジタルではない読書は役にたちます。


紙と活字の力はすばらしいものがあります。


自分が経験していないことを経験できます。


過去や未来に行けます。外国にも行けます。


自分が知らない人間関係を知ることができます。


別の世界が広がり、現実を離れたところでものごとを考えることができます。


本にはさまざまな情報が詰まり、狭いスマホの画面よりはるかに豊かな情報があふれています。















大阪万博2025に望むこと

2024年11月25日 05時39分00秒 | 教育・子育てあれこれ


わたしが小学6年のとき、地元大阪の千里丘陵を切り開き、万博が開催されました。

何度もEXPO ‘70を見に行ったのを覚えています。

ときは、高度経済成長時代であり、さらに未来社会での科学技術の進化を展望する博覧会になりました。
しかし成長経済のツケとして、公害病が深刻化していました。

そこで、「人類の進歩と調和」をテーマにしました。

20世紀の万博は先進国が都市に先端の技術の巨大な見本市を作り、国の力を見せました。

21世紀はこれから経済成長する国や内戦がおさまった世界が直面する課題の解決を追求する場となりました。

そこで、2005年の愛知万博が「自然の叡智を掲げ、2015年ミラノ万博が「地球に食料を、生命にエネルギーを」と謳いました。


そして、2025年大阪・関西万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」で誰一人取り残さない社会を作ろうという開発目標(SDGs)に沿って「いのち」の問題を考える博覧会と決まりました。


新型コロナウイルスの感染拡大で世界中の人々が「いのち」の危険を感じました。


ロシアのウクライナ侵攻など国際情勢も緊迫し平和が脅かされる事態となっています。 


私たちは世界の人々とともにすべてのいのちを大事にするというメッセージを発する場になることが、今回の大阪万博に要求されるのでしょう。


今回の万博が、今世界が直面している課題の解決策を提案できる機会になることが期待されます。


そして、大阪が国際都市として、世界に存在感を示すことができれば大阪万博2025年は成功と言えます。




女性の年金問題

2024年11月24日 07時47分00秒 | 教育・子育てあれこれ
「年収103万円の壁」の引き上げが検討されている昨今ですが、現状での年金の問題を考えてみます。

今年度50歳になる世代が65歳で受給し始める場合の年金月額は男性で平均14万1000円です。

しかし、女性の場合は平均9万8000円で、4万円以上の差があります。

また、月10万円未満の人の割合は、50歳男性では約2割ですが、50歳女性では約6割になると考えられています。

男女の年金額の差が大きいのは、女性が正社員などとして厚生年金に加入していた期間が短いのが主因です。


そのほか、現役時代の賃金水準に大きな男女

格差があることが要因です。


とくに現在の中高年女性が若かった頃は、長時間労働が当たり前で、仕事と育児の両立が難しかった時代でした。


これまで働き続けてきた女性も、職務範囲が狭く、人材育成を受けた経験が少なく、管理職経験者もわずかであることが、年金額の男女差を生んでいるのです。


月10万円未満というレベルは、相対的貧困の状態にあたります。


ただ今後の見通しでは、女性の年金水準は、若いほど改善していきます。


40歳女性の年金額は平均9万9000円、30歳10万7000円、20歳女性は11万6000円という試算です。


しかし、だからといって若い女性の老後は安心と言える水準では到底ありません。


女性が老後、貧困に陥らないためには、現役時代のうちに、たくさん働き、賃金を上げることが重要です



近年は、企業で女性活躍の取り組みが進んでいます。若い女性にはぜひ、出産・育児などの人生を通して働き続けることと、キャリアアップし続けることが大事になります。


そのことが、賃金水準と年金水準の向上につながるからです。


非正規雇用も、無視できない要素です。非正規雇用が長いために、厚生年金の被保険者期間が短かったり、賃金水準が低かったりすると、年金水準も当然、低くなります。


国や行政は、財政確保の視点という全体最適だけではく、非正規雇用の人たちの老後の生活をどうするかという、一人一人の生活者の視点に立った個別最適となる雇用攻策を合めて考えてほしいと思います。







新しい型の本屋さん

2024年11月23日 07時12分00秒 | 教育・子育てあれこれ

街中の書店が激減しています。

今はネット空間にたくさんの多種多様な娯楽が広がる時代になっています。

ですから、街の本屋・書店が姿を消すのは時代の流れなのかとも思います。

そもそも、ふつう人びとが必要とするサービスは、市場または行政が提供します。


商売として儲かるものなら、民間の事業者が手を挙げます。


儲けにならなくても、議会が必要と認めれば、予算をつけて役所がなんとかするのです。


しかし現実には、多くの人がが必要としていながらも、市場や行政がカバーできないものはたくさんあります。


街の書店がそれに該当すると思います。



そして、書店がなくなってわたしのように寂しく思う人はけっして少なくはないと思います。

なぜ寂しく思うのでしょうか。

人間にとって本は、社会と自分をつなぐジョイントなのだと思います。

過去に誰かが考え導き出したことが、本を媒介として、時間も場所もとびこえて社会に循環していくのです。

その循環の中に身を置くことで、自分は社会に存在していると安心できるのが人間なのではないでしょうか。

街の書店は、その大事なつなぎ目のひとつなのです。

そこで、いま「シェア型書店」が始まっています

店内の本棚を1個ずつ貸し出し、貸し出された人は「箱店主」になり、各々の箱店主は自分が選んだ本をライブラリーとして並べます。

書店という空間に価値を見いだす人が、少しずつ労力や負担を分担し、運営に参画していく自治活動です。

このように、自分たちにとって必要なものは、自分たちでつくるという実践が国内でいま始まっています。

書店という枠組みを超え、人が社会とつながる可能性を見ることができます。







ひきこもり支援のいま

2024年11月22日 05時34分00秒 | 教育・子育てあれこれ
80代の親がひきこもり状態などにある50代の子を養う「8050(はちまるごーまる)問題」がクローズアップされてきています。

そして、養ってくれたあと自宅で亡くなった高齢の親の遺体を、同居する中高年の子が死体遺棄で逮捕されたというケースが散見されるようになってきました。

ひきこもりは、学校や職場の人間関係でつまずいたり、傷つくなどした自分を守るため家に避難している状態という考え方ができます。


ひきこもりは「甘え」や「怠け」といった世間の偏見にさらされ、「社会から必要とされていない自分は生きていても仕方がない」と思い込まされている人もいます。


また、8050問題の当事者は不安や困りごとがあっても助けを求めようとしない傾向があります。


行政の支援のあり方にも課題があります。


国は全国の都道府県や政令市などに「ひきこもり地域支援センター」という専門の窓口を設置しています。


就労や自立のための訓練を強要するのではなく、社会福祉士や精神保健福祉士らが中心となって相談に応じたりしていますが、本人や家族にその存在や趣旨が思うように伝わっていません。


また、民間の支援団体には、就労を目的化しているようなところもあります。


団体としての成果を上げるため「半年以内に就労しましょう」と期限を設けるケースもあります。


人には「生きたい」という思いさえあれば、本人は自然と自分に合った仕事や生き方を見つけたり信頼できる仲間と出会ったりして、感情を表に出せるようになります。


とはいえ、就労とひきこもり状態を行ったり来たりする人も少なくありません。「いつ戻ってきてもいいから」と言ってくれる伴走者がいれば、気が楽になり、社会への参加を続けようとするのです。







ノーベル平和賞受賞の意味

2024年11月21日 06時29分00秒 | 教育・子育てあれこれ

戦後約80年になる今、原爆、核兵器の被爆体験を語る(「証言」する)人が高齢になり、実体験を語れる語り部がもうすぐいなくなります。

今回、ノーベル平和賞が日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に与えられることは、核被害の当事者には特別な意味があります。


今回の平和賞は、被爆者の声を「今こそ聞け」という警告です。


また、核軍縮・核廃絶の問題に関心のある人を力づけるでしょう。


2023年5月には広島市で主要7カ国首脳会議(C7サミット)が開かれました。


この会議では核軍縮に重点を置いて議論されまさした。


核兵器を保有するアメリカ、イギリス、フランスとその同盟国の首脳らが原爆資料館を見学しました。


各首脳が原子爆弾被爆の実相に触れた意味は大きかったといえます。


しかし、会議後に出された文書は核抑止に基づく政策を打ち出していて、核軍縮に向けての行動計画はとても不十分でした。


日本は核兵器禁止条約に不参加でありますが、被爆者医療の経験があり、核禁条約が締約国に義務づける核被害者への援助などの分野で貢献できる。


今回の平和賞は、唯一の戦争被爆国が取るべき姿勢を厳しく戒めているのです。




飾らない心を表す花

2024年11月20日 09時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ

洋ランはもともとは海外から輸入されました。

胡蝶蘭、カトレア、そしてシンビジュームなど、さまざまな種類が日本やってきて、国内では新しい品種がつくり出されてきました。

一昔前では、どれも高価でしたが、組織培養の技術が発達し、多くの人びとが親しむことができるようになりました。

なかでも、シンビジュームは日本の園芸文化のすばらしさを引き出している花のひとつです。

色合いは控えめで姿かたちは品格を放ち、かすかな芳香を漂わせます。

飾らない心、素朴、高貴などが花言葉になります。

シンビジュームは1850年代に長崎に初めて持ち込まれました。

花の色は、淡い黄色、白、ピンク、オレンジ色、緑色などたくさんあります。

寒さにも強いため、冬季は室内で育て、春から秋には日陰に置いて水を十分与えると、次の年も花を咲かせます。

創造する喜び

2024年11月18日 06時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ
人間にとっての大きな喜びの一つに、「創造する」ということがあげられます。

わたしは学年主任、人権教育担当の役割をしているときには、学年経営や学校運営に新しい取り組みを進めて、いま振り返っても大きな充実感を得ていたことを思い出します。

その期間は、上司から命じられることを、ただ忠実に行ってばかりいるのではなかったです。

アイディアを練って、新しい取り組みを上司や保護者、地域にどんどん提案していきました。

そのように、自分から新しい仕事を創造していくことがモチベーションを上げることになるので、結果的には生徒への教育活動に反映されていきます。

おしなべて、熱中して何かを創造しているとき、人はもっとも生きている喜びを深く味わうことができるのではないでしょうか。


まさに「生命の躍動」を感じることができるのです。


創造的な仕事をしてこそ、働くことに大きな喜びを感じられるようになります。




不登校の子どもの行方

2024年11月17日 06時20分00秒 | 教育・子育てあれこれ
学校で不登校になった児童生徒は、さまざまな支援により、登校できるようになる子がいます。

また、わたしにも経験がありますが、卒業式はみんなといっしょに式場には入れないけれども、体育教官室(体育科の教員が授業準備等で使う部屋)の窓ごしに式に出席する生徒がいました。

その子には、式終了後に卒業証書を授与し、お祝いしました。

また、全体の卒業式終了後に、午後から校長室で保護者同伴のもと、学年教職員が見守るなか、卒業式の第二部をして卒業を祝ったこともあります。

さらには、中学卒業後に単位制高校に進学し、登校できるようになり、卒業を迎え高校の先生に案内され、その卒業式に参列したこともあります。

その高校には同じような経験をした生徒が、ほかにもたくさんいて、小学校・中学校時代を含めその苦しかったときをふりかえり、高校卒業の喜びを涙ながらに、卒業の言葉として語りました。

それを聴いて、こちらも深い感銘を受けました。

そんなケースはけっこうあるのですが、残念ながら中学校は全欠、その後も家にずっといておとなになる生徒もいないわけではありません。

さまざまな事情や要因によって、社会や人と一時的に距離を取った結果、徐々に社会とのつながりがなくなる子がいます。


家族以外の人、または家族とのコミュニケーションの機会が減ってしまい、ずっと家にいるのです。


さらに、この状態が長期化することによって自尊感情が低下し自分に自信をなくし、社会参加が難しくなる。


そのようなケースが全国的に増えていると聞きます。



家族は、本人によかれと思って先回りしたり、過干渉になることもあります。


ひきこもりが長期化するほど家族も疲れてきます。


親は「私のせいだ」と自分を責め、「この子の面倒を見るのは自分しかいない」と覚悟を決めてしまいます。


その結果、共に依存しあう関係になってしまいます。


ですから、親を含めた家族丸ごとのサポートが必要になるのです。


そのサポートは専門家によるものや、地域でひきこもりの人をサポートする民間団体やNPO法人により展開されています。





生涯学習(lifelong learning)

2024年11月16日 06時05分00秒 | 教育・子育てあれこれ

ふつう人は年齢を重ねていくにしたがって、見識や知恵が広がり、深まっていきます。


多くのことを学び、さまざまな経験を重ね、人間として成長するにつれて、見識が広がり

知恵が身についていくのです。


ですから、年齢を重ねた人は、周りの人たちから頼りにされるのです。



年齢相応の見識・知恵を持てるように、ふだんからさまざまなことを経験し、学び続けることが大切です。


何歳になっても、人は一生学び続ける learningことで自分を成長させることができます。


これが生涯学習(lifelong learning)の極意です。




「人の命を救わなければ」

2024年11月15日 12時40分00秒 | 教育・子育てあれこれ
AEDは、心臓が小刻みに優えて血液を送り出せない状態になった患者がいるとき、心臓に電気ショックを与えて心臓の拍動を再開させる装置です。


わたしが教頭を務めていたとき、市からAEDが届けられ、学校の玄関先に設置するようにという指示を受けました。(その後、体育館の玄関先に設置場所が変更になりました。)


じつはは2004年7月に、医療関係者だけでなく、一般市民が用いても違法ではないとして使用に道を開き、普及を促したという経過の中で、学校への備え付けが始まったのでした。


最初は学校や公共施設での備え付けが始まりましたが、その後今は設置する場所が増え、商業施設やオフィスにも置いてあります。



人間はいったん心停止すると蘇生率が1分ごとに7~10%下がるといわれています。


ですから、そこに居合わせた人が直ちにAEDの電気ショックを与えるのは、蘇生率を向上させる大きな効果があります。


2022年に心肺停止した人の中で、心肺蘇生がないと生存率は7%でした。


ところが、胸骨圧迫やAEDなどの心肺蘇生を施された人の1カ月後の生存率は13%にもなりました。




ただし、一般の人がAEDを前にしてたじろぐことなく操作するには事前の知識と技術が必要です。


学校では教職員全員が救命救急講習を受けています。


また、教育の一環として児童生徒にも使い方を教えている場合も多くあります。


さらなるAEDの活用を一般市民に浸透させるには、各職場や地域で使い方講習を増やしていく必要があります。


人の命は一人が救うものではなく、居合わせたみんなで協力しあい助け合うことで達成されるものです。


とりあえずは、胸骨圧迫は居合わせた誰かができればいいでしょう。


できない人は救急車を呼んだり、救急隊員を誘導したり、AEDをさがして持ってきたりして連携して、AED操作者に協力します。


救急隊員が到着する前に、AEDで心臓の拍動が再開すれば、「アッ、動き出した!」となり、居合わせた人たちのチームの連携が人の命を助けたことになるのです。


その人たちは、「人の命を救わなければ」という思いとミッションをメンバーそれぞれが共通にもつチームなのです。