箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

孤独になっても、孤立はするな

2015年08月29日 20時18分57秒 | 教育・子育てあれこれ



三中校区では、8月5日に西南図書館を会場に、三中校区教職員夏季全体研修会を開催しました。三中、南小、西南小、せいなん幼稚園、桜ヶ丘保育所、瀬川保育園の教職員が集まり、いじめ解消をテーマに、研修しました。

龍谷大学のいじめ対策の研究者を招き、いじめをどう無くすかという講演を聞きました。その後、教職員は10のグループに分かれて、いじめを無くすため三中校区でできることを話し合いました。

その結果、三中の行っている「いじめZERO」を小学校にも広げよう、小学生はいじめZEROのロゴマークを入れたTシャツを作ろう、児童会と生徒会の合同子ども会議をもとう、いじめに対応できる学習を総合や道徳の時間にやろう、などの提案がグループから出されました。
 
2学期以降、この教職員のつぶやきを、全部はできないにしても、なんらかのカタチにしていきたいと考えています。

次に、三中についてです。
8月26日の始業式、夏休み中に部活に打ち込んだ生徒たちが、学校に戻ってきました。子どもたちはみんな、人間的なつながりを求めて学校にやってくるのです。

夏休みとちがい、やはり学校は生徒がいると、活気がでます。私自身も体育館に揃った全校生徒からエネルギーをもらうことができました。

一方、内閣府の調査では、1年間のうち、小学生から18歳までの子どもについて、子どもの自死が最も多くなるのは、1972年から2013年の42年間で、夏休み明けの9月1日が突出して高いという報告が、最近ありました。

この原因はいろいろ考えられるでしょう。いまの子どもたちは、仲良しグループのなかで気を使い、自分だけ浮かないように、自分の考えや意見を言うのを控え、仲間からドン引きされないようにけっこうな神経を使ってることが多くあります。
長い夏休みにはそのストレスから解放されていたのですが、またあの生活が始まると思い、緊張感が高まるということが原因かもしれません。

なおかつ、思春期は自分のことを真剣に見つめ悩む時期でもあります。そこで、いったん自分に自信を無くし、自己の存在意義をも考えられなくなるからかもしれません。

そこで、教職員にはその調査報告を示し、2学期の始まりには、とくに子どもの様子をよく見てほしい。なにかあれば早い対応と情報共有を学年で進めてほしいと伝えました。

生徒たちに対しては、始業式の話で、別の切り口で「孤独になっても、孤立はするな」と話しました。

孤独は自己を見つめ、振り返るために一人になることです。孤独になることは、仲間でつながり合うことと同じくらい大切です。

一人になって自分を客観視することにより、3年生ともなれば、たとえば「私って1年生の頃に比べ、けっこうあいさつするようになよね」といように自分の成長を感じることができます。

この中学生の気づきはじつに力強く、教職員は、だからこそ中学生と関わる喜びを感じることができます。

ただし、どうしても悩みが多くなる年齢です。中学生は悩むのが仕事といってもいいぐらいです。

孤独は自己を成長させるので悩んだらいいが、孤立してはいけないのです。孤立は人との関係を拒絶することです。

そこで、2学期の文化祭や体育祭で仲間どうしがつながる仲間関係を築いていきましょうと、生徒たちに呼びかけました。

保護者の皆様も、ご多忙とは存じますが、どうかつながりあう生徒たちの様子を見に来ていただけますようお願いします。

また、子どもだけでなく親や大人が孤立しないことも大切と考えます。

子育てに悩みや不安が少ない親御さんは、知り合いや友人、自分の親など、家族以外の人との人間関係を保っておられることが多いようです。

現代のように、少子化・核家族化が進んだ時代では、子どもを育てる環境や条件は、親御さん自身が求めていかないと実現しないのかもしれません。

そこで、地域の役割が重要で、三中校区で行われている活動に敬意を払うとともに、つながり合う大人の力をあわせ、今後とも温かいご支援を学校にいただけますようお願い致します。

花鳥風月~子どもたちに引き継いでいくもの~

2015年08月26日 18時54分31秒 | 教育・子育てあれこれ




子どもたちよ  
おまえたちは何を欲しがらないでも 
凡てのものがお前たちに譲られるのです。   
太陽の廻るかぎり  譲られるものは 
絶えません  
輝ける大都会も そっくり お前たちが譲り受けるのです。  
読みきれないほどの書物も  みんなお前たちの手に受け取るのです 
幸福なる子どもたちよ  
お前たちの手はまだ小さいけれど---。 
世のお父さん、お母さんたちは何一つ持ってゆかない。  
みんなお前たちに譲っていくために                               
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、 一生懸命に造っています。

河井酔茗の詩集「花鎮抄」の詩 「ゆづりの葉」より
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この詩が発表されてから、すでに半世紀以上の歳月が流れました。この詩集が出されたのは第二次世界大戦直後でした。

河井酔茗は、戦争で荒れ果てた国土を目の当たりにしながらも、なお世代から世代へ引き渡していけるものがあるのだと、戦後復興の困難に立ち向かう人々を勇気づけたのでした。

その後、日本社会は、高度経済成長を成し遂げ、ばく大な富を生みだし、目を見張るような経済的・文化的発展を築き上げました。

しかしいまや、その発展は風船がはじけるように終わり、気がつけば、人々は少子高齢化社会の進行に気づき、虐待、青少年の問題、さらには不安定就労・貧困の問題など、繁栄が引き潮に向かう不安を感じています。

明るさ・楽しさを競う高度消費社会の影の部分が色濃く出はじめているのです。そのうえ、ここ数年、わが国は追い打ちをかけるように大規模な自然災害に見舞われています。

そこで問いたい。いったい私たちはいま、子どもたちに何を引き継ぐことができるのでしょうか。

それは自分のまわりの自然や物、さらにいのちに感謝し、人と人がつながりあい、かかわり合うことのすばらしさを子どもたちが引き継いでくれるということに尽きるのではないでしょうか。

そのためには、人の幸せは経済の発展・拡大だけでは得られるものではないという当たり前のことを、誰もが今一度思い出す必要があるでしょう。

そして何よりも私たちおとな自身が他者と豊かにかかわりあい、つながりあいながら生きていく人生のデザインを示し、毎日を楽しみながら過ごしていきたいものです。

楽しみ・喜びだけでなく、苦しさ・つらさもすべて丸抱えで、家庭では親が、学校では教職員が子どもたちに「こんなよいこと・うれしいことが今日あったんや」、「こんなしんどいこともあったんやけど・・・、いまは考え直して、こう思ってるんや」

このように語ったりすることで、子どもたちは自分の将来に夢を描き、希望をもつ(「生きていたら何かおもしろそうや」と感じる)ことができると思うのです。
なぜなら子どもは大人の生き方から学ぶからです。

月の輝きのように、人を照らし(月)、
鳥のように、飛んでいきうたい(鳥)、
花のように笑う(花)、
風のように流れていき(風)、
人に寄り添う。

そのような「花鳥風月」の生き方が、子どもたちに、はるか彼方の自分の将来を開くカギを譲っていくことになるのです。

子どもの思春期は、親の子離れの時期

2015年08月21日 20時24分03秒 | 教育・子育てあれこれ


日差しが照りつける明るい場所から、急に家の中に入ったとき、一瞬真っ暗で前の見えないことがあります。

思春期の子育てとは、これに似ている点があります。親にとっては、急に前が見えにくくなり、とまどいます。

そのようなとき、少し待っていると、だんだんと周りが見えてきます。また、電灯をつけると、すぐに周りが見え出します。

このように、子どもが思春期の子育ては、親が「待つ」か、親が「工夫をする」ことが必要になります。つまり、先の見えにくい闇に光が射すまで待つか、別の光を当てるかです。

子どもが思春期になると、親と子の「間」が変わってきます。そしてこの「間」はずっと同じではありません。少しずつ距離が広がっていきます。

私は経験上、親子の距離感は、おおざっぱに言えば、おおむね次の3つの段階に分かれると考えています。

1⃣前思春期(小学校4年生ぐらいから):「手とり・足とり」のかかわりから、親が心理的に少し距離を置きます。親がすぐに「こうしなさい」というのではなく、ひとまず「どうしたらいいと思う?」と考えさせます。

2⃣思春期(中学生ぐらい):「手をかける」子育てから「目をかける」子育てへ移行させる。子どものことをずっと気にはかけているが、すぐに手を出すことは極力控えます。ただし、子どもが助けを求めてきたときには「手出し」をします。このときも、子どもに「どうしたらいいか」を懸命に考えさせることは欠かせません。

3⃣思春期後期(高校生):自立に近づいている段階ですので、基本的に本人に考えさせ、どう行動するかも本人に任せます。ただし、完全に「目」を離すのではなく、親はいざというときにはアドバイスができる、というスタンスです。

思春期というのは子どもが親から離れようとする時期です。だから、親も子どもから離れようとするのです。つまり子どもの思春期は、「親の子離れ」の時期なのです。

思春期の子どもをほめるのは難しい

2015年08月17日 15時07分00秒 | 教育・子育てあれこれ
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「子どもは、ほめて育てなさい」とよく言われます。ほめることは、子育てや教育で必要なことですが、思春期の子どもをほめるのは、それほどたやすいことではありません。

その理由の一つは、思春期の子どもは基本的に、おとなの言葉に反発することが多いからです。

おとなが頭ごなしに「~しなさい」というと、子どもが反発するのは、上下関係を感じる反発です。思春期の子どもは、「おとなと私は対等」と思っています。

「ほめる」というのは、ほめる側とほめられる側があって成立し、どうしても上下関係が入り込みます。

ものごとをよくわかって、なんでもできるおとなが、未熟な子どもをほめてあげるという上下関係になりやすいのです。

ほめられる側は、とかく「上から目線」でほめられていると感じてしまいがちです。このとき反発が生まれるのです。だからおとなからのほめる言葉を、素直には受け入れないことが多いのです。

そこで、思春期の子どもに対しては、あまりほめるということをしない方がいいようです。

とくに「がんばった」、「上手だ」、「すごいね」は、子どもが小学生の前半ぐらいまでにすべきで、思春期の子どもには、一般的に適さない言葉です。

そこで、ほめる言葉の代わりに、子どもの話をじっと聞く、そして聞いたときの親の感情をそのまま出して、関西弁なら「そうか、やるやん!」「よっしゃ!」「さすが!」という言葉で、親がストレートに自分の感情を出すだけでいいのです。

思春期の子どもをほめることがたやすくないもう一つの理由は、おとながなぜほめているのかという点です。

たとえば子どもの機嫌をとるために、おとなが「よくがんばったね」「すごいね」と言い、そのあとでやってほしいこと(「だから勉強しなさい」など)を付け加えようと意図していると、子どもはしっかりと、その「こんたん」を見抜きます。

そんな見え見えのことではだまされないよ、となります。もう親の意図を見抜く年齢なのです。

ただし、ほめることそのものは、こどもの自信を深め、意欲を起こすという効用があるのも事実です。

ですから保護者のみなさんは、もしほめようとするのなら、思春期の子どもには、何の「こんたん」もなく、見返りを求めることなく、率直にほめるべきでしょう。



体験と体験をつなげるのは、大人の役割

2015年08月12日 09時33分06秒 | 教育・子育てあれこれ


いまの時代、生活様式の変化や少子化の進行とともに、子どもの自然体験や異年齢のグループ遊びがめっきりと減ってしまいました。

たとえば、私の小学1年生のころ(1960年代から70年ごろ)は、近所の小1から小4までの子が広場に集まり、いっしょにボール遊びなどをしたものでした。

また、家の近くの山に行き、木を四角に組み「秘密基地」などを作っていました。そこに自分の宝物をもって行ったりして、なにかワクワクするような空間であったことを思い出します。

しかし、今では、三中の親世代の人でもそのような経験を経て、おとなになった人は少なくなっているのではないでしょうか。

遊ぶといっても家の中で一人遊びが主流となり、かりに友だちが遊びに来ても、ある子はテレビを見ている、ある子はケータイを触っている。またある子はゲームに夢中になっている・・・。それぞれが、バラバラになって遊んでいるという状況もあるようです。

そのため、学校では体験学習や縦割り集団の活動が必要と言われ、さまざまな体験学習が行われています。

小学校では、林間学舎、臨海学校、「マリンスクール」、運動会での組体操・・・、
中学校では職場体験、福祉体験、異文化体験・・・などが行われます。

しかし、教職員は体験学習の「落とし穴」を意識しておかなければ、体験学習は子どもの成長につながるものにはなりません。

つまり、過去の経験と現在の経験をおとながつなげて、子どもに気づきを起こさせることをしなければ、体験学習は「体験し放し」で終わってしまい、子どもの成長にはつながりにくいのです

たとえば、中学2年生で行う職場体験で、あるとき、観光ホテルの体験をした生徒がいました。
3日間の職場体験を終えて学校に帰ってきた生徒に、担任の先生が感想を聞きました。その生徒は「支配人の人から、『きみはあいさつがちゃんとできるね』とほめられた」という感想をうれしそうに語ってくれました。

それを聞いた先生は次のように返しました。「あいさつがちゃんとできたんやね。そう、よかったね。」
しかし、その先生はそのまま会話を終えませんでした。

「ところで、きみは1年生の入学してきたとき、学校生活に不安をもっていた。だから、先生たちが正門で『おはよう』と声をかけても、精一杯の気持であったのか、無言で通り過ぎたのを覚えていますか。」
「でも、だんだん学校生活に慣れてくるようになり、友だち関係も安心してきて、先生たちからの『おはよう』に対して、『おはよう』と返してくれるようになりました」

「そして、今回、職場体験で、『あいさつができる』と支配人からほめられたきみがいる・・・」

このとき、こどもの気持ちの中で変化が生まれます。

そうだった。あのころのボクは、毎日悩んでいた。あいさつなんてどうでもよかった。
でも今は楽しく生活している。そして、今回、あいさつできるってほめられた。自分もちょっとはおとなになれたのかな・・・。これが、本人の「気づき」です。

おとなは子どもに対して、一つ貴重な経験を積むと、それが何にでも応用できると考えがちです。ところが、子どもの意識の中では、つながりなどないのです。

あの体験はあの体験、この体験はこの体験です。ですから、子どもの成長をずっと見ている大人は、子どもの過去の体験と現在の体験をつなげてやらなければならないのです。

体験と体験がつながった子どもは、自分の変化や発達、成長を自分自身で感じることができ、体験の意味を自分の中に落としこんでいきます。そして、意欲は著しく高まるのです。気持ちの変化は、生活への変化につながっていくのです。

以上のエピソードから導かれる「体験と体験をつなぐおとなの役割」は、おもに学校の教職員について述べましたが、家庭で親御さんも実行できることです。

親は、子どもの小さな変化に対しても、ほめたり、評価したりすることが大切です。「これぐらいはできて当然。小さな変化なんて変化でない」と思うのでなく、子どもの小さな変化に対して、言葉かけをして、ほめるのです。

その小さな変化の価値を伝えることが、子どもの成長に、たしかにつながるのです。

親以外の人といっしょに子どもを育てる

2015年08月07日 07時21分17秒 | 教育・子育てあれこれ

いまという時代、育児不安を抱える親(現状では、若い母に多い)が増えていると言われています。

一方、子育てについての不安が少ない家庭では、親が家庭の人間関係だけでなく、知り合いや友人、別居している自分の親など、家庭の外の人との関係を広げている場合が多くあります。

この場合、子育てを母親と子どもだけの1対1の関係にとどめず、子育てについての悩みを聞いてくれる人がいる、相談相手がいるという環境を生み出しやすくなります。

子育てに悩んでいるお母さんは、周りの人-「ママ友」や幼稚園・保育所・学校の先生や保育士、おじいちゃんやおばあちゃんなど-へと、人間関係を広げ、相談にのってもらうことができます。

自分だけで子育てをしようとせず、「わたしが、がんばらなければ」と思わず、他の人といっしょに、わが子を育てていくという意識をもつと、子育てがぐっと楽になります。

また、祖父母は無条件で子どもをかわいがってくれる場合が多くあります。
私の家庭は祖父母と同居していますので、子どもが小さいころは、ほんとうに孫をかわいがってくれました。

ですから、いま祖父母の体力が衰えだしていますが、子どもたちには、幼少期によく面倒を見てくれたという思い出がしっかりと残っていますので、おじいちゃん・おばあちゃんのことを気にかけて、優しい言葉かけをしています。

いまは少子化・核家族化の時代です。親以外の人といっしょに子どもを育てる条件や環境は、親が自ら求めていかないと実現しないのかもしれません。

地域の子育てサークルや子育て支援センターへ行くのもいいでしょう。頼っていいところはどんどん頼る、悩みを聞いてくれる人には遠慮なく相談する。

もし、頼る人がすぐに見つからなくても、「家庭以外の場でも、子どもを育てることが大切だ」という気持ちをもっておくだけでも気持ちがやわらぐのではないでしょうか。

子どもは、今も昔も、たくさんの人との関係の中で、その成長が育まれていくのです。