休職した要因をみてみると、児童生徒の指導や職場の人間関係が心身の負担になっている状況が浮き彫りになりました。
たとえば、はたらく女性が自分の子の子育てと親の介護の両方を抱え、その重い負担に苦しんでいても、相談窓口が異なり、子育て部署は子育てのことしか対応できず、介護の支援対応まではできないのです。
その逆も同様です。
そのように、課題が複合的に絡み合う、いわゆるダブルケアの課題に直面している女性を支援する公的支援の手立てが見つかりにくいのです。
今後も育休取得の促進や家族を介護する職員のサポートに力を入れていく施策を予定しています。
2013年には全国で初の常設型住民投票制度を盛り込んだ「県民参画基本条例」を作りました。大事な問題はインターネットで県民にアンケートをして判断しています。
人口53万人という、全国でいちばん小さい県だからこそできることがあるのでしょうが、いまや地方自治のモデルになる県です。
能登豪雨をはじめとして、今年も多くの異常気象による被害が出ているのが日本です。
日本にとって、気候変動対策は待ったなしです。
そこで、原発事故の反省を生かし、再生可能エネルギーへの転換でエネルギー自給率を上げる政策を打ち出すべきです。
いま、路線バス会社が利用者減による赤字拡大、運転手不足から、バスを走らせる路線を縮小しようとしています。
路線バスがなくなると、自動車の利用が増えますが、ここでも環境問題を避けて通れません。高齢者による事故多発から、運転免許返納が勧められていて、路線バスの代替とはなりません。
人口減、公共交通縮小、環境問題など、問題が噴き出しています。
それなのに、こうした問題への政策はほとんど政治の議論になりません。
そうやってどんどん時間が過ぎていくことに、他人事でなく焦りを感じます。
少し前までは1割程度でしたので、少しずつですが男性の育休をとる人は増えてきています。
でも、まだ半数以上がとらないというのが現実です。
それはなぜでしょうか。
▪️収入を減らしたくなかった
▪️職場の理解がなかった
▪️自分にしかできない仕事があった
▪️業務が忙しい
などの理由を答えています。
育休をとった男性たちも、収入が減ることや職場での引き継ぎがたいへんとは、たしかに言います。
しかし、育休をとってよかったと口をそろえて言います。
育休が明けても、要領よく仕事をこなして早めに帰宅するなど、積極的に子育てをしているようすがうかがえます。
育休取得で生じる影響は業務の引き継ぎなどのたいへんさはあったとしてと、一時的なものが少なくないのではないでしょうか。
男性の仕事一辺倒は収入は安定するかもしれませんが、あとになって子育てにかかわる経験が少なくなり、後年になって家庭での「居場所」のなさに気づくことにもなりかねません。
仕事は一時的なものですが、家族関係はずっと続きます。
育休取得をためらったり、迷っている男性は、そのような点も踏まえ検討してみるといいかもしれません。
それによると、日本の平均得点は前回(2011年)1位だった「読解力」と「数的思考力」が2位でした。
そして、今回初めて調査した「状況の変化に応じた問題解決能力」が1位となり、総合的にはトップ水準を維持しました。
なお、この調査では対象者の意識なども調べています。
生活満足度が高い人の割合は、日本は52%と最も低く、OECD平均の75%を大きく下回りました。
現在の職業に対して自身のスキルが不足していると回答した25〜65歳の人は29%で、そのうち42%がITスキルの向上が必要と回答しました。
日本の大人の実態をあらわした調査として、注目に値します。
現代日本を代表する詩人、谷川俊太郎さんが11月13にお亡くなりになりました。
谷川さんの詩は抽象的な表現を避け、誰が読んでもわかる言葉しか使いません。
しかもセンテンスのシンタックス(統語規則)を壊さないのです。
シンタックスとは、文によってある考えを伝えるとき、一定の規則にしたがって語をつなぐことです。
たとえば、「母はきのう実家を出発し、わが家に帰ってきた。」は統語規則をまもっているので意味がわかります。
でも、「わが家は出発し帰ってきたきのう母は実家を」は意味が伝わりません。
また谷川さんの詩の最大の特徴は、書き手と詩の一体性です。
谷川さんは、自分は依頼を受けた時に詩を書く、仕事として詩を書いてきたと明言していた通り、いくつもの「私」が作品のなかで生きていました。
生きる
谷川俊太郎
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ (以下略)
ご本人は亡くなっても、彼の詩は残り、深く味わうことができます。
日本では、子どもは当たり前のように学校や保育園や幼稚園に通い、家に帰るとご飯が待っている家庭がほとんどです。
ところが、ガザでは「あそこで死んだ人を見たよ」などと、子どもが日常的に話すような状況なのです。
そんな子どもたちが大人になったらどいうふうになってしまうのでしょうか。
心的外傷後ストレス障害(PTSD)は、日本の孤児の事例よりはるかに深刻です。
また、多くの子どもは戦闘開始後1年以上学校に通えていません。
学習機会の損失も、ガザの子どもたちは今後の人生で背負わなくてはならないのです。
私たちはガザの子どもたちにあまりにも無関心です。
まずはそのような子どもたちがいることを、日本人が知るべきです。