「火が燃えるように」よりも「水が流れるがごとく」が、わたしの信条です。
このブログを毎日発信し続けているのも、そういう考えからです。
校長の時は「校長通信」を毎週1回必ず出し続けていました。
よくあるのですが、学級担任が年度当初の4月に「学級通信」を熱い思いで,保護者に配るのですが、だんだん多忙になると、発行が減っていき、ついに最後には出さなくなってしまうのを何度か見てきました。
そもそも学級通信は必ず出すものと決められている教員の職務ではありません。学級担任がクラスづくりのため、保護者に子どもの様子や声を届けるため、自らの発意で出すのがふつうです。
出す以上は、子どもや保護者が楽しみにしているので、途中で出さなくなるのなら、最初から出さない方がいいです。
書きたいことがあって、燃え立つ炎のように元気よく発行しても、そのときは勢いがいいですが、すぐに燃え尽きてしまいます。
しかし、枯らすことなく、水が流れるがごとく、少量でも出し続けることが大切です。
翻って、人は年齢を重ねるほど、「まあ、今日はいいか、しんどいし・・・」となることが増えてきます。
たしかに人は歳をとると、若いときのように体力も気力も持続しにくくなります。
でも、「まあ、今日はいいか」は「今日もいいか」になり、やがてはまったくやらなくなるのです。そういうことが世の中では多いのです。
火はいつか燃え尽きます。でも水は「ゆく河(川)の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(『方丈記』鴨長明)と表するように、つねに動き続けているのです。
つまり、流れ続けるとは動き続けることです。立ち止まらないことです。